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第23話 思いがけない助っ人
二人で一夜を共にした日は、支度をするべく部屋にやって来たメイドたちが、早朝から雪兎がいる状況に驚き、あんぐりと口を開けて固まった。
揃って皆、同じ顔をするので、リューウェイクは雪兎と二人で顔を見合わせ笑ってしまった。
あれからいままで以上に、雪兎と付かず離れずの関係が続いている。
ただ一つ、リューウェイクの周りで変わってしまった、大切なものは元に戻ることがなかった。
「彼はもう向こうに着いたのか?」
「うん。そうみたいだ」
雪兎の問いかけにリューウェイクは小さく頷く。
執務室に届いた一通の手紙。
見本のような綺麗な文字で綴られたそれは、リューウェイク付き〝元〟補佐官、ノエル・サルベリーから送られた手紙だ。
中身は簡潔で一切無駄がないのが彼らしい。
東部で新しく開拓が行われる町に到着し、生活基盤が整った旨が書かれている。
リューウェイクの采配のおかげで、滞っていた作業が進み、町民と担当者一同、日々充実しており感謝をしているとも。
書いてあるのはその程度で事務報告だ。
けれど封筒に一緒に入っていた、小さなメモ紙にたった一言、彼からの最後のメッセージが残されていた。
――私に罰を与えてくださるのなら、どうか私の存在をすべてお忘れください。
あの夜、ノエルはリューウェイクの部屋に来る前、見張りの衛兵に声をかけていた。
何度も念を押して「もし半刻を過ぎても、自分が帰る姿を見なかったら、必ず聖者を部屋に呼んでほしい」と頼んでいたらしい。
後日、確認をとった当夜の衛兵が言っていた。
ひどく切羽詰まった様子で気にかかっていたから、よく覚えていると。
「今回、最悪な形になってしまったけど。遅かれ早かれ、ノエルは僕の目の前から消えてしまっていたんだろうな」
(ユキさんの存在がなくとも、僕は王族の籍から抜ける時、ノエルをここへ置いていくつもりでいた)
『あやつは愛し子に並々ならぬ感情を持っていた。聖者に対する嫉妬心も愛し子への執着心も。それでも本当に心からそなたを慕い、心を尽くしていた。だから我も排除はできなかった』
ソファに座る雪兎の膝で、落ち着かない気持ちを表すように、バロンはパタパタと尻尾を忙しなく動かす。
ノエルの心に見え隠れする、闇の部分に気づいていて、なにもできなかった自分を悔いているようだった。
ノエルは結局、行き場のなくなった感情をわざと暴走させ、自分自身で終止符を打ってしまったのだ。
彼の感情はおそらく忠誠心と愛情の狭間だったのだろう。
雪兎という自分以外の唯一が現れなければ、リューウェイクが城を去ったあとも心に秘めたままだったに違いない。
咎を裁かれたいとノエルは願っていたようだが、甘いと言われてもリューウェイクにはどうしてもできなかった。
(起こした行動は過ちだったとしても、過ごした時間は黒く塗りつぶしてしまいたくない)
「……忘れる、か。ノエルも簡単に言うなぁ」
「別に忘れなくて、いいんじゃないか。忘れ去られるのも辛いが、あいつはリュイの心に傷をつけた現実のほうがよほど辛いはずだ。一生悔いて生きるよ」
「それはちょっと、僕も辛いな」
「だったら、リュイ。君が幸せになれ。あいつを許したいのなら、幸せになるんだ」
『幸せすぎて忘れてしまうくらいで、いいだろう。そうすればあやつもきっと満足だ』
「うん。そうだね」
(いままでの時間をありがとうとも、残される気持ちを考えずごめんとも言わせてもらえなかった。振り返ってみると自分を保つのが精一杯で、周りに気を回せていなかったかもしれない。これを機にもっと、彼らの声を聞こう)
事務報告の手紙は封筒へ戻し、小さなメモ紙は机の引き出しの小箱にしまった。
そしてリューウェイクは心の中で、ノエルに伝えられなかった感謝と別れを告げた。
「けどリュイ、現実問題として補佐官がいないのは、支障があるんじゃないのか」
「うーん、そうなんだよね。そこは団長に相談してみたんだけど」
公職を辞するとノエルは言っていたが、リューウェイクが引き止めて、本人の希望で東部へ異動した形になっている。
唯一の補佐官なので周りにとても驚かれたが、向こうでは彼の実家が商売をやっているのだ。
東部の開拓に関わる話は以前少し耳にしており、人手はいくらあってもいいと聞いていた。
その話を思い出し、リューウェイクはならば都合がいいと、ノエルの補佐官解雇と東部行きを強行したわけだ。
「ボルフェルタ団長がツテを辿ってくれるのか?」
「そう、それで今日来てくれるって」
