夏の妖精

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「あぁ! イッチ速すぎー。たまにはわざと落ちたりしてよー」 一位、二位と表示されている画面を見ているとかおりが コントローラーをそのあたりに置いて、 俺の周りをグルグルと走り始めた。 「ゲームじゃなかったら、こんなに速いもん!」と 威張るカオリをよそ目に 俺はテレビゲームの電源を切って、壊れているままの襖のドアをくぐると すぐ横を俺にしか見えない少女が走って通り過ぎた。  テクテクと階段を降りていくのを確認していると 「ねぇ、久しぶりに秘密基地に行こうよ」という 陽気な声が一階のどこかから聞こえた。 俺が声の元に向かうと、声の主はもうとっくに玄関を出て 勝手に親父の自転車を取っていた。 「それっ、俺の親父のやつだから元のところに戻してくれ!」と言うと、 どこか寂しげにその自転車を戻してくれた。 しかし、久しぶりに夜に外に出るような気がした。 ここらへんは道は狭いくせに住宅とかだけは無駄に多い。 駅員不在の無人駅に何分かで来る列車に乗ったら高校までの間には 鮎喰川(あくいがわ)の河川敷も眺める事もできる。 でも、俺ん家があるところは周りに神社とかしかなくて 近くの公園に行くにしても徒歩で40分はかかる。 「きょーうのイッちゃんはー♪ のんびりしててー♪ 朝からバタンキュ」 スローテンポでのんびり手を振りながら歩くカオリの 自称:カオリ節を約六年振りに聞いているとほとんど人気のない、 ついでにいうと街灯もない真っ暗な道の中、 カオリがしゃがみこんだのが分かった。 念のため家から懐中電灯を持ってきている。 それで示した先にあったのはタンポポの群れだった。 意気揚々と「くび、ちょーんぱ」とか言いながら 群生しているタンポポの大量殺戮を開始した。 ちょうどその時、左から歩いてくる男女が目に入った。 制服姿の遠野利光と夢乃雫だ。夢乃はメガネからコンタクトに なっているし遠野に至っては無駄に大人びた性格になっている。 持っていた懐中電灯を消して 「遠野に夢乃も……何の用事だ?」と慎重に聞くと 「自動販売機と本屋の帰りだ」と短い髪をした 遠野が炭酸水を堂々とこちらに見せてきた。 「あぁ、そうなのか。それで勉強のほうとかは?」 「この前の模試で俺が一〇位、こいつが五位だ」 遠野はそう言って、隣にいる夢乃の事を示した。 どちらも農学科だが、 裏で自主勉強を続けている 学年成績トップクラスの二人には頭があがらない。  すると「わぁ!トッシーにユメっちだー」と歓喜の声をあげて カオリがつい先ほどに大量殺戮をやめたであろう タンポポのの花を渡そうとしていた。 花が宙に浮く寸前で 「おい! カオリ、それはやめておけ」とタンポポを奪い取ると 「……お前、何で今頃になって死んだ奴の名前言っているんだ?」と 遠野が真剣に聞いてきた。 「いくら同じ高校に進学していても、俺たちにとっては底辺みたいな高校なんだよ」 「進学してすぐに不登校になって、死んだ奴の名前も呼んで、気でも狂い始めたのか?」 どんどん遠野の責め立てるような口調は勢いを増して、 思い出をなきものにする。 「イッチの悪口いうトッシーは嫌いだよー! みんなずっと仲良しなんだよー」と 遠野達の背後で俺にだけ見える 白いワンピース姿のカオリが少し涙目で叫んでいるのが分かると 俺は「……もういい」と静かに残して、その場から逃げ去った。  かけっこみたいな速さだが、ぎりぎり競歩だ。 カオリは数メートル進んだ交差点の信号を待っているうちに 「観音寺(かんおんじ)にいってくるー」と残して、 交差点の後ろにある小さな神社に行ってしまった。 止まるぐらいなら、抜け道をする。 転ぶぐらいなら、飛んでやる。 あの日、俺たちはいつものように 『タイムメモリー応援団』の基地にいた。 それは夏休みの終わり頃で周りの木々には蝉の死骸がいくつかあって、 そんな中、俺たちは冷房などもない小屋の中にいた。 メガネをかけていて、今と違って三つ編みにしていた夢乃が ちょうど残り一つのガリガリ君を食べている頃、 隣に同じようにしてソファに座っていた麦わら帽子を被った深田が 「ねぇ、一ノ瀬って本間香織の事、好きなんでしょ?」と静かに言った。 小屋の隅っこにいた俺は その問いに対して黙りこくっているしかなかった。 当の本人は大きな瞳をどこかにうろつかせながら 奥のテーブルに乗って 足をブラブラさせている。 入り口あたりで阪神タイガースの帽子を深めに被った遠野が 「早く言えよ。メンバー全員隠し事はナシ、だろ?」 時間が経つにつれて坊主頭の持田の 「言え言えコール」と手拍子は強くなる。  ここで何も言わなかったら、リーダーとしての品格が問われるだろうし 言え言えコールは無限に続くし、 小屋の四方八方からメンバーの視線が俺に集められている。
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