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すぐに母は泣き叫ぶ私を家に連れ帰ると、咬まれた傷口を流水で洗い、消毒した。
その後、狂犬病の感染を恐れて病院にも行った。
注射を打たれ、傷口に包帯を巻かれながら、私はただ泣いていた。
右手にはくっきりと歯形が残り、犬歯の1本が手首の骨のすぐそばまで食い込んでいた。
「野犬になったけんね。ジョンはあんたの顔ば、忘れたっちゃろうね」
母の言う通り、人間に捨てられ野犬になったジョンは、毎日のように頭を撫でていた私の顔を忘れてしまった。
そして、自分を捨てた飼い主への恨みと憎しみを私へぶつけたのだ。
体も小さく、非力な幼児だった私を狙って。
犬はとても賢い。
飼い主に捨てられ、棲みかと餌を一瞬にして失ったジョンは人間への不信感と警戒心で一杯だったのだろう。
それ以来、私は犬を恐れた。
賢く計算高い犬を忌み嫌った。
結局、噛み痕が綺麗に消えるまで丸1年掛かった。
咬まれた痛みもさることながら、理由もなく愛する者から一方的に攻撃された衝撃の方が大きかった。
「シロみたいな犬は、いなかったんだよ。今まで」
私はベッドの中で小さく呟く。
私が通りかかる一瞬を、毎日楽しみに待っていた健気で可愛いシロ。
まるで、束の間の一生涯の中の、ただひとつの生き甲斐のように。
私はその夜、夏山の緑の薫りに包まれて泣きながら眠りに着いた。
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