第四話 ルドヴィカの初恋

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 その夜はル・シュビド伯爵邸に泊まることになった。  だが、その晩餐の席で、たいへんな事件が起こったのだ。  例の豪華な食堂の長卓に、伯爵家の全員がそろっている。エヴラール、ギャエル、フロランの三人息子はもとより、その両親。さらに祖父母だ。  シュビド伯爵家の当主は、まだ祖父のジョフロワだ。ユイラの貴族は当主が年をとったとき、存命中に嫡子(ちゃくし)に爵位をゆずる場合が多い。ユイラ人がひじょうに長命だからかもしれない。ジョフロワはすでに八十をこえているので、かなり高齢まで粘っていると言える。 「おじいさま。これ、また手に入れてきましたよ。おじいさまのお好きなル・ドワ産のヴィナ酒です。紫のね」と、食事が始まってまもなく、エヴラールが持ちだしたのは、一本のボトルだ。昼間、地下の酒蔵で、エヴラールが手にしていたもののようだ。 「おう。ありがとうよ。エヴラール。おまえはほんとにいつも気がきくなぁ。さすがは、わしの孫だ。安心して伯爵家を任せられるわい」  ゆったりした口調で幸せそうに語る。  ルドヴィカは考えこんだ。  ジョフロワとエヴラールのあいだには、父のナタンがいる。ジョフロワは息子であるナタンをとばして、孫のエヴラールに爵位を渡すのだろうか? (ちょっと複雑そうな家庭ねぇ。ギャエルは次男だから、どっちみち伯爵にはなれないし、結婚相手には不向きだわ)  と言って、エヴラールも趣味じゃない。三男のフロランは本の話で盛りあがりそうではあるものの、子どもすぎて相手にならない。このころの三歳違いは大きい。やっぱり、ルドヴィカにはワレスほど素敵な人はいないと思える。  ウダウダ考えているあいだに、とつぜん、当主のジョフロワが倒れた。エヴラールからのプレゼントだというヴィナ酒を飲んだあと、急に「うっ」とうめいて、よこ倒しになったのだ。  家人が悲鳴をあげ、あわてふためくなかで、なぜか一人、いやに冷静にワレスが立ちあがり、伯爵のそばによる。伯爵の体のあちこちを調べたのち、伯爵の息子夫妻に声をかけた。 「まだ息がある。典医をつれてきて手当してさしあげてくれ」 「は、はい……」  夫人が命令して、給仕の小間使いに医者を呼びにやらせた。  ルドヴィカも近づいてみたけれど、伯爵はしきりにうわごとを言っている。目玉がグルグルしているのは、目がまわってあるのだろうか? 「おじいさま。しっかり」 「父上」 「お父さま」  伯爵家の人々が心配そうに呼びかけつつ、とりあえず、ナタンとエヴラールが頭と足をかかえて運んでいった。  食堂にとりのこされたルドヴィカはさきに寝室へ帰る。用意された寝室は二間続きだ。一方が居間で、もう一方が寝室になっている。 「おやすみ。ルカ。いい夢を」  寝室の前でワレスはルドヴィカのひたいにキスをした。いろんな意味で、ルドヴィカはショックを受けた。  じつは、寝室は一つ。ベッドも一つだし、いっしょに寝るしかないんだろうか、なんて考えて一人でドキドキしていたのだ。あっさり子どもあつかいされて、それがショックだった。  第二に、子どものころに母たちがルドヴィカを呼んでいた愛称で呼ばれたこと。こっちはたぶん、ワレスがおぼえてくれていて嬉しかったのと、二重の子どもあつかいでショック倍増。  第三に、寝室で見る彼は……魅力的すぎる。 「待って。ワレス。少しお話をしましょうよ。ね? ここへ来てすわって」 「ルカ。もう子守唄が必要な年じゃないだろう?」  手をひっぱってベッドにすわらせる。ワレスはクスクス笑って言いなりになっている。 「あなたの目的はもう果たされたの? あなたの息子が狙われてるって」 「まだ疑わしいな。伯爵が倒れたのは、誰かに毒を盛られたからだ」 「えっ?」 「強いめまいによって倒れ、充血の症状。一時的な精神錯乱。あれは大麻だな」 「それって?」 「昼間、温室に山ほどあった鉢植えだよ。でも、大麻ではなかなか死なない。殺すつもりなら、別の毒を使うはずだ。トリカブトだとか、修道女のため息とか」 「じゃあ、誰がなんのために?」 「おそらくは伯爵を意のままにあやつるためだ。爵位を思う相手にあたえるため、など」 「それってお家騒動ね。誰の仕業かわかる?」 「今のところ、もっとも怪しいのはエヴラールだ。彼が入手した酒に毒は盛られていた。が、断言するにはまだ時期尚早だ。くわしく調べなければ」  子どものころにはわからなかったけど、考えるときのワレスって、なんて素敵なんだろう? 青い瞳に知的なきらめきが灯り、もともとあざやかなその色を、よりいっそう深く神秘的に見せている。この世のすべてを見透かしたような目だ。 「ねえ、ワレス。あなたはお母さまの恋人だったんでしょ?」  ワレスは笑った。否定しないところが答えなのだろう。 「わたし、お母さまの宝石箱のなかに入っていた、あなたの手紙を見てしまったの。わたしたちの娘ルドヴィカって書いてあったわ。だから、わたし、あなたがほんとのお父さまなんだって、とても悩んだ時期があったのよ」  ワレスは優しい眼差しで、ルドヴィカをのぞきこむ。 「あなたはおれたちみんなの希望だった。天から使わされた子どもだ。あなたの微笑みが、おれたち全員を救ってくれた。だから、愛情をこめて、あなたを私たちの子どもと呼んでいた」 「あなたがお父さまじゃないの?」  ワレスは首をふった。 「あなたの母上は若いころ、身分違いの役者と恋をして、でも相手は不慮の事故で死んでしまった。あなたの母上は深く嘆き悲しみ、今にも死んでしまいそうだった。あなたがいてくれたから救われた」 「そう」  十数年ものあいだの悩みが、こんなにあっけなく解けてしまった。ルドヴィカの父の素性は知れた。役者か。まあ、そんなところだろう。  ルドヴィカはワレスの端正なよこ顔を見つめた。今しかチャンスはない。この事件が解決したら、ワレスはもう二度とルドヴィカたちの前に姿を現さないだろう。  ワレスの頬に手をかけて、ルドヴィカはすばやく唇を重ねた。 「じゃあ、わたしがあなたを好きになるのは自由よね?」 「……」  ワレスはルドヴィカを見つめたのち、そっと頭をなでてきた。 「おやすみ。ルカ。私たちの娘」  そのまま、隣室へ去っていく。小娘の誘惑なんて見むきもしない。  悔しさに、ルドヴィカは泣き寝入りした。
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