9人が本棚に入れています
本棚に追加
宵闇の男
あの日の事は今でも鮮明に覚えている。
2017年6月8日。
俺の暴力に耐えかねた雨音が、麗奈を連れてマンションから飛び出した。
俺は必死に後を追った。
あの時の俺を支配していたのは理不尽な怒りだった。
俺は雨音を見下していた。
俺が主人で、雨音は奴隷なのだと。
雨音が俺の暴力に耐えるのは当たり前で、逃げ出すなど許される事ではないのだと。
今思うとあの時の俺はクズ中のクズだった。
でも、当時は本気でそう思い込んでいた。
雨音と麗奈は時槻海浜公園へと逃げ込んだ。
俺も2人を追い掛けて、公園に踏み込む。
その時だった。
突然、腹に衝撃を受けて俺は倒れ込んだ。
蹴り飛ばされたのだと理解したのは地面に転がった後だった。
闇に溶け込むように、その男は立っていた。
ルナティックサーペントに所属するアイドルグループ、ハルモニアのメンバー山梨大地。
山梨大地は美しい男だった。
作り物の人形のように精巧かつ華やかな美しさを持つ、ハルモニアのセンター遠藤灯雅には及ばないが、それでも美しい男だった。
その美しい男が、黒の着流しに黒いブーツという出で立ちで佇んでいた。
異様ではあるが、闇に溶け込むその姿は絵画のように美しかった。
闇に溶け込む美しい男が、動いた。
スマートフォンを取り出し、何処かに電話を掛けた。
内容から、恐らくタクシーを呼んだのだろう。
三輪紫芍病院へ……そんな言葉が聞こえた。
三輪紫芍病院……それはディスコルディアのドラマー、三輪碧海の父親が経営する病院だった。
阻止したい……しかし、身体が動かない。
山梨大地は一度通話を切ると、再度別の相手に掛け直した。
今度はルナティックサーペントの女社長、月見里十六夜のようだった。
終わった……そう思った。
雨音への暴力が、社長にバレた。
雨音と麗奈が三輪紫芍病院に行けば、父親から碧海に暴力の事が伝わるかもしれない。
確実に仕事がやり辛くなるし、ディスコルディアに居られなくなるかもしれない。
俺はこの後に及んで、自分のことしか考えていなかった。
本当に、当時の俺は今思うと最低最悪のクズでしかない。
タクシーが到着し、山梨大地と雨音は一言二言言葉を交わす。
社長が病院に向かうから事情を詳しく説明してくれ……そんな内容だったと思う。
タクシーは雨音と麗奈を乗せて出発。
俺は地面に無様に転がったまま、それを呆然と見送ることしか出来なかった。
最初のコメントを投稿しよう!