4.ちょっと、何するんですか?

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4.ちょっと、何するんですか?

 1人になりたかったが、車が発進してしまったので渋谷院長に送ってもらうことにした。  運転手に住所をを告げると、私はそっと目を閉じた。 (明日、会社行くのが怖い⋯⋯) 「初めまして。新渋谷総合病院の院長の渋谷雄也と申します」  渋谷さんが慣れた手つきで名刺を渡してくる。  私は慌てて目を開いて名刺を交換した。 「ラララ製薬の梨田きらりです。新渋谷総合病院の渋谷って地名じゃなくて苗字だったんですね」 「ふふ、そうですよ。梨田さん、何か困ったことがあったら何でも言ってくださいね」  私は彼の魅力的な柔和な表情に、思わずため息をつきそうになった。  私は顔が派手なこともあって軽い女と見られることがコンプレックスだ。  今、彼は多分弱った女に漬け込もうとしている。  本当は彼がただ親切なだけかもしれないが、私は人を信じられなくなっていた。 (スペックも高くイケメンで女には苦労していないだろうに⋯⋯) 「渋谷さんにお願いしたいことはありません。今日送って頂いただけで十分です」  雅紀と付き合っていた頃も、私に言い寄ってくる男は沢山いた。 (多分、ルナさんに言われた所の愛人顔のせいね、軽く見られてるんだわ) 「もしかして僕、警戒されていますか? 実はルナから話を聞いたんです。彼女は僕にとって妹のような存在です。彼女があなたに迷惑をかけたのではありませんか? 僕はあなたの助けになりたいのです」  富田ルナはお金持ちの家の娘のようだし、彼も大病院の院長でセレブ同士知り合いなのだろう。  ルナから見たら私は夫の不倫相手なのだから、私のことも不倫するような軽い女と思って近づいてそうだ。  冗談じゃない、もう、男に振り回されるのは懲り懲りだ。 「別に、今日知り合ったばかりの方に何かしてもらおうとは思ってません。私の方こそご迷惑をお掛けしました。ここで、車を止めてくれますか? 用事があるので」  私は帰る途中の駅前商店街の前で車を止めてもらった。  彼に下心があったかは分からない。  でも、彼は仕事中のようだったのに、私が揉めもごとを持ち込んで時間を割かせてしまった。 「では、失礼します」 「あ、ちょっと」  引きとめようとする渋谷さんにお辞儀をし、車の扉を閉めた。  小走りで駅の方に向かう途中、10分でヘアカットをする店が見えた。  いつも行きつけのサロンで担当さんにお願いしていたから、そのような店には入ったことがない。  私が高めの値付けと思っていてもサロン通いしていたのは、少しでも髪を綺麗にして雅紀にもっと夢中になって欲しかったからだ。  今は彼のために手入れしてきた髪が忌々しい。  私は10分ヘアカットに入って、その値段に驚愕した。 (1350円って! いつものヘアサロンはこれの7倍だわ)  今日は雅紀を思って丁寧に巻いた艶々の巻き髪を見たくないから、バッサリ切ることにした。 「バッサリ、ショートカットにしてください」 「ええ! いいんですか? 失恋ですか?」 私の言葉に衝撃を受けているおじさん美容師はなかなかの洞察力を持っているようだ。 「その通りです! 本日、失恋をしました。バッサリいっちゃってください」 「あの、後悔するんではないでしょうか。クレームを後で言われそうで怖いです。綺麗な髪ですし、勿体無いと思います」 「後悔なんてしませんよ。よろしくお願いします」  私のはっきりした口調に、戸惑いながらも美容師が私の髪にハサミを入れる。  毎週のサロントリートメントで丁寧に手入れした髪が床に落ちるのをぼーっと見ていた。 後悔なんてとっくにしている。  私は昔から割とモテてきて、告白されることが多かった。  でも、それは私の派手な見た目を見て軽いと思われていただけだ。  同じく軽そうに見えるイケメンからよく声をかけられた。  そして、決してイケメンではない雅紀と付き合うことで、自分は顔ではなく中身で男を選んでいると思っていた。 (雅紀の中身は自分勝手で最低な男じゃないか、どうして気が付かなかったのか⋯⋯)  後悔というなら、彼に捧げた14年以上の時をを後悔している。  振り返ってみれば、医者になりたいという彼に尽くしている自分に酔っていたところもあった。 「やっぱり、坊主にしてください」  今日、職場で騒ぎを起こしてしまった謝罪をすることを考えると、坊主にした方が良いかもしれないと思った。 「ええ! 流石に一時の感情で行動するのは、やめた方が良いと思いますよ。失恋したからって尼寺にでも行くつもりですか? すぐに、新しい彼氏ができそうですけどね。ほら、美人さんだからショートが似合いますね」  気がつけば私はバッサリショートカットになっていた。  ちなみに、私は彼氏なんて2度と作る気はない。  そして、美容師が急に掃除機のようなもので頭を吸い取ってくる。 「ちょっと、何するんですか?」 「こういうところ初めて来るんでしょ。カットした後、こうやって切った髪を吸い取るんですよ」  私はあまりの出来事にひとしきり笑った後、なぜか涙が出てきてしまって慌てて店を後にした。 (三十路にもなって人前で泣くのだけは嫌だ)  店を出ると、渋谷さんが心配そうに私を待っていて驚いてしまった。  私が思わず泣いている顔を隠すと、急に抱きしめられた。 「僕にできること見つけました。今、顔を人に見られたくないんですね。このまま梨田さんを家までお送りするので、顔は見られませんよ。僕も見ないから安心してください」  私は彼の胸元に顔を押し付けさせられたまま、また車に乗せられた。 「はあ、惨めですね。実は今日、プロポーズされると思って気合いそ入れて髪を巻いてたんです。セットした髪を見ていられなくて切っちゃいました」 「巻き髪も素敵でしたが、今のショート姿はもっと魅力的ですよ」  渋谷さんはそう一言声をかけて来ただけで、後は私に話し掛けてこないでくれた。  私は声を押し殺して彼の胸で泣いた。 「到着しましたよ。梨田さん」 顔を上げると、優しそうな顔で渋谷さんは私を見ていた。  私は彼の高そうなスーツに私の涙や鼻水がついていることに驚愕した。 (せめて、白衣なら洗濯できそうだったのに、これは確実にクリーニングだよな) 「送って頂きありがとうございます。これは、クリーニング代です。ご迷惑お掛けしました」  私は渋谷さんに1万円を渡すと引き止める彼を置いてマンションの中に走って入った。 (きっと、セレブのクリーニングは1万円くらいかかるはずだわ!)  本当は「お礼にお茶でも」とか言って部屋に招いたりする流れだったと分かっている。  しかし、私は彼との関係はここで終わりにしたかった。  私の1番情けない姿を見せた人。  もう、関わりたくないし、会うこともないだろう。
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