76人が本棚に入れています
本棚に追加
だいたい社長が自社ビルから飛び降りるなんて、株式保有されている皆様に悪いと思わないのか。そんなアホなことをする社長のせいで株価が暴落したらどうするのか。
普段は鋭く問題に切り込むくせに、どうして自分の行動が危ういと気がつかないのだろうか……幸い、私と二人きりの時の会話だったから、漏れずにすんだけど。
でも、彼は危険だからといって行動を変えるような男ではない。そんなことは十分わかっている。だからいつもの手を使って止めさせていただいた。
「社長、ビルから飛び降りるなんてこと、やめてください。どうしてもって言うなら……私も一緒に飛び降ります!(だからやめて)」
秘書を危険なことに巻き込むなんてこと、流石にしないと思ったけれど。社長はニタッと笑うと口角を上げた。——いつもの、悪戯を思いついた時の顔だ。
「よし、だったら一緒に飛び降りよう! 速水!」
「はっ」
するとどこからともなく姿を現した速水さんが、「社長、こちらを」と言ってヘルメットを渡す。「えっ」と言った途端に社長に拉致されると、高級車に押し込められた。
気がついた時には、小型飛行機で上空三千メートルに到達し、タンデムで飛び降りることになっている。ごうごうと風を切る音が響く中、社長が背中にくっついた。
「どうして二人で? インストラクターさんじゃないんですか?」
「オレもインストラクターの資格を持っているぞ、なんだ、不安か?」
「不安しかありませんっ!」
そう言っても目前の扉は開かれ、もう飛び降りるばかりだ。彼は親指を上げると「いくぞ」と耳元で声をかける。
「どうしてこうなるの?」
叫ぶ間もなく、カウントダウンが始まった。
「さん、にぃ、いち――ゴーダウン!」
インストラクターさんの指示に従って、社長は私を抱えながら飛び降りた。
「ひぇーー!」
目の前が白くなり風の音が耳をつんざく。パラシュートが開き、ぐっと圧がかったところで社長がしっかりと抱きしめてくれた。
無事に着地した後で、彼に正面からしがみついて泣いたのは、佐藤さんにはナイショだ。彼は私の髪をくしゃっとしながら撫でてくれた。
あの時心に決めたのだ。——社長への発言は最低限にすることを。
それなのに。
またしても社長のわがままに付き合わされている。私は死んだ魚のような目をして、成田空港から飛び立つ飛行機の中で滑走路を見ていた。
◆
ファーストクラスの座席をフラットにして、秘書のゆかりは目を閉じている。成田空港を飛び立ってから二時間。もう、寝てしまっただろうか。
——相変わらず、寝顔も可愛いな。
飛行機内で読もうと手にした資料を置き、足を組んだ。彼女が秘書になってから一年、日々楽しくて仕方がない。
綾大路ゆかりとの出会いはかれこれ二十年近く前になる。十二歳の生意気なガキだったオレが出会ったのは、まだ小学生になりたての幼い少女だった。
当時、オレは夏休みになるとイギリスの別荘に送り込まれ、英語で勉強することを強いられていた。
座学だけでなく、乗馬も学ぶように言われ定期的にクラブに通う。するとそこに、日本人と思しき女の子がいた。同じように、夏休み中に英語を学ぶために連れて来られたのだろう。
スケッチブックを持ち、何かを描いている。上手いとは言い難いが、どこか愛嬌のある絵を描いていた。
『おまえ、何を描いているんだ』
最初のコメントを投稿しよう!