第18話 心にある本当の気持ち

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第18話 心にある本当の気持ち

 王弟としてのリューウェイクを支援する貴族は、数える程度しかいないものの、第三騎士団の副団長としては一目置かれている。  いくら女神の加護で戦争がなく、魔物の数が過去に比べて多くないとはいえ、近隣国に迫られるのも魔物に脅かされるのも恐怖だからだ。  本音を言えば親しくしたいと思っていても、近づくことで周りからの低評価に繋がる。  ゆえに王族ではなく、騎士団の人間として付き合うのが、周囲としては手っ取り早い。  どんなかたちでも、友好的な繋がりを持とうとしてくれる相手ならば、リューウェイクとしても歓迎する。  どこで力になってもらえるかわからないのだから、見極めた上で付き合うべきだ。 「殿下と聖女さまたちが並ぶと実に見目麗しいですな」 「本当ですわ。お三方の衣装もまた素晴らしくて、どういった縫製なのかしら」 「髪の結い方も素敵だわ」 「宝飾品のデザインも」  秋波を送るような相手を避けて挨拶回りをすると、自然と商売っ気のある人間が集まる。  意気揚々と語り始めた桜花の周りは、年長の貴婦人やパートナーたちが堅牢な壁を作り出していた。  この様子では若者どころか、下心のある紳士さえ近づけないだろう。  桜花を気遣い、リューウェイクが視線を向けると、彼女は得意気な顔をして親指を立てて見せてくる。 「うーん、ここはお任せしても大丈夫かな」 「女性には女性の語り合いがありますから、心配なさらず殿下も楽しんできてください」 「ああ、ありがとう」  独り言のように呟いたリューウェイクの言葉に、穏やかな笑みで返してくれたのは、何度も言葉を交わしたことがある老齢の侯爵だ。  どうやら彼の夫人は壁の一部になっているらしく、聖女は憂い一つなく戻すと約束してくれた。  雪兎へ視線を向けると頷いたので、侯爵たちに桜花を任せ、二人でその場から移動する。  聖女への注目がなくなれば、多少は群衆に紛れるはずだ。  隣の男の顔がいくら美しくとも、広いホールに溢れんばかりの人が集まっているのだから、目立つ真似をしなければ問題ない。  そもそも普段のリューウェイクは、開会後にホールに降りてしまえば群れの一部だった。  騎士団の礼服よりわずかばかり華やかであっても、団員たちに混じってしまえばわからないのだ。 「ユキさんはお酒とか飲む人?」 「それなりに、だな。リュイは?」 「付き合い程度かな。酔うほど飲んだ経験がなくて、いつも控えめにしているんだ」 「なら酔いたいときは俺の前だけにしてほしい」 「へっ?」  視線をひと気の少ない場所、配膳係の手元のグラスなどに流して、安全を確認していたリューウェイクの目前に、すっと差し出されたシャンパングラス。  それ自体に驚いたと言うよりも、添えられた言葉に驚かされた。  グラスを差し出した姿勢のまま、見つめてくる暗赤色の瞳。  早く受け取らねばと思いはしても、リューウェイクは動揺が酷くて、手だけでなく体さえも反応できない。 「これは駄目だったか?」  微動だにしないリューウェイクに、小さく首を傾げた雪兎は匂いを確かめるためか、手元のグラスに鼻先を近づける。  淡い赤色はおそらく果実の色で、彼曰くサクランボと呼ばれる果実に似ている、こちら特有のもの。  酒だけでなく菓子にも多く使われ、リューウェイクの好物でもある。 「えっと、駄目ではない、けど。……ユキさんの言い様があまりにも」 「なにかいま俺はおかしな物言いをしたか?」 「う、嘘でしょ、まさかの無自覚。はあ、もう。さっきの言葉は言う相手に気をつけて。まるで口説き文句のようだったよ」  訝しげな顔をする雪兎に対し、大仰なため息がリューウェイクの口から吐き出される。 (懐に入れた人には甘々だと、オウカさんは言っていたけれど。これで勘違いしない人は、相愛なパートナーがいる人間くらいだと思う。誑かされるほうが可哀想だ)  こんなにも優れた人間に心を砕いて接されたら、その気がなくともうっかりほだされる可能性がある。  だが第一問題として、優良すぎるこの男が独り身なのかという疑問があった。 「いまみたいな言葉は恋人とか伴侶に言うべきだよ。って、どうしたの?」  いつまで経っても返事がない様子に気づき、額を抑えていたリューウェイクが顔を上げると、目の前の雪兎はなにかに驚いたのか目を見開いている。  目が合ったところで声が届いたのだろう。グラスを持つ雪兎の手がかすかに震えたが、今度は見る間に顔が紅潮し出す。 「え? 本当にどうしたの? ユキさん?」  急激に、という言葉がぴったりな勢いで茹で上がった雪兎に、さすがのリューウェイクも慌てた。  目を離した隙に酒を飲んだにしても、顔色が変わりすぎである。  しかし瞳や肌の色を確認しようと、リューウェイクが距離を詰めた途端に腰へ腕を回され、挙げ句に方向転換させられた。  今日は顔を合わせてからずっと、雪兎の行動に振り回されっぱなしだ。  問いかける暇もない素早さで、彼はリューウェイクをバルコニーへと連れて行く。  