第15話 舞踏会の準備

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第15話 舞踏会の準備

 あれから桜花の作った強力な浄化石で、正気を取り戻した聖獣は、もう暴れはしないと約束してくれた。  とはいえ女神の憂いがさらに深まれば、大地にまで影響を及ぼす可能性があるだろう、と忠告もされた。  回避するためにどうすべきなのか。  リューウェイクは自身で答えが導き出せないでいた。  国の中枢で軽んじられている立場の改善程度では、おそらく済まされない。  外側だけを崇められても、人の価値観はそう変わるものではなく、接すれば浅い考えが透けてくる。  そのような相手と対峙したリューウェイクが、心に(おり)を溜めてしまえば、結局はなにも変わらない。  女神は愛されることを諦めてしまった、己の愛し子に心を痛めているのだろうから。 (理不尽はあっても僕はそれなりに幸せに暮らしていると、自分では思っていたんだけど) 『他人に尽くすことで居場所を作ろうとしている者は、正しく幸せとは言わんな』  執務机に向かっていたリューウェイクは、心の独り言に対し返ってきた言葉に顔を上げた。  右斜め前にある机では、いつものようにノエルが仕事をしていて、声の(ぬし)はそこではないと確信を持って視線を動かす。  正面にある応接セット――向かい合ったロングソファ――の片側に置かれた籠で、クッションに埋もれ大きくあくびをしているのは、長毛種の白猫だ。  リューウェイクの視線に気づくと、金色の瞳を瞬かせじっと見つめてくる。 (そういえば誰かに助けてほしいなんて、思った覚えがないな) 『愛し子がそんな考えだから、手を貸してやれず、フィーが鬱憤を溜まらせていたのだ』 (そうなのか) 「バロン、こっちにおいで」  呼びかけると猫はぴょんとソファから飛び降り、優雅な足取りで近づいてきた。  足元でふわふわの白い尾を揺らし見上げてくるので、リューウェイクは自身の膝を叩く。 「殿下、衣装に毛がつきますよ。夜の舞踏会で着替えるとはいえ」  軽々と膝に飛び乗った、白猫バロンが居心地を確かめてから、くるっと丸まり体を落ち着ければ、様子を見ていたノエルが眉をひそめる。  森に遠征へ行ったのになぜか白猫を拾ってきた主人に、ひどく呆れた表情を浮かべたノエルを思い出し、リューウェイクは小さく笑った。  バロンの正体が聖獣である事実は、第三騎士団内だけの秘密だ。  いまは周りに気づかれないよう、瞳の色も紫から金色へ変化させている。 「バロンは毛抜けが少ないから平気だ。今日はノエルも舞踏会へ出席するんだったな」 「今回は貴族籍にある成人者は、理由がない限り出席しなければいけませんからね」 「……嫌そうだな」  普段から面倒で舞踏会へ参加しないノエルだが、今夜開かれる催しは国王陛下の在位十一年目を迎える宴。  ――であると共に、聖女のお披露目を目的としている。  ゆえに聖女と同等の聖者に該当する雪兎も参加必須で、なおさら機嫌が良くない。  ノエルの雪兎嫌いは、聖女歓迎派の貴族が桜花の拠り所である雪兎を毛嫌いしている、とは少し違う方向性で嫌悪している気がする。  顔を合わせると、存在自体が許せないとばかりに表情が歪み、珍しいほどに感情を繕えていないのだ。 (僕の仕事に支障が出ているから、苛立たせてしまってるんだろうか) 『……愛し子は身の回りに気をつけたほうがいい』 (なんの話だ?) 『ふむ、聖者に忠告をしておくか』  耳を澄ませ、ぴくりと震わせたバロンはかすかに息をつくが、リューウェイクは理解できず訝しげな顔をする。  会話がまったく噛み合っていないように感じても、彼の中では勝手に完結していて余計にわからなかった。  仕方なくリューウェイクは、柔らかな毛並みを撫でて気を紛らわすことにする。 (ユキさんのところへ行くのなら、いっぱい撫でさせてあげてね) 『仕方がない。愛し子の頼みだ、心に留めておこう』  返事をするみたいに尻尾を揺らしたバロンに、リューウェイクは目を細めた。  畏怖を感じさせる巨躯の獣から、か弱い猫に姿を変えた時、雪兎が大層喜んでいたのだ。  なにやら彼はネコ科の生き物はアレルギーというものがあるらしく、好きなのに触ることができないのだとか。  ふわふわの体に顔を埋めて「これが猫吸い」とはしゃいでいた姿が思い出され、リューウェイクの顔は緩んだ笑みに変わった。  夜会の準備は女性に比べると、大して時間はかからない。  それでも騎士団にかかりきりで、手入れを怠りっぱなしのリューウェイクなので、数日前から普段出番の少ない担当メイドたちが息巻いていた。  なぜそんなにも、と疑問が湧いたがすぐに解消される。 「ユキトさまのお隣に並ぶのですから、ピカピカに磨きましょうね!」 「髪をさっぱりさせましょう。艶が出る香油で梳いて」 「最近、毎晩オイルを塗り込んだから、痛んだ爪が少し回復しているわ!」 「触れた時に触り心地が良いほうが、ユキトさまも喜ばれるはず!」  