今夜十二時、魔法が解けるまでに

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 残業続きで今日も終電でアパートに帰ると、私の顔を見た途端同棲中の彼氏は「ブスの顔を見るのは気分が悪い」とぼやきながら布団に入った。ベランダには洗濯物が干しっぱなし。私はため息をつく。  それでも彼は優しい。なんの取り柄もない私の恋人でいてくれるのだから。せめてブスと言われないように、忙しくて適当にしかしていないメイクをどうにかしたい。 「それなら、うちの会社の試作品を使う? モニターを探しているから」  三日後、親友のマミに相談すると、「そんな男、早く別れなよ!」と怒りながらもカラフルなパッケージを私にくれた。マミが務める化粧品メーカーのものだ。 「うちの開発部が作った『シンデレラの魔法のメイクマスク』よ」  顔に乗せただけできれいにメイクした顔になれるフェイシャルマスクだという。メイクが落ちることも崩れることもない。メイクを落としたいときはマスクを取るだけ。「ただし」とマミは続けた。 「顔に乗せてから約十八時間でマスクは溶けて無くなる。外ですっぴんに戻らないように、時間に気をつけて」  マミによると、働く女性の起床時間は朝六時から六時半が多い。朝六時にマスクをつけると、十八時間後は夜十二時だ。マミはにっこり笑った。 「メイクの魔法が解けるのは夜十二時。それで『シンデレラの魔法のマスク』ってわけ」  翌朝から私の生活は一変した。  メイクは苦手なのに、マスクをかぶるだけでまるで女優みたいなきれいな顔になる。きめ細やかな肌、ほんのりとピンク色の頬、つややかな唇、まつ毛だって今までの二倍は長く見える。  それだけじゃない。私は服も変えた。今までの服だとメイクに合わないから。クローゼットには着たことのないデザインのワンピースやスーツがかかり、靴箱には黄色、ピンク、水色のハイヒールが並んだ。見るだけでわくわくしてくる。  それに仕事を早く終わらせ家に帰るようになった。マスクが外で無くなるのが怖いから。効率重視で業務を見直すと、周りの同僚たちもダラダラ残業するのをやめ、協力しあってみんな早く帰るようになった。  魔法のマスクのおかげで、何もかもが変わった。たった一つを除いて。 「メイクした顔なんて所詮偽物。お前はやっぱりブスなんだよな」  ある夜、鼻歌を歌いながらメイクマスクを取った私に、彼が吐き捨てるように言った。それでも——。 「私はマスクできれいな顔になれるのが好き。あとブスなんて言われるのは悲しいから言わないで」  彼は口をあんぐりと開けたまま、私をぽかんと見つめた。言い返されるなんて思っていなかったのかもしれない。今まで一度も彼に反抗したことがなかったから。 「この前、アパートの大家さんに会って話したら、マスクにすごく興味を持っていたの」  私は話を続ける。 「このマスクは、きれいになりたい、メイクをしたいと思う人の願いを叶えてくれるの」  大家さんは八十歳のおばあさんで、メイクした私に気づかずに見知らぬ女性が私達の部屋に出入りしていると思い込んでいた。 『知らない女の人かと思ったのよ。ごめんなさいね』  大家さんは顔をしわくちゃにして笑った。 『私もマスクをしてみたいわ。おばあちゃんだけど、きれいにメイクしてあなたがこの前履いていたような赤いハイヒールを履いてみたいの!』  半年後の朝六時、私は鏡に向かい、メイクマスクをつけていた。マスクは今や商品化され大流行している。  彼氏とは別れた。彼は暴言を吐き、家事もやらず、さらに他の女と浮気をして、私の不在時に部屋に連れ込んでいた。そのことに気づいたのは、大家さんの話がきっかけだ。大家さんはその女性が『赤いハイヒールを履いていた』と言っていたけど、私は持っていない。つまりハイヒールの女性だけは私じゃない。  その数日後私は出張と偽り、アパートを見張った。案の定、彼と知らない女が一緒に部屋に入っていった。私は彼と別れて引っ越した。何であんな男と一緒にいたんだろう? マミは祝杯をあげてくれた。  マスクをつけた私は、鏡の中で一瞬で変わる。滑らかな肌、ピンクのルージュのエレガントな女性に。メイクの魔法が解ける夜十二時まで、今日はどんな良い日にしようかな。
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