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神さまに会いに行く
雪を踏みしめる音がして、ヒラクはゆっくりと体を起こした。
目の前には銀の毛並の狼が立っていた。
「灰銀……」
名前を呼ぶと、狼はさらに近づいて、ヒラクに鼻をすり寄せた。
密生する笹の茂みと見慣れた川筋、針のようなマツの枝葉に重たげに降り積もる雪。
必ず帰ると誓った場所にヒラクは果たして戻ってきたが、そこにはあるべきものがない。
「おれの家……なくなっちゃったね」
言葉にすると急に悲しみがこみ上げて、ヒラクはうめくように泣いた。
「結局おれは何一つ、取り戻すことができなかった。すべてを壊して新しく創造したと思った世界はただの幻にすぎなかった……」
―それはしかたのないことだ。世界はおまえ一人の力で創造されるものではない。
灰銀の声がヒラクの中で響き渡る。
ヒラクは涙で濡れた顔でかたわらの灰銀を見た。
「どういうこと? じゃあ誰がこの世界を創造したの?」
―誰が世界を創造したか……私にはよくわからない。いつか始まりに還ることがあるならば、すべては明らかになるだろうか。
「まるで神王みたいなことを言うね。唯一の存在に還るときがくるって灰銀も思うの?」
―それも私にはわからない。ただ言えるのは、これまでの長い歴史の中で、神は一つになることは決してなかったということだ。まるで神自身がそれを望んでこなかったかのように。
その言葉で、ヒラクは一つに結集しようとした勾玉を破壊の剣で打ち砕いたときのことを思い出した。
そしてその同じ剣で、ユピは自分の中にいる神王を滅ぼすために自らの命を絶った。
結果的に唯一無二の神になろうとしていた神王の野望は自らの手で打ち砕かれたのだ。
「おれはまちがっていたんだろうか……いや、ちがう」
そのときヒラクの中で何かがひらめいて、心にすとんと言葉が落ちた。
「もともと一つであるものを、一つにしてしまおうなんて思うこと自体へんなんだ」
灰銀はヒラクの言葉を聞きながら、その目の奥をじっとみる。
―おまえと神王はまるで真逆の存在のようだな。相反する性質の勾玉が惹かれあい、陰と陽が合わさって一つの結果を生み出したというわけか。
「そのためにおれとユピは出会ったの? でももう神王は消えたんでしょう? ユピは、どこに行っちゃったの?」
ヒラクは辺りを見渡すが、ユピの遺体はどこにもない。
―器は山に葬られた。朽ちた肉は獣の餌になるか、土の養分になるだろう。
「ユピはまたすぐ生まれ変われるの? そしてまた会えるんだよね?」
ヒラクはそう思うことで、胸の奥の悲しみに慰めを与えようとした。
けれども灰銀の言葉はヒラクの中に無情に響く。
―神王を葬り去るためとはいえ、ユピは自ら命を絶ったのだ。それは魂に計り知れない重みを与える行為だ。魂は重く固まり、深みに澱み、停滞し続けることになる。
「そんな! どうして? 悪いのは神王だ。ユピと神王は別の存在だ。ユピは何も悪いことなんてしていない」
ヒラクは必死になって言うが、灰銀は冷静に語る。
―ユピは神王に自らを明け渡してしまった。それはユピの選択だ。人は自分の選択の責任を取らねばならない。
「そんなのひどいよ。ユピがかわいそうだ。助けてあげられないの?」
そう言いながらも、それができないことをヒラクはすでにわかっていた。
「……おれが、ユピの神さまになってあげられたらよかったのに」
ヒラクはむなしくつぶやいた。
そして自分自身に言い聞かせるかのように言葉を続ける。
「だけどユピの神さまはユピ自身なんだ。ユピを救えるのはユピしかいなかった。おれには何も……どうすることも……」
―ヒラク
灰銀はヒラクの顔をじっと見た。
―自分以外の誰かの神になることなどはできないが、個々が創造する世界は互いに作用しあっている。私たちは深いところではつながりあっている。
「つながりか……」
その言葉でヒラクはユピだけではなく、自分が出会った多くの人たちのことを思い出した。
「ジーク……キッド……ハンス……カイル……ピリカ……」
なつかしいアノイの村の人々、砂漠の地下都市セーカの民、プレーナのフミカ、ヴェルダの御使い、エルオーロの老神官、ルミネスキのマイラ、ロイ、聖ブランカ、海賊の港のマダム・ヤン、海賊島のリク、カイ、クウとさきがけ号の仲間たち、呪術師の島の仮面の部族に南多島海の海の民、破壊神の島の鳥人、獣人、トカゲ人たちにウナルベ、トーマやギルベルトなどの希求兵の顔が次々とヒラクの頭に浮かぶ。
一人ひとりを思い出すたびに、こみあげてくる感情も変わる。
「おれの中の勾玉が、さまざまな輝きを放っているみたいだ。色んな人の勾玉が見える。おれの勾玉が鏡のように輝きを映しだしている」
ヒラクは自分の胸に手をあてた。
胸の奥の輝きが手のひらに熱を伝えるようだ。
何かがわかりかけてきて、ヒラクはゆっくり目を閉じた。
「ああ、そうか。鏡も勾玉も同じなんだ。神そのものでありながら、神を映し出すもの。それを打ち砕く剣さえ、まったく同じものなんだ」
―同じものでありながら、それぞれ別の働きをするというわけか。一体なぜそのようなものが必要だったのか……。
「それがバラバラであると同時に一つのものであることを理解するためじゃないかな」
―なぜバラバラである必要があるのだ。初めから一つのものであれば人は自分の勾玉を見失うこともないはずだ。
灰銀はうなるように言った。
―これまでにどれだけ多くの勾玉主が、自分の存在価値を鏡に求め、己を誇示するために剣を必要としてきたか。人間は同じまちがいを何度もくりかえしてきた。
「それがまちがいだったかどうかなんてわからないよ。この世界で自分というものを体験した上での結果だ。自分を知り、神を知り、世界そのものを体験する。そのために人は生まれてくるのかもしれない」
―それで、おまえは神を、世界を知ることはできたのか?
