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 不安になったクムイがじっと窺うように見つめていると、むっつりと黙ったままだった青年は根負けしたように口を開いた。 「こうして人の身をとるのは嫌いだ。姿かたちがなければ音楽に漂っていられる。人の身ではそれがかなわない」 「音楽に漂う……」  人間であるクムイにはその感覚はわからなかった。どんな感覚なのだろうかと首を傾げると、青年は目を閉じてしまう。答えるつもりはないようだ。  シーンとした静けさが通り過ぎる。忌み嫌うかのよう目を閉じ、青年は動かない。どうやら、人の身になるのはそれだけ嫌なようだ。  しかし、はいさようならと別れてしまえば、六弦琴は壊れてしまう。それはクムイも譲れなかった。 「ご、ごめんなさい。呼び出してしまって。でも、帰ってもらうわけにもいかないの」 「だろうな。もしや諦めるかと待っていたが、ずいぶんとその楽器にご執着なようだ」  ふぅーと青年は目を開いて、髪をかき上げた。冷たい視線を向けられたが、クムイは頭を下げる。諦めきれないのだから、しっかりと礼は尽くすべきだろう。 「が、楽器を直してくれてありがとう。ええと……名前はあるのかしら?」 「名はない。だが、遠い昔に同じように呼び出したものがいた。そいつらはレグバやエシュと呼んでいたかな」  何かを思い出したのか、青年は含み笑いをすると遠い空を見上げた。ふっと空気が柔らかくなる。目は弓形になり、記憶を辿るように唇を撫でた。何かいい思い出でもあるのだろう。聞いてみたい、そう感じた時には、また硬い表情に戻ってしまった。 「レグバ……エシュ。どちらで呼べばいいのかしら?」 「お前の勝手だ」  投げやりな言葉に、クムイは少し怯んだが何度か名前を繰り返して、うんと顔を上げる。 「レグバもエシュも少し耳慣れないわね。……どちらかといえば、エシュが言いやすいかしら。うん、エシュと呼ぶわね。わたしはクワァームイ。略してクムイと皆呼ぶわ。こんな言葉でいいのかわからないけど、死ぬまでの間よろしくお願いいたします」  そう言って手を差し出した。青年――エシュはちらりとクムイの指先を見ると、仕方なさそうに手を取る。  冷たいがどこかに温もりを感じさせる不思議な温度だった。  初めて六弦琴を調律した時に弾いた、和音を思い出す。忘れかけた何かを拾い上げるような感触がする。
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