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「社長……」
思わず涙目になって社長のタキシードの裾を引っ張ってしまう。彼の力になりたいけれど、もし勝負に負けたらいけ好かない王子に私の処女を食べられてしまう。そんなのは嫌だと身体が拒否反応を示していた。
「ん、どうした?」
優しい目で私を見下ろした彼に、縋るように耳元で囁く。これだけは伝えたかった。
「私、社長の力になりたいです。だから、条件を受けてください。でも……初めてはイッセイさんがいい」
混乱と緊張で私はどこかがバグっていたに違いない。いきなりとんでもないことを告白した私の顔を覗き込んだ彼は、「それって、どういう意味?」と目を丸くして聞いてきた。
「私の処女を貰ってください。その後なら、あの王子と一日過ごしてもいいです」
ひくっ、ひくっと涙ながらに説明をすると、社長は再び私に確認する。
「それって、オレに抱いて欲しいってこと?」
「はいっ」
ハンカチで目を押さえようとする前に、社長が顔を寄せて眦にキスを落とした。「えっ」と思ったところで、私の頭をゆっくりと大きな手で撫でる。
「わかった」
頷いた彼は、私の腰を抱き寄せながら王子に向き合った。
『残念です……彼女は私の大切なフィアンセなので、殿下といえどお貸しするわけにはいきません』
「社長!」
こんな機会はありえないのに、社長は王子の提案を断ろうとしている。私は彼を見上げると、今度は頬にチュッとキスをされた。
「君以上に大切なものはないと言っただろう?」
頬に手をあてながら、私は何も言えずに固まってしまう。私はいつの間にフィアンセになったのだろう。目の前でいちゃつき始めた私達を白んだ目で見た王子は、呆れたように首を傾けた。
『なら、この勝負を降りるのか?』
『いえ、殿下にはあの企業のオーナーの権利を賭けましょう。そうすれば、技術を欲している国にいくらでも提供できますよ』
にっこりと笑った社長を前に、王子がぐぐっと喉の奥を鳴らす。
『君は余程フィアンセが大切なようだ。あれほどの金の卵を手放すとは……よし、では勝負しよう』
二人の男の思惑が重なった瞬間、王子は手をパンパンと打った。周囲にいる護衛と思しき者の一人が、さささっと走っていく。
『勝負はルーレットで』
『いいだろう』
王子の指定する勝負は、ルーレットを転がる玉が赤枠か黒枠のどちらに落ちるかをあてるゲームだった。カジノの中心に位置するルーレットまで、歩いていくうちに周囲が騒然としてくる。どうやら、油田の採掘権を賭けた勝負であることが光の如く広まったようだ。
王子はルーレットの台までくると、ディーラーに『貸し切りだ』と伝える。それまでルーレットを楽しんでいた人たちもさっと避けていく。彼が何者であるか、皆知っているからだ。
『兄弟、君に選ばせよう。赤と黒。どちらがいい』
『そうですね、フィアンセの服の色が赤なので、今夜は赤にしましょう』
『ははっ、ずいぶん彼女にぞっこんなようだ』
朗らかに笑う王子の隣に立った社長は、白い札を持つと赤の印の上に置いた。王子も同じように札を黒い印に置く。
『では、始めます』
ディーラーはルーレットを勢いよく回し始める。クルクルと盤上を回り始めたところで、私は祈るように手を胸の前でギュッと握りしめた。
「ゆかり、大丈夫だ」
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