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馬車に乗って屋敷を出ると、ル・シュビド伯爵邸へむかう。同じ皇都郊外にあるので、さほど時間はかからない。
「ル・シュビド伯爵家はルーラ湖沿岸に領地を持つ領主だな。息子ばかり三人。エヴラール。ギャエル。フロラン。あなたの求婚者は次男のギャエル」
「わたしが女学校に行ってたころに見かけたらしいの。ギャエルは二つ年上なの」
「エヴラールは二十七。フロランはまだ十五だ」
「よく知ってるのね」
「それは調べたから」
「ある事件って、なんなの?」
初恋の君の鮮烈な青い瞳が、ルドヴィカを見つめる。視線で炒められているみたいに、ルドヴィカの頭はカアッと血がのぼってくる。たぶん、顔が真っ赤になっているだろう。
「おれの息子が、ある貴族に命を狙われている。実行犯をあぶりだしているんだ」
ガン、とまた衝撃。
息子がいるのか! ヴィオラ以外にも子どもが。しかも、母親が違う。いったい、何人、愛人がいるのか? いや、今はそれらとは過去形かもしれないけど。
ため息をつきつつ、でもやっぱり、馬車でル・シュビド伯爵邸へむかうあいだ、彼のよこ顔をうっとり見つめてしまうルドヴィカだった。
伯爵邸にはまもなくついた。たしか、ル・シュビド伯爵はラ・スター侯爵の一門だったはずだ。ルドヴィカの実家の族長ラ・ベル侯爵家と同じ、十二騎士の家柄だ。つまり、金持ちな領主。ルドヴィカの婚家にはいい条件。城みたいとまでは言えないまでも、邸宅もモダンで美しい。つい最近に建てたのだろう。
「いらっしゃい。ルドヴィカ! まさか、君が来てくれるなんてね。今日はパーティーだ。お祝いしなくちゃ」
ギャエルは大喜びだ。階段をかけおりてきて、どさくさまぎれにルドヴィカを抱きあげようとする。ルドヴィカはサッとワレスの背中にしがみつく。ギャエルがムッと顔をしかめた。
「こちらは?」
「えっ、えっと……うちの騎士よ。ねぇ、ワレス?」
ワレスは薔薇の騎士のようなおもてに、大人の余裕の微笑を浮かべる。
「ルドヴィカ姫の護衛で参りました」
「あ、そう。まあいいよ。ルドヴィカ。うちを案内しよう」
ギャエルは実家が富豪だと見せつけたいのだろう。屋敷じゅうをすみずみまで案内してくれる。
壁に宝石を埋めこんだダンスホールや、銀細工のシャンデリアが輝く豪華な食堂、ルドヴィカが見たこともない高価な稀覯書で壁をうずめられた書斎。
ちなみに書斎では、本に埋没している三男フロランに出会った。十五歳にしても幼く見えるかぼそい少年だが、五百年前の大作家ヴュラス・ル・オードの三部作『巫女姫アウリネの生涯』を読みふけるとは、なかなか見どころがある。
「フロラン。おまえはまた、こんなところで本の虫か。ジャマだよ。どっか行ってろ」
ギャエルは乱暴に弟の背中を押して追いだそうとする。が、ルドヴィカを見て赤くなった少年が、巫女姫の最終巻を持ったまま行ってしまったのでガッカリだ。あの三部作はル・ビアン伯爵家の城にも一部と二部しかないのだ。
「ああ、あとで、わたしにも続きを読ませて——って、もう聞こえてないわよね」
「ルドヴィカ。あんなつまらないヤツはほっといて、遠乗りでもどう? 先月、それは見事なブラゴール産の馬が手に入ったんだ」
ギャエルは馬好きのようだ。ルドヴィカとは趣味があいそうにない。それに、ずっとルドヴィカの手をつかんでひっぱっていくので疲れる。
かたわらで見ているワレスがクスクス笑っている。できれば助けてほしいのだが、求めなくても屋敷じゅうを案内してもらえるのは、彼にとっては願ってもないのだろう。
「馬は嫌い?」
「嫌いじゃないけど、とくに好きでもないわ」
「なんだ。そう。じゃあ、温室はどう?」
「キレイなお花は好きよ」
だが、温室には観葉植物ばかりで、花が咲いていなかった。
「なんだか、地味な温室ね」
同じ種類の鉢植えばかりが、いっぱいならんでいるのだ。
「ああ、ここは兄上が育ててるハーブ園だから。じゃ、次は地下の酒蔵へ行こう。おじいさまがめずらしい酒のコレクターなんだ」
今度は地下へおりていく。モダンな建物ではあっても、やっぱり地下への階段は薄暗い。うしろからワレスがついてくるからいいが、そうでなければ二の足をふんでしまう。
ところが、その酒蔵の扉をあけると、なかには一人の青年がいた。顔はギャエルによく似ている。似ているが、ギャエルがそばかすだらけで、ちょっと前歯が目立つことを考えれば、彼よりちょっと整っていた。少し面長すぎるもののハンサムだ。
青年はヴィナ酒の瓶を一本、手にしていた。入ってきたルドヴィカたちを見て、あわてふためく。
「ギャエル。なんの用だ? 昼間から酒蔵なんて」
「兄さんこそ、何してるんだ。ここはおじいさまの収蔵品の安置所だろ?」
「どんな銘柄があるのか見てただけだ。子どものおまえには関係ない」
「はあ? おれ、とっくに成人してるんだが?」
長男と次男はルドヴィカの見ている前でケンカを始めた。兄弟仲はよくないらしい。
だが、そこはエヴラールは大人だ。酒瓶を棚に置くと、ギャエルにはかまわず酒蔵を出ていく。ただ、すれ違ったときに、ルドヴィカの手をとって接吻した。
「美しいかた。お見苦しいところを見せてすまない。今夜の晩餐には、ぜひ、あなたもおいでください」
「おれの婚約者に手を出すな!」
ルドヴィカはギャエルの婚約者になったつもりはないが、と言って、エヴラールにもときめかない。
何しろ、ルドヴィカのとなりには、白鳥の騎士のごとき初恋の君が立っているのだから。
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