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第五章
目が覚めると、体の節々がだるいし、喉の奥から気だるさがせり上がってくるのを感じる。僕はうっすらと目を見開くと、世界が黄ばんで見えた。……当然か、昨日は徹夜していたんだから。
昨日は小泉に指示されながら、観測機の組み立てに躍起になっていた。
設計図を見ながら、それを組み立てていくのだけれど、どうにも手作りパソコンを組み立てている感覚と似ているような気がする。メモリがどういうふうにデータを読み込んでモニターに吐き出しているのか理解していなくっても、パソコンを組み立てらるし、使えるのと一緒。
いったいどんな仕組みで平行世界を観測して、その目的の平行世界に移動できるのか、さっぱりわからなかった。最後まで組み終えたそれを見て、僕はそのまま布団に倒れて、泥のように眠ってしまったという訳だ。
出来上がったそれは、てっきりどこかの青いロボットが乘ってきたタイムマシンのような乗り物が出来上がると思っていたのに、液晶テレビより前に存在していたブラウン管テレビのようなものだった。
「……おはよう」
「ああ、おはよう」
既に起きていた小泉は、早速観測機をカチャカチャと動かしていた。僕は枕元に置いていたメガネを取って、それをぼぉーっと眺めてみる。
チャンネルはダイヤルで回すというチープ具合に拍子抜けしていたら、小泉は見たいテレビを探すように、ダイヤルを回しはじめた。
「これって……本当に観測機なんだよな? テレビをつくっていた……っていう面白いオチにはならないんだよな?」
どうにかメガネ越しに目を擦り上げながら、まぶたがくっつきそうになるのをこらえて、モニターを見ていた。
モニターは砂嵐で、ますます放送時間が終了したテレビのような様子になっていく。
何回か小泉がチャンネルを回したあと「おっ」と言いながら手を止めた。
映っているのは、見覚えのある住宅街。そこを僕が必死な顔で走っている姿が映っていた。それに僕は息を飲む。僕を追いかけてくるのは、汗でセーラー服が貼りついているのもものともしない海鳴の姿だ。
この間のことか? 一瞬そう思うが、ちがう。この間のとき、海鳴は無表情で僕を追いかけてきていたはずなんだ。なのにこの僕をダガーナイフをかまえて追いかけてくる海鳴はなんだ。
泣いてるじゃないか。
僕は何度思い返したとしても、夢の中で彼女が泣いていたことはない。いつも無表情で、ロボットのような無機質な顔で僕を殺そうとしていたはずなのに。
僕を見つめているときは、いつだって無表情だった……昨日みたいに泣いていたのは、レアケースじゃなかったのか。
だから、いっそのこと僕に恨まれてくれればいいのに、どうして海鳴はそうさせてくれないんだ。
思わず唇を噛みながら、海鳴がダガーナイフをかまえているのを眺めていたら、小泉は「ふむ」と顎をしゃくった。
「……今度はいったいなんなんだよ」
「君が言っていた、何度も何度も夢として繰り返し海鳴くんに殺されるのを体感していたというのについて、少し考えていたんだ」
「……そうだよ、本当に小さい頃からだよ。最初はホラー映画を見たせいだって思っていたんだよ。それを、何度も何度も、細かい部分は違っても概要は全部同じ」
昨日話した部分。小さい頃から繰り返し夢で、自分が殺されるのを見ているなんて、我ながら正気の沙汰じゃないとは思っているけれど。
それに小泉は顎をしゃくりつつ、モニターを眺めたまま、言葉を続ける。
「そこなんだが。これは海鳴くんが自分に都合よく記憶を改竄していたのと同じく、入江くんもまた記憶を改竄していたんじゃないかと思ってな」
「……は?」
そんなことは思ってもみなかったことだ。そもそも誰にも相談できることじゃなかったから、ひとりでグチグチあの夢を回避することについて悩んでいたんだから。
小泉は僕が呆気に取られているのを無視して、言葉を重ねる。
「人間というものは、誰かを恨む、憎むときに、それと同時に『それはいけないことだ』と罪悪感を持つようにできている。特に日本人という人種はそれが顕著で、性善説というものを頑なに信じるようにできている。だから『これは恨まれても仕方がない』という理由を探し出し、それを大義名分として堂々と恨みはじめるようにできている。政治家や芸能人がスキャンダルごとにマスコミに叩かれるのも、大企業が会社の経営方針で失敗して責任追及を執拗にされるのもまた、その恨みの矛先としてだ。失敗して恨んでもいいという大義名分をいつだって探しているという訳だ」
「……僕が思い込みのせいで、海鳴を必要以上に恨んでいたって、そう言いたいのか?」
「いや? 普通に考えたら、自分を殺そうとする人間に対して、恨む、憎む、脅えるというのは普通の感情だ。だけど僕はそこに疑問を持つんだ。矛盾していないかと」