リューウェイクの机と空いた補佐官の机には、未処理の書類が溜まっている。
雪兎がわかる範囲で仕分けと整理はしてくれたものの、内容を精査したり決済したりはまったく知識がない彼では難しい。
「それにしても補佐官も事務官もいないリュイに、この仕事量は……ちょっと常識を疑う」
ソファを立った雪兎がリューウェイクの机の傍まで来て、積み上がった書類を見下ろす。
眉間にしわを寄せた顔も麗しいが、暢気に見惚れている場合ではない。
近頃は彼が言うとおり、仕事の処理がますます追いつかなくなってきた。
ノエルが抜けただけではない。上の処理が追いつかない仕事がすべて、リューウェイクのところへ下りてきているのだ。
「君の兄弟を悪く言いたくないが、あまりにも上に立つ者として出来が悪いんじゃないか? これでよく十年もやってこられたものだな」
「そろそろ先々代から頑張ってくれている宰相も高齢だから、交代なのかも?」
「それで引き継ぎが上手くいかず、回っていないのか? 後任は次兄か?」
「たぶんね」
「なるほどな。確かに平和ボケした国では、未来の行き先が心配だ。リュイの大事な人たちの生活が気になって、置いていけないのは納得する。トップはすげ替えられないのだから、土台から固めるべきだな。でないと安心してリュイが俺の手を取ってくれない」
腕を組み、トントンと指先で肘を叩く雪兎。
真顔で国の悪口を言いながらブツブツと呟く姿に、リューウェイクは笑い声を漏らす。
もし自分を選んでくれたとき、この場所に後悔を残さないよう、すべての憂いを取り除いてみせると雪兎は言ってくれた。
完全に悩みをなくすなど、できないとわかっていても、最善な行動を考えてくれる彼がとても頼もしい。
『二人とも、来たぞ』
少しでも書類を片付けるため、手を動かしていたリューウェイクと、書類を食い入るように見ていた雪兎に、バロンがあくび交じりで声をかける。
二人で顔を上げると同時、部屋をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します。第三騎士団、ラインハルト・ボルフェルタ団長の命で参りました。本日付でリューウェイク殿下の仮補佐官に任命されたケイン・ランドルです」
執務室に足を踏み入れ、隙のない騎士の礼を執ったのは、明るい橙色の髪が印象的な二十代後半の青年だ。
キリリとした瞳は赤紫色で、目立たぬよう黒縁の眼鏡をかけている。
彼は近しい親戚に元王族がいるのだ。
なぜそれを知っているのかと言えば、なんてことない話だ。
「ランドル団長補佐、貴方が後任なんですか?」
「はい、副団長を補佐するよう申し付けられました」
ケイン・ランドルは第三騎士団の団長補佐なので、見覚えどころか、よくお互いを知っている間柄である。
予想外の人物が登場し、さすがのリューウェイクも呆気にとられた。
だがぼんやりしていられたのはその瞬間だけだった。
「とは言っても私はそう暇ではありません。ボルフェルタ団長の尻拭いも、団員たちの尻叩きもしなくてはいけませんので」
きりっとした表情で眼鏡の中央を抑え、明け透けな物言いをしたケインはパチンと指を鳴らした。
すると途端に「失礼します!」と声を上げ、ぞろぞろと数人が部屋の中に入ってくる。
彼らは文官服なのに、キビキビとした動作は統率された騎士、もしくは軍人のようだ。
「あー、あの、ケインさん。説明を」
「はい。先ほど申し上げた通り、私は暇ではありません。ですが申し付けられた仕事を放棄するつもりもありません。ですのでボルフェルタから選りすぐりの人員を連れてきました。洗練された貴族とは言いがたいですが、仕事はできます。どうぞ存分に、馬車馬のように働かせてくださって結構です」
ひと息にまくし立てたケインは、最後ににっこりと実にいい笑顔を浮かべて、非人道な言葉を言い放った。
清々しい笑みの裏に黒さが滲む、これぞ第三騎士団の頭脳であり懐刀。
剣の腕は団長に並ぶと言われているが、それと同じくらいケインには剣を持たせるなとも言われている。
理由は聞いてはならないというのが暗黙の了解だ。
「では副団長、キリキリ仕事していきましょうか」
「あ、ああ、そうだな」
その日のうちに前室に事務官たちの机が搬入され、ケインの指示で執務室にはもう一つ机が運び込まれた。
彼は新品の机を指さし、傍に立っていた雪兎に向け「うちの副団長が欲しけりゃ、貴方も仕事をするべきですよね?」とにこやかに笑った。
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