1/8
1269人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ

 小さい頃、かけっこが大好きだった。  小学校の運動会では、徒競走で6年間ずっと一位。走ることに関しては、同年代の女子はもちろんのこと、大抵の男子にすら負けていなかった。負けた男子たちが悔しがって私に付けたあだ名が「イノシシ女」。  まれにイノシシが出現するような田舎の学校だった。目撃した生徒がその速さに驚愕し、私とイノシシを重ね合わせたという子供にありがちな短絡的思考だ。  イノシシだなんて失礼な話だが、そう呼ばれても気にすることもなく、どこに行くにもそれこそ猪突猛進で駆けて行った。落ち着きがないと先生や親から叱られることも度々あったが、走れば走るほど、すごく爽快で気分が高揚したのを覚えている。  だけど、中学校に入った途端に突然、走ることへの興味が全く失せてしまった。陸上部に入っていたら、もしかすると私の人生も変わっていたかもと今になって思う。  かと言って、別のことに興味が移ったわけではない。中学高校と、特に何かに打ち込むわけでもなく、ごくごく平凡で退屈な青春時代を過ごしてしまうこととなった。  あれほど好きで興味に満ちた弾む気持ちが、ある日いきなり真夏の氷のように溶けて消えてしまう。これまで私には、そういうことがしばしば訪れた。それは、飽きっぽいのとはまた違うような気がする。そんな性格だと人から言われたこともないし。きっと何かきっかけがあって、そうなってしまうんだ。  きっかけはおそらく、日常の中の思わぬ場所にある。それは光を恐れて陰にひっそりと潜む、ひ弱で小さな(さなぎ)のように眠っている。 ◇  夫が浮気をしている、そう感じた。  それは、寒さが急に増してきた11月初旬の朝のことだった。 
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!