おいおい……それだったら普通のことじゃないか。普通、自分を殺そうとする人間に対しては脅えてしかるべきだろ。全然おかしくない。
矛盾点なんて、どこにもないだろうが。
「まどろっこしいな、お前の説明は長ったらしくってわからん。要点だけ言え」
「君は海鳴くんのことが好きだから、必要以上に恨むんじゃないかね?」
……要点だけ言えとは言った。たしかに言った。でもここまで端的に言えとは言ってない。いきなりの小泉の指摘に、クラクラとめまいを覚えた。
そもそも、海鳴が原因じゃないか。僕のポニーテールと暴力女嫌いは。嫌いになる理由はたくさんあっても、好きになる理由が見つからない。
僕は否定の言葉を紡ごうとするが、小泉はあくまで冷静に畳みかけてくるのだ。
「一応これでも、僕は何度も何度も告白されてきた身だからね。君よりはよっぽど恋愛については詳しいと思うよ」
「嫌みか」
僕の切り返しはまるっとスルーして、小泉は淡々と言葉を重ねてくる。
「いや、恋というのは脳病の一種だからね。生殖本能の一種として、違う遺伝子を集めるために、異性との交流の際、無意識の内に判断基準や倫理水準を歪めてしまう動きをする。海鳴くんの健忘症といい、入江くんが歪んだ形で海鳴くんに殺される記憶を持っているのといい、恋が脳病だというのはあながち間違ってはいないと僕は思うね」
これはきっと池谷あたりが聞いたらショックを受けそうだから、この場で流しておかないといけないだろう。でも。
そんな無茶苦茶な理由で、ここまで記憶なんて歪むものなのか?
僕が口をパクパクとさせている間に、小泉は続ける。
「まあ、真相はどちらでもいいが、推測でいけば、記憶をさんざんストレスで改竄し続けた海鳴くんは、近い将来そのストレスに耐え切れなくなり、記憶の改竄が追い付かなくなる。今のうちに止めないといけない訳だが」
「それって……一番はじまりの、海鳴の言っていたあいつの『好きな人』が死ぬのを止めるって奴か?」
「いや? 違う……おそらく、これで正しいと思うんだが」
入江は再び観測機に視線を移すと、観測機のモニターには、まさしく今、海鳴が僕を殺そうとしているシーンが映っていた。まさか自分が殺される場面を見ることになるなんて思いもしなかった。
海鳴は僕の上に跨り、涙をいっぱい溜めた顔で、ダガーナイフを振り下ろした。
僕はバタバタともがく。ナイフ一回だと、ただ痛いだけで、自分に跨った海鳴をどうにか振り落とそうとバタバタするが、それでも頑なに海鳴は肉付きのいい太ももに力を込めて僕の上から降りようとはしなかった。
二回、三回、四回、五回……。
ドラマであったら血が噴水のように飛び散る場面だというのに、思っているより血は勢いよく出てこない。それでも何度も何度も滅多刺しにされた僕は、血が足りなくなってきたんだろう。だんだんと抵抗できなくなっていくのがわかった。
何度も何度も激しく僕を刺した海鳴は、顔を歪めながら僕を見下ろしている。もう僕の目は虚ろになってしまい、恐らく海鳴を見上げてはいても、もう見えてはいないだろう。
海鳴は顔を歪めている。それは怒りではなく、悲しみでもなく、ただ混乱しているかのように、既にピクリとも動かなくなった僕を抱きしめていた。
自分が殺される場面なんて見せられたら、もっと動揺すると思っていたのに。夢で何度も何度も刷り込まれていった恐怖はいったいどこへ消えたんだというくらい、僕の気持ちはひどく凪いでいた。ただ、ムカついていた。
どうしてこんなに海鳴が混乱して泣いているのに、あいつのいう「好きな人間」が死んでしまうんだということが。どうしてあいつは報われないことをずっとやり続けているのか。
もう終わらせてやりたかった。楽にしてやりたかった。それが正しいことなのかどうかはわからないけれど。
「……ひとつ聞いていいか? 海鳴はいつだって平行世界を渡り歩いていて、あいつは元いた時代に帰ってないみたいだった。観測機って、移動したら、そのまんま移動しっぱなしなのか? それ使って戻ってこられないのか?」
小泉にそう聞いてみると、小泉は至って冷静なまま答えてくれる。
こいつはこいつで、人が殺されている場面を延々と見ていたくせして、平常心のままだった。こいつが荒んでいるところは、俺は一度も見たことがない。
「普通に戻ってこられるさ。おそらくだが、海鳴は混乱して移動していた際、その場にあった僕のつくった観測機に乗り継いでいたんだろうさ」
「そうか」
「行くのかい? 使い方は教えよう」
「……頼むよ」
小泉に頼むというのがシャクだったし、こいつはわかっていない訳ないのに、手伝ってくれるこの現状がシュールだった。
だって、僕が向かうのは一番はじまりの時間。海鳴が平行世界を渡り歩くきっかけになった世界だ。僕はそこに向かって、たった一度の殺人を犯さないといけないんだから。
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