意気揚々として輝いている彼女たちに、もの申したい部分はあっても、余計な口を挟める雰囲気ではない。  リューウェイクは椅子に座り、されるがままだ。  一緒に過ごす時間が多いため、城に勤める女性たちのあいだで、二人の関係が良い娯楽になっていた。  それもこれも貴族の同性恋愛が大っぴらな傾向にあるせいだ。  噂自体はそれなりに耳にしていたが、自分に仕える彼女たちまで盛り上がっているとは、さすがにリューウェイクも予想をしていない。 「見て! 綺麗なカナリヤ色になったわ」 「ああ、やっと! くすんだ麦藁から進化したわね」  丁寧に、何度も髪を梳いていたメイドが、感極まったような声を上げる。  心を込めて手入れをしてくれるのが嬉しい反面、手を取り合い喜ぶ姿に申し訳なさが先に立つ。  同時に恥ずかしさが湧いてきて、リューウェイクは軽く咳払いをした。 「髪はバッサリ短くしてくれて構わないが」 「いけません!」  正直な気持ちを告げたのに、返ってきたのは全員のためらいのない反対だった。  どうせ日に焼けてまた痛むだろうし、伸びるまで時間を稼げるのだから――というものぐさなリューウェイクの意見は、受け付けていないようだ。 「せっかく麗しいお顔をしていらっしゃるのに!」 「短髪は勇ましくありますが、殿下の柔らかな面立ちには似合いません!」 「本当にもう、こんなにも美しいお顔と、均整の取れたお体をしているのに無頓着で」 「もったいない! ここまで衣装映えする方はなかなかいらっしゃいませんよ!」  なぜこれほどまで怒られるのだろうと思いはしても、普段ろくに身支度を頼まないので腕の振るい所がなく、鬱憤が溜まっていたのかもしれない。  ――とリューウェイクは納得することにした。  常日頃、騎士服ばかりまとうので、彼女らがリューウェイクに対し、着飾り甲斐がないと思っているのは確かだろう。  兄たちは季節ごとに衣装を新調しているらしいが、ここの主人は夜会用、祭事用、式典用。  礼服はどれも騎士服をベースにしているため、日常と変わらずいつも似たり寄ったり。  王族の侍女やメイドのあいだで、上下の競い合いもあるらしく、肩身の狭い思いをさせているのではと、ますます申し訳ない気持ちになる。  いまこの場にいる側仕えたちは、力のないリューウェイクでも構わないと、残留してくれているのだ。 「わかった、わかったよ。君たちの好きにしていいから」  いたたまれなさと申し訳なさで折れると、メイドたちの顔がわかりやすいくらいに輝き始めた。  飛び跳ねるほど喜びをあらわにして、踊るようにケープを手に取り、ハサミと櫛を構える。 (僕は家族との縁や人の交わりは希薄だけど、支えようとしてくれる仲間や部下には恵まれているな。もちろんその関係は地位と、互いの利害の一致があってこそだが)  自分の居場所を作る方法として、リューウェイクがしてきたのは、まず相手に利を与えて必要な存在であると認識させる。  そこから地道に信頼を築いて、関わりを深めるやり方だった。  リューウェイク自身が動かなければ、城の中だけでなく、国の民にも忘れられた透明人間になってしまうからだ。 「そういえば今回の衣装、新しく仕立てたのか?」 「よくぞ聞いてくださいました!」 「もうこれは、最高傑作です!」  爪を磨き、軽く顔に化粧を施し、髪を整えられ、あとひと息というところで再びメイドたちが熱狂し始めた。  仕立てる回数が少ないとはいえ、衣装一つでこれほどまで興奮するのは珍しく、少しばかりリューウェイクは気圧されて身を引く。 「聖女さまがデザインしてくださったんです!」 「へぇ、オウカさんはそういった分野に長けているのかな」  自信満々に見せてくれた衣装は、いつも通り騎士服をベースにしてある。  ウエストラインがすっきりとしたシルエットは、ジャケットの後ろ身頃が長いので、裾が動きに合わせてなびく様が美しいだろう。  淡い輝きを感じさせる、シルバーブルーの生地が主に使われ、礼服らしい華やかさがあって好ましい――けれど、差し色や刺繍、装飾品の配色が気にかかる。  深みと艶のある黒を差し色や刺繍に使い、飾り緒につけた魔石とよく似た色の宝石が、ブローチやカフスなど随所にあしらわれていた。  あまりに意図的すぎて、言葉にできないもどかしさを感じる。  自分の衣装がここまであからさまならば、向こうの衣装も想像が容易い。  思わずリューウェイクが額を抑えると、メイドの一人が化粧箱を差し出してくる。 「殿下、この耳飾りなのですが。ユキトさまからの贈りものだそうです」 「……ああ、あの時、気にしていたな」  台座に二つ並ぶのは祝福がたっぷり付与された、暗赤色の魔石を使ったピアスだ。  小ぶりで耳元をさりげなく飾ってくれるだろう、繊細な細工は作り手のこだわりを感じる。  耳たぶに触れた指の感触を思い出し、リューウェイクはたまらず頬を熱くした。
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