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それは私が4歳の頃だった。
当時私は米軍基地のある小さな町に住んでいた。
この町には軍人と彼らの家族が住んでいた。
アメリカ人の住宅は基地の外にもあり、日本家屋の外壁や柵を、グリーンやピンクなどの色とりどりのペンキで塗り直したものだった。
彼らとその家族は地元住民とも友好的であり、そんなアメリカ人家庭に飼われていたのがジョンだった。
ジョンは雄の中型犬で毛色は茶色。
繋がれることはなく、いつも放し飼いだった。
私は道で出会うと、名前を呼んでいつも頭を撫でていた。
それから間もなく、米軍基地は閉鎖され米軍は撤退した。
その際、ペットの犬たちのほとんどが日本に置き去りにされた。
そんなある日だった。
春が始まったばかりのポカポカと暖かい昼のことだ。
私は母に連れられて近所に買い物に出た。
スーパーで買い物を済ませ、母と手を繋いで家路に着こうとしていた。
その途中で近所の知り合いに出会い、母はその人と立ち話を始めた。
大人の世間話は退屈だ。
私は母の手を放し、トコトコ歩いて探検に出掛けた。
母が立ち話をしている表通りからすぐの脇道に入る。
舗装された表通りから一歩、脇道に入ると道の両側には菜の花が咲き乱れていた。
黄色い菜の花には白いモンシロチョウが戯れ、私はその1匹を追ってぐんぐん脇道の奥へと歩いて行った。
「あ!ジョン!」
その時だった。
林へと続く、脇道の奥からあのジョンが現れた。
「ジョン、おいでおいで!」
私はジョンに会えたのが嬉しくて、彼に近寄って行った。
ジョンは私を見つけると、じっと立ち止まって動かない。
ただ私の顔を見据え、鼻の頭に幾重にも黒く深い皺を寄せた。
そして、いつものように頭を撫でようと、私が手を差し出した瞬間。
「ギャアアア!!」
幼児が絞り出せる精一杯の大声で、私は悲鳴を上げた。
ジョンは私に襲いかかり右腕に噛みついたのだ。
私はジョンに馬乗りになられながらも悲鳴を上げ続けた。
だが死に物狂いで右腕を振り回しても、ジョンはガッチリと腕をくわえ込んで離れない。
私を抑え込んだあの時のジョンの顔を、今もはっきりと覚えている。
怒りで瞳は爛々と輝き、両眼は憎しみで醜く吊り上がっていた。
こんな恐ろしい顔の生き物を、私は生まれて初めて間近で見たのだった。
私の悲鳴を聞きつけ、母はすぐさま駆けつけた。
手に持った日傘で腕に食いついたままのジョンを、何度も打ち据える。
「グウウ!」
ジョンは1度手にした獲物を手放すのがよほど惜しかったのか、不気味な唸り声を残して林の奥へと逃げ去って行った。
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