灰銀の問いにヒラクは少し考え込む。
「どうだろう……。わかったって思った瞬間に、まだわからないことがあるような気がしてくるし、こういうものだって思った途端に世界が狭くなる気がする」
―神を知りたいと思うこと自体がそれを知らないという前提を作っているということか……。
灰銀もまた考え込むように言った。
「完全を知るための不完全な存在……。だけどその不完全の中にも完全がある……。なんだかよくわからないね」
そう言いながらもヒラクの声に絶望は感じられない。
それを灰銀は不思議に思った。
―理解できないということに失望を感じたりはしないのか?
「失望? どうして? 理解できないことがあるってことをわかっていることがすごいことじゃないか。わからないんじゃない。本当はすでにわかっているんだよ。不完全と感じる心にこそ完全さがある」
―おまえのように考える勾玉主は誰一人としていなかった。己の不完全さを補うように、ある者は完全なる存在を求め、ある者はすべての不完全な存在を統合することで完全になろうとした。
「完全になるってどういうことだろう……」
ヒラクはぽつりとつぶやいた。
「誰かを愛し、慈しみ、心を重ねあったときに感じる温かくて満ち足りた心と完全さを知る心は似ているような気がする」
ヒラクは透明に澄んだユピの笑顔を思い出す。
「人は完全なものだけを愛するわけじゃない。不完全さを補うために愛し合うというわけでもない。愛する心にこそ完全さがある。その完全性にユピは気づいたんだろうか」
そう言って、ヒラクは小さく吐息した。
ユピへの愛しさと悲しみは、深い憐みへと変わる。
「ユピがユピ自身の愛の光に包まれる日がくるといいのに……」
ヒラクは自然と胸の前で手を合わせていた。
祈りが、愛が、勾玉の光となって手のひらの中でほとばしる。
もはや勾玉の形にはならない。
ただ静かに、温かく、やわらかな光が、ヒラクの全身を包んだ。
どれほどの時間が過ぎたのか……。
ヒラクを中心にして、辺りの雪が解け始めた。
季節はいつのまにか春を迎えようとしていた。
灰銀とヒラクだけが時間を飛び越えてきたかのようにその場に存在し続ける。
小川に張った氷はとけ、木々は芽吹き、雪解けの土につくしやフキノトウが生える。
祈りを終えて目を開けたヒラクは、一瞬で春がきたように思った。
―気が済んだか?
ヒラクの隣で灰銀が言った。
ヒラクはゆっくり立ち上がる。
「あれからずっと祈り続けていたのか……。ユピの肉体が朽ちてこの地と一体になるのを感じたよ。雪解けの土の隙間に芽吹く花が見えた。今にも散ってしまいそうな弱々しい花だけど、冷たい風に吹きつけられても倒れずに凛と咲いていた。とても綺麗な花だった……」
ヒラクの頬を涙がつたう。
―その愛が、祈りが、養分となり、花を芽吹かせたのだろう。その涙は雨となり、花が根をはる土を潤すことだろう。
灰銀の言葉にヒラクはしっかりとうなずき、この地のどこかに咲いている花を思いながら、辺りの景色を見渡した。
生まれ育った家はもうどこにもない。
焼け落ちた家の残骸も今はもう形を残してはいなかった。
それでもヒラクはこの場所が自分の家だと思った。
そして再びここから旅立つことを心に決めた。
「父さん、ユピ、アノイのみんな……。おれ……いや、私はここを去ります」
「おれ」と自称することになぜか違和感をおぼえて、ヒラクは「私」と言い直した。
その表情も少しだけ大人びたものになっている。
それでも無邪気な子どものままの好奇心だけは変わらない。
「まだまだ知らない世界もあるし、会いたい人たちだっている。自分のことももっと知りたい。考えてみたら、まだわからないことだらけだ。前世自分が何者だったかってことも知らないし、これからどうなるのかってこともわからない」
そう言ったヒラクの瞳に強い光が宿るのを灰銀はしっかりと見た。
そしてヒラクの前に伏せ、背に乗るようにうながした。
「どこに行くの?」
―どこへでも。おまえが行きたいと思うところへ。
「それじゃあ、山を越えていこう。山の向こうは神の国。神さまに会いにいくんだ。色とりどりの勾玉の光が散らばる未知の世界へ」
ヒラクは灰銀の背にまたがって、しっかりとひざに力を込めた。
銀の毛を陽に輝かせ、灰銀は山を駆け抜ける。
風になびくヒラクの緑色の髪が雪解けの山に鮮やかに映える。
春の息吹が木立を通り抜け、ヒラクが駆け抜けた後に、緑が広がり花が咲く。
まもなくヒラクと灰銀は再び山を越えていく。
行く手をみつめるヒラクの瞳が強く明るく輝いた。
形をもたない透明な水晶の勾玉のように。
《神帝国編 完》