後ろ手にガラス戸が閉じられ、カーテンが閉め切られるまでの時間を計測してみたいくらいだ。  驚きすぎたリューウェイクは、感情が頭で一周して、やけに冷静な気分になった。 「ユキさん、大丈夫?」  顔を俯けたきり動かない雪兎に近づき、リューウェイクはまず始めに、彼の手にあるグラスをそっと取り上げた。  なにかの拍子にこぼしても、グラスを割っても危険だ。  手近なテーブルにグラスを移動させてからもう一度、立ち尽くす雪兎へ近づこうとするけれど、彼は口元を片手で覆ったまま下を向いている。 「気分が悪い?」  顔色が変わったのは体調の変化だったのだろうか。  心配を募らせたリューウェイクが手を伸ばせば、肩に指先が触れた瞬間、雪兎は体をビクつかせた。  具合が酷く悪いのかとも思ったが、どうやら驚いただけのようで、揺らいだ瞳がこちらを見る。 (もしかして、僕が気づかせてしまったんじゃ)  目の前にいる雪兎は明らかに動揺している。  おそらく彼は先ほどのなにげない一言で、認識していなかった感情に気づいてしまった。  そう考えるのが自然だろう。  ここまでの動揺から推測するなら、無意識に気づかないようにしていた感情に気づかされてしまった、が正しいかもしれない。 「すまない。急に挙動不審になって」 「ううん。僕は大丈夫」 「……リュイ」 「なに?」  いつもの彼からは想像もつかないほどの不安げな眼差し。  森で見せた怯えよりもずっと、心が締めつけられているのではと想像させられる。  弱々しくて、いっそ腕で抱きしめてしまいたくなる。  それでもリューウェイクは黙って見つめ返した。 「さっきのあれは……」  冗談だとも嘘だとも言えない。  気持ちをもてあそぶような発言ができる人ではないから、発言を誤魔化しに変えるなどできないのだろう。 (ああ、この人は僕と同じ未来を考えて、だからこそためらっているんだ)  未来へ続く道がない。終わりが見えた関係を選ぶことも、相手に強いることもできない。  いまもなおリューウェイクが、異世界渡りを望んでいないのを感じているからこそ、意思を汲み取り気持ちに蓋をしていたのだ。  悪戯に輝く暗赤色の瞳がリューウェイクは好きだった。  雪兎を表す中で一番、印象深い部分だ。  おそらく彼も同じように思っているはずで、ゆえに迷う間もなく紫水晶のような魔石を選び出せた。  それほどまでにお互い、相手の瞳を見ている。  最初に雪兎の心に芽生えた感情がどんなものかはわからない。  だが共に過ごしたリューウェイクに芽生えた感情は友愛、親愛、敬愛――どれも愛情だった。  雪兎の存在が大きくなっているいま、その先に続けばすぐさまもっと、深い愛情に変わるのは想像がつく。  ならば彼も似たような心の動きだったのではないだろうか。 「ユキさん、ごめんね」  気づかせてしまった事実に、リューウェイクは申し訳なさが募る。  身内である桜花が呆れるくらいなのだから、本来の彼は自身の感情に鈍いほうではないのだろう。  だというのにいままで無自覚でいたのは、気づかないよう無意識に、自分の気持ちを押し殺していたからにほかならない。 「リュイ、謝らないでくれ」 「うん、ごめん」 「俺はただ、君と離れがたくなって。リュイを残してこの世界を去るのがひどく辛い」 (決定的な言葉を言わないのは、僕に後ろめたさを感じさせないようにしているのか)  伸ばされた雪兎の指先が頬にかすかに触れて、存在を確かめるかのように輪郭を沿い滑る。  胸の内に湧いた感情――胸が温かくなるほどの優しい輝き――を葛藤に混ぜ込んで、煮詰めて消してしまいたい。  輝きが戻らないくらい黒くなれば、想いはなくなるだろうか。そんなどうにもならないことを考え、リューウェイクは苦笑した。 「リュイ、もしも」 「ユキさん、僕が生きていく世界はここだ。一人の人間の人生を預かるのは簡単じゃないよ。国が保証するんじゃない。個人が背負うんだよ」  再びあの言葉を紡がれる前に遮った。  悲しげに揺れた瞳に、胸が痛まなかったわけではないけれど。リューウェイクとて夢を見たくなかったわけでもないけれど。  現実問題として、彼らの世界で生きていける保証がない。  女神が存在する世界とはまったく違う、想像もできない世界だ。  感情だけで自分の人生すべてが変わる選択はできない。 「思い出としてなら。僕は結婚願望もないし、今後するとも思えないし」 「それは」 (遊びならいいなんて、なんて酷い言い草だろう。泣かせるつもりは、なかったのに)  傷ついた瞳がわずかに潤んだのが見えた。  すぐに伸びてきた腕に抱き寄せられて、表情を最後まで見られなかったが、彼の感情ははっきりと伝わる。  リューウェイクの肩や背中に回された、雪兎の手が震えていた。  春先に出会ってもう季節は秋へと移り変わっていく。  この時間が長いのか短いのか。  わかるのはただ、自分たちが二人で過ごした時間が、誰よりも長かったことだけだった。
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