第五話 ラ・ヴァン公爵の花嫁

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 ギュスタンは初恋の少年を精霊だと信じて疑っていない。  しかし、リアリストのワレスは、そんなバカなことはありえないと思う。 (しかしな。相手の名前以外、何もわからない。二十年以上も前の話だしな。今さら、たしかめようがないか)  まあ、青春の日の美しい思い出として、ギュスタンは満足しているようだからいいだろう。  ところが、昔話が終わってヒマになったギュスタンは、ワレスのふとももをなでながらホールをながめていたが、急に「あっ」と大きな声を出した。 「あれだ! あそこに音楽室の精霊がいる!」 「そんなわけないだろう?」  失恋のショックのあまり幻覚が見えるようになってしまったのかと、ワレスはあやぶんだ。  が、ギュスタンが指さすホールを見おろせば、たしかに、ちょうどよく見える中央あたりに少年が立っている。黒髪を紐でしばり、少年らしい丈の短いユイラ服に編みあげサンダルをはいている。 「あの子だ。まちがいない」  ギュスタンはカウチから起きあがると、階下へ走りだす。ワレスもあとを追った。すその長いローブが足にまといついて走りにくい。ほんとの花嫁なら絶対にしないくらい裾をからげて、大胆に走る。 「待ちなさい。君、名前は?」  一階についたときには、すでにギュスタンが少年を問いつめていた。  どこから見ても十四、五歳の少年だ。このくらいの年のユイラ人らしい、中性的な美少年。物憂いブルーグリーンの瞳が、いっそう妖精のようなふんいきを高める。しかし、ワレスはある事実に気づいていた。 「テランスです」 「テランス。会いたかった。なぜ、君は消えてしまったんだ? やはり、君の正体は——」  少年は首をかしげている。まだ声変わり前の好きとおるようなソプラノのテランス……。  ワレスは二人の会話に割って入る。 「ギュスタン。待ってください。彼はたぶん、あなたの知っているテランスとは別人だ」 「別人? でも、こんなにそっくりなのに。それに名前も同じだ」 「名前は親戚の誰かからもらったんでしょう。貴族のあいだではよくあること。父や祖父や叔父からもらって、同じ名を名乗るでしょう?」 「父……そうか。君は、あのときの少年の息子なのか。父上はどこにいるんだね?」  だが、テランスは戸惑った。無言のまま、かたわらに立つ魔王の扮装をした男の手をにぎる。テランスが成長したら、きっとそんな感じになるに違いない大人だ。  魔王を見つめるギュスタンの瞳に、恋の炎がともった。ああ、マズイとワレスは思う。失望の痛手が深まってしまう。 「テランス……君かい? 私の音楽室の精霊は?」  魔王はどこか悲しげな微笑で目を伏せる。  すると、背後からジョスリーヌの声がした。 「あら、タイス。おひさしぶりね。まあ! あなたの子どもね? 昔のあなたにそっくりだわ」 「ええ。ジョス。お元気そうね」  その声を聞いて、ギュスタンは困惑した。それはそうだろう。相手が男だと頭から信じきっているのだから。  ワレスは説明した。 「ギュスタン。思いだしてくれ。今日のパーティーは男女あべこべだ。つまり、男の格好をしているのは、みんな、ほんとは女なんだ」  それでも、ギュスタンは事実を把握できないようだ。というより、頭が拒絶したのかもしれない。残酷なようだが、これが現実だ。 「ギュスタン。あなたの精霊は少年じゃなかったんだ。彼女はたぶん、最初はおもしろ半分で男装して、騎士学校に侵入したんだろう。探しても見つからないはずだ。彼女は第三校の生徒だったんだから。とっさに名乗ったのは兄弟の名前じゃないか?」  ワレスが流し見ると、魔王は申しわけなさそうに頭をさげる。 「ほんとにごめんなさい。ラ・ヴァン公爵。あなたをだますつもりじゃなかったんです。最初はただのイタズラで。でも、ヴィオラを弾くあなたに惹かれて、何度も男の子のふりをして通ってしまった。テランスは弟の名です。本名はタイス・ル・ジュエ。この子はわたしの娘ですわ」  ワレスはチラリとギュスタンをながめた。完全に男性にしか興味のない男色家である彼にとって、初恋の人が女だったという事実は受け入れられるのだろうか?  当然ながら、ギュスタンはショックだったようだ。しばらく目を閉じて、何事か物思いにふけっていた。やがて目をあけると、おだやかに微笑んだ。 「あなたが見事に消えてしまったので、私はてっきり、音楽室にだけ現れる精霊なのだと思った。タイス。あなたは今、幸福ですか?」  すると、タイスの表情がくもる。 「あなたをだました罰でしょうか? 夫に早くに死なれて、さみしい身の上ですわ」  すると、ギュスタンはワレスの思ってもみなかったセリフを言ってのけた。 「では、テランスには後見人となる父親が必要ですね。私と結婚しませんか? 私は男色家なので、女性と夫婦生活は送れないが、あなたのことは幸せにしてあげたい」  ワレスなら、自分に見向きもしないで、男と浮気ばかりする伴侶なんてお断りだが、タイスは静かにうなずいた。それも、うっすらと頬を染めて。初恋を今も忘れていなかったらしい。 「あら、おめでたいじゃない。よかったわね。ギュスタン。テランスがあなたの甥と結婚してくれたら、後継ぎにも困らないわ」と、ジョスリーヌ。  もしかしたら、何もかもジョスリーヌの差し金ではないかとすら勘ぐる。  でもまあ、ギュスタンが嬉しそうなので、パーティーは大成功だ。  ワレスは花嫁のヴェールと花冠を外し、タイスの頭に載せた。 「今夜はあべこべの日だから、ギュスタンにかぶせるべきだったかな?」 「ワレス。それは勘弁してくれたまえ」 「おめでとう。ギュスタン」 「ありがとう。私の友達」  魔王と魔女がならんで、なかなかお似合いだ。 「では、お祝いよ。たくさん飲んで、たくさん踊りましょ」  ジョスリーヌの言葉で楽しげな音楽が始まる。  宴は夜どおし続いた。  了
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