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。ユピの記憶に入りこんだヒラクはなぜか黄金王や神王の過去の記憶にもつながった。そしてそれまでの勾玉主が成しえなかった神の扉を開くが、唯一無二の神としての全体の統合を拒む。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。前世は神王。始源の鏡と剣を手に入れたユピの中の神王は、勾玉主であるヒラクを利用し、唯一無二の神となろうとするが、ヒラクに阻まれる。激高した神王からヒラクを守るため、ユピは神王を道連れに自ら命を絶つ。
灰銀……かつては山の神とも狼神とも呼ばれ偽神とされた銀色の狼。ヒラクが幼い頃に出会っている。ヒラクの山越えを助けた狼。ヒラクに「灰銀」と名づけられたことで偽神として存在することから解放された。時間と空間は超えられることをヒラクに伝えた。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。勾玉主であるヒラクをみつけだし、ルミネスキのあるメーザ大陸へ導いた。一時はユピの言葉の支配を受け、ヒラクのそばを離れたが、ユピの支配も解け、神帝国で再会したヒラクとの絆をさらに深める。
ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。成り行きでヒラクの旅に同行しているが、頼りになる存在。ヒラクを守りながら神帝国兵たちを蹴散らし大活躍するも重傷を負う。
ウナルベ……破壊神の島で剣を守っていた謎の生き物。破壊神とされたことで偽神となり、その地に存在が縛り付けられたが、ヒラクにウナルベと名づけられたことで自己の存在定義を得るが、始源の鏡と剣と勾玉の共鳴により存在を失う。
トーマ……神帝国の城に勤めながら潜伏していた希求兵。勾玉主への忠誠心を利用され、ユピの言葉の支配によりヒラクをユピのもとに連れてくる。そのことへの自責の念からユピの言葉の誘導で自ら命を絶つ。
ギルベルト……神帝国で兵士として潜伏し、神帝の身辺警護にあたりながら動向を探っていた希求兵。勾玉主ではなく個人としてのヒラクを慕うジークを希求兵としての資格はないとし剣を交える。
※希求兵……ルミネスキ女王に精鋭部隊として育てられた元ネコナータの民の孤児たち。幼少の頃から訓練を受け、勾玉主をみつけ神帝を討つ使命のもと神帝国に送り込まれ、15年以上潜伏していた。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。グレイシャ不在の海賊島で次期統領争いに巻き込まれ命を狙われたことで島を脱出。ヒラクに同行し、ノルドに向かう。グレイシャを助け出し親子の絆を取り戻す。
リク……海賊島の若い海賊。三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。キッドを守るため行動を共にする。
カイ……リク、カイ、クウ三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。
クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。戦闘になるとめんどくさがりほとんど参加してこないが、総舵手として船には欠かせない存在。
マダム・ヤン……中海に面したルミネスキの沿岸の湊町で酒場を営む女主人。娘たちと店を切り盛りしている。面倒見がよく多くの海賊たちに母親のように慕われている。
聖ブランカ…ルミネスキ女王。ジークたち希求兵に勾玉主をみつけだすことを命じていた。神の証とされる黄金王の鏡を手に入れるため、ヒラクを南へ向かわせる。
ロイ……かつてジークと対となり希求兵を目指していたが、最終試験で対であるジークと闘い脚を負傷。前世婚姻関係だったことから、女王に特別な感情を抱く。
マイラ……黄金王がルミネスキの湖から引き揚げた鏡が土着の月の女神の姿を消そうとしたとき、その月の女神の存在がその時ちょうど命を落とした老婆の体に入りこんだ。それがマイラの正体であり、マイラは不死の身である自分の存在の根源を求め、王の鏡を手に入れようと画策していた。
ピリカ……ヒラクの従妹。男として育てられたヒラクを幼い頃から慕っていた。
ヴェルダの御使い……ヒラクの母の双子の妹。ヒラクの父イルシカと愛し合っていた。砂漠の遊牧民のリーダー。プレーナの使徒としてプレーナ教徒の信仰対象だった。
フミカ……ヒラクがプレーナで出会った少女時代の母。ヒラクが淡い恋心のような不思議な感情を抱いた存在。
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