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彼の低い声が聞こえる。石油王になりたいだなんて、馬鹿げたことを言い出した彼を、私はもう怒れなくっていた。
「これが決まっても、君を寂しくさせないから」
ディーラーが投げた玉は、カラカラと音をたてながら転がっていく。赤、赤と心の中で唱えながら、ルーレットの盤を凝視する。息を止めていた私は、最後の瞬間に玉が私の目の前でカランと音を立てたのを聞いた。
「え……」
ドクン、ドクンと心臓が脈打つ音が耳の奥に聞こえる。まるで周囲にあったざわつきが無くなり、私は盤の上にある白い玉を目で追いかけた。
——赤だ!
私のまとう色の枠にはまった玉が、どこか誇らしげにしている。勝負はついた――社長の勝ちだ。
ホッと一息したところで周囲の人たちの感嘆する声が聞こえてくる。それだけ王子が採掘権を売ることは珍しく、周辺が騒々しくなっていた。王子はまいった、と顔を顰めているけれど、注目を浴びた勝負を楽しんでいるみたい。
鳴りやまない拍手を受けた社長は、片手を上げて挨拶をしている。自信を持ち堂々とした姿、笑顔を絶やさず、でも威厳のある態度。彼なら本当に石油王になってしまうかもしれない。
「社長、良かったですね」
声をかけた私の腰を再びぐっと引き寄せたかと思うと、身体の向きを変え私の唇に社長のそれが重なった。
「……んっ、んんっ!」
こんな大勢の前で注目されながらキスするなんて、信じられない!
社長の胸をドンドンと叩いてもびくともしない。ちゅっ、ちゅと音を立てて唇に吸い付いた彼は、最後にひと際大きな音を立てて唇を離した。
「次は、二人きりでもっと深いキスをしよう」
バリトンを利かせた声で囁かれると、身体の奥がキュッと疼く。周囲はまるでショーを楽しむかのように、社長を囃し立てていた。
◆◆◆
勝負に勝った社長は王子と握手を交わすと、お互いの秘書を紹介し合う。これからはビジネスの話になるから、また日を改めて、と話が決まった。
社長は私を連れて、宿泊先のホテルの部屋に一緒に入る。秘書だから身の回りのお世話をするためだ。それなのに、なぜかスィートの部屋にあるリビングの、三人掛けのソファーに一緒に座る。目の前にはラスベガスの眠らない夜景が広がっていた。
「乾杯」
今夜は二人きりだから、飲んでもいいとシャンパンを用意してくれた。フルートグラスの中には黄金色をした泡が弾けている。
「今夜は君のお陰だよ。赤い服を着ていたから、迷うこともなかった」
「そんなこと言って。社長はいつでも強運の持ち主ですよ」
ご機嫌な彼の相手をするのは楽しい。窓の外にはまるで星をばら撒いたかのような夜景が広がっている。勝負のことで高揚していた私は、自分の言った告白のことをすっかり忘れていた。
けれど、社長はしっかりと覚えていた。
「……で、いつ叶えようか。君の願い」
「私の願い?」
「そう。しっかり確認したからね」
願いごとなんて、社長に言っただろうか……と思ったところで、「あ!」と小さく叫んでしまう。顔中に血がどわっと上がってくる。そうだ、私は確かに彼に言っていた。「私の初めては社長がいい」と。
「……あれは、そのっ」
「プロポーズが先がいい? それとも、身体の相性を確かめあった後がいい?」
「ひゃい?」
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