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 時間をかけて煙草を二本吸い、亀の歩みでミーティングルームに向かうと、瀬名はリーフレットのパッキングを既に終えていた。ご丁寧にそれぞれに販促品を添え、二十部ずつに分けて社名入りの紙袋に入れてある。 「えっ、もう終わったのか?」 「ええ、一応。とりあえず在庫過多だったメモパッドとクリアファイルも入れといたんですけど、製品が合剤だしもっとうけのいい三色ボールペンとかの方がよかったですか?」 「いや、いい。それで充分だよ」  既存の薬剤を組み合わせて作られた配合剤は、服用する薬の数が減るため、患者にとっては都合がいい。だが頭の固い町医者や、既に多くの在庫を抱え持つ薬局からは、煙たがられる事が多かった。  新薬を次々に開発できれば世話はないが、それには莫大なコストと時間がかかる。保科が勤める央野薬品工業のような中堅製薬会社にとって、配合剤の市場拡大は生き残りの生命線となりうる重要な事業の一つだった。 「はー、めんどくせえな。こんな事なら遅れてでもミーティングに出ときゃよかった」 「部長は保科さんならなんとかしてくれると信じて任せたんだと思います。そうやってやる気なさそうに見せてても、保科さんは仕事に手を抜かないし、毎回きちんと結果を出すでしょう? 俺、いつもすごいと思って――」  途中で言葉を途切れさせ、瀬名はコホンと一つ咳払いをした。必要以上に熱くなっている自分に気づいたのだろう。グーの形にした手で口元を隠し、居心地悪そうに保科から視線を逸らす。  武骨な手に相応しく、その顔立ちは凛々しく端整だ。全体的に尖っていてシャープな印象を受けるが、深い色味の虹彩と奥二重の瞳が、男らしく整った瀬名の顔を優しげに見せている。 (ノンケで年下なんて絶対にごめんだけど、こいつの外見はわりと好みなんだよな)  落ち着いた見た目に反して、中身は意外なほど熱い。さっきのように臆面もなく恥ずかしい事を言ったかと思うと、こんな風に照れてみせたりする。そんなギャップをかわいいと思う女性は少なくないはずだ。  無言でまじまじと観察していると、瀬名がもう一度小さく咳払いをした。 「あの、なんです……?」 「別に何も? まあ給料貰ってんだし、与えられた仕事はきっちりやるよ」  受け取った紙袋を確認して、保科はおやと眉を引き上げた。用意された紙袋は五つ。一つの紙袋に二十部入っているので、ここにあるのはリーフレットだけという事になる。 「なあ瀬名、パンフレットはどうした? デスクに残してきたのか?」 「今日は大きいところもいくつか回る予定なんで、お手伝いができるんじゃないかと思って。勝手をしてすみません」  つまりパンフレットの方は自分が請け負うつもりらしい。実際余計なおせっかいだが、今夜にでも昨夜のリベンジを目論んでいた保科にとっては、ありがたい申し出だった。 「でもお前はお前でやらなきゃいけない仕事があるんだろ? 無理してるんじゃないか?」 「大丈夫です。あくまでついでですから。それにドクターと直接話ができなくても、名刺とパンフレットを置いて帰れば足跡代わりになりますし、俺も助かります」 「そりゃそうかもしれないけどさ……」  渡りに船と喜んだものの、保科が気兼ねしないよう言い募る男の姿を見ていると、さすがに少しばかり良心が疼く。  忙しい先生方がMRのために割いてくれる時間は、切なくなるほど短い。二時間待って二分で終了なんて事は決して珍しい事ではなかった。そんな中、瀬名は保科を手伝ってくれると言う。  利用されているとも知らず、こうも純粋な好意を示されると、健気な年下の男がだんだん可哀そうに思えてきた。 「――じゃあさ、さっきの奢りの話、今夜にするか? 口約束で終わらせるのも嫌だし」 「え? でも、保科さんはいいんですか?」 「ああ。お前の都合さえよければだけど」 「まったく問題ないですよ。俺の都合なんてどうとでもなるやつばっかりだから」  普段はあまり笑わない男が、白い歯を見せて曇りのない笑みを浮かべる。するととっつきにくそうに見える整いすぎた顔が、途端に懐こいものになった。  昨夜のリベンジを果たすつもりが、思いがけず仏心が湧いてしまい計画が狂った。だがこんな風に喜ばれて、悪い気はしない。 「じゃ、決まりな。夜までに何か食いたいもん考えといて。仕事終わったら連絡くれる?」 「わかりました」 (わざわざ仕事を手伝ってくれるんだし、たまにはいい思いもさせてやらないとな)  気持ちに応えてやるわけにはいかないが、これくらいのご褒美はあってもいいだろう。  雑談をしながらミーティングルームを後にし、支度をして駐車場へ向かう。それぞれ社用車に乗り込むと、瀬名がジェスチャーでお先にどうぞと促してくれた。 「ありがとう。瀬名が手伝ってくれてほんと助かった。暑いけど今日も一日頑張ろうな」  すれ違いざまに窓を開け、改めて礼を言う。瀬名は驚いたように目を見張り、額に手をやりながら照れくさそうに笑った。
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