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1.七種粥の匂い
正月から早くも七日が経って、今日は年明け最初の節句、「人日(じんじつ)」だ。
五節句の一つにあたる人日の節句は、新年を無事に迎えられたことに対する神への感謝と、邪気を払い一年の無病息災を願いながら七種粥を食べる。
古来からのしきたり通り、厨房から七種の穀物(米・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種)を煮るいい匂いが漂っていた。
朝日に照らされた中庭を掃除しながら粥の匂いを嗅いで、李浩易(リハオイ)は空を見上げた。今朝の冷え込みは強いがよく晴れて、冬の陽射しは優しく暖かい。
青空に目を細めながら、また一年が経ったと安堵の気持ちを抱く。浩易がこの工房に移ってきた日が、四年前の今日だったからだ。
あの時、まだ十五歳の浩易はとても不安で落ち込んでいた。
この先、職人として修業を続けられるかわからなかったし、工房を移ることになった悲しさや焦りや不安、人には言えない事情で気持ちがいっぱいいっぱいになっていた。
そんな心細い状態の浩易に、やさしい七種粥の味は泣きだしてしまいそうな情動を誘ったのだ。
もちろん、実際には泣いている暇などなく、必死に唇を噛みしめて新しい工房になじむべく努力してきた。おかげで浩易は若手職人たちの中で一目置かれる存在になりつつある。
七種粥を煮る香ばしくあまい匂いを嗅いでも、もう不安になることはない。
「おはよう、浩易。手伝おうか?」
同室の楚洪(チューホン)が大あくびをしながらやってきた。小太りの体を揺らして、眠そうな顔で浩易に笑いかける。ひとつ年上の気のいい男で、浩易がここに来て以来、いちばん親しくしている。
「おはよう、楚洪。もう終わるから大丈夫」
この時期に落ち葉はほとんどないが、習慣で朝いちばんにほうきを持ってしまうだけだ。あの頃、朝の静かな庭を掃いていると不安な気持ちが落ち着いていったから。
「腹減ったよ。朝からうまそうな匂いがするからさ」
「うん。食堂に行こう」
ほうきをしまって食堂に行くと、もう何人もの職人や見習いが粥を食べていた。
二人も大鍋からたっぷりの七種粥をついで席につき、熱々の粥をふうふう吹いていると、ふと楚洪が言い出した。
「そう言えば、沈(チェン)師匠の噂、聞いた?」
「ううん、知らない」
同輩たちと気安いとは言えない浩易は他人のことに疎い。というよりも、噂話にいい思い出がないから近づかないようにしているのだ。
「去年の品評会に出した簪(かんざし)が金賞をもらったことは知ってるだろ? あれが王宮の職人の目に留まったらしくて、名人の称号を得るかもしれないってよ」
修行に打ち込んでいて何事にも疎い浩易に、楚洪はこうして色々と教えてくれる。
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