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ぼんやりとしていると、社長は獲物を見つけた獣のように目を光らせた。
「いた、彼だ」
飲み物に口をつけた社長は、グラスを置くと腕時計を撫でるように触れる。これは彼が気合を入れる時の仕草だ。
「社長? いたって、どなたですか?」
「ゆかり君、ここでは社長と言わないで、イッセイと名前で呼ぶんだ」
「はぁ」
「オレがここまで来たのは、サルシェジード・ビンダール、サウジアラビアの大富豪に会うためだ」
ビンダール! それって、もしかすると王家なのでは? 王家だとすると、彼は王子様ではないのだろうか。そんな人に会いにきたって、何をするためだろう……いや、わかるけれど頭がそれを認めたくない。
「しゃ……いえ、イッセイさま。もしかしてもしかすると、彼に会いに来たってことは」
「もちろん、石油王になるためだ」
本気だった! この人、本気で石油王になりたがっていた!
いくらお金持ちだからと言っても、今から石油王になるなんて無理がありすぎる。確かにサウジアラビアにはまだまだ石油埋蔵量は豊富だけれど、採掘権がないと話にならない。
そんなことにはお構いなしに、彼は大胆にも王子に近づいていく。隣に立つことが今日の私の仕事だから、離れないように早足でついていった。
『こんばんは、今夜はお会いするのを楽しみにしていました』
社長はイギリス仕込みの流暢な英語で話しかけると、王子は振り返ってじろりと彼を見つめる。王子といっても、年齢は私の父くらいの方だ。彫の深い目を鋭く光らせ、髭をたくわえた顎を押さえている。突然話しかけてきた社長が何者かを探っているようだ。
『私はイッセイ・ヒジリと申します。以前、海水を真水に変える技術の件で問い合わせを受けた者です』
社長が自己紹介を終えた途端、彼は冷たい表情を崩すと顔を破顔させて白い歯を見せた。社長が支援するベンチャー企業の一つが開発している新技術に、興味津々といった顔をしている。
『あぁ、ヒジリか! あの技術は素晴らしいよ。ぜひ我が国で採用したい』
握手をするために手を差し伸べた王子が、いかにも親し気な雰囲気を出して社長の肩をもった。
『兄弟、今宵は共に語り合おうではないか!』
社長も社長だけれど、王子も王子だ。最新技術を手に入れるため、社長を絡めとるように態度を変えた。
『それはいいのですが、私も欲しいものがあります』
『なんだ、兄弟。遠慮はいらないから言いたまえ』
『殿下の持っている油田の採掘権を売ってください』
社長が大胆にも提案した途端、王子はピキリと動きを止めた。二人の間に冷たい空気が流れている。
『君は面白いな。採掘権とは、どの地区を望む』
『近頃見つかったF-2地区を』
『あそこか……』
王子は髭にそっと触れると、一瞬私を見てニヤリと口角を上げた。あれはきっとろくでもないことを考えている顔に違いない。嫌な予感がして、背中がヒヤリとする。
『わかった、では勝負しよう。私はF-2地区の採掘権を売ることを。君は淡水化技術と……そうだな、隣の美人を今度一日貸してくれればいい』
王子はいかにも卑猥な目つきで私を見た。社長のとんでもない野望と引き換えに、私を望んでくるなんて。一日だけだと言うけれど、やっぱりそれって身体を求められているのだろう。
でも、私はこれまで男の人を経験したことがない。生粋のお嬢さまとして育てられた私の貞操観念は堅かった。
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