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目が覚めると、見知らぬ空間にいた。白くてぼんやりとした、空疎な空間だった。
これが死後の世界というやつか、と鶫は思った。死後の世界なんてこれっぽっちも信じちゃいなかったが、もしそういうものがあるとするなら、自分が天国に行けるはずがないということは重々承知していたので、きっとここが地獄なのだろうと思った。
しかし随分と小綺麗な地獄だ。地獄というのは、真っ暗で、血みどろで、魑魅魍魎が跋扈しているものではないのか。死ぬのは初めてなので詳しいことは知らないが、何となくそういうイメージがある。
しかし鶫の地獄ときたら、やけに白くて明るくて、魑魅魍魎どころか綺麗な花が飾ってあって、清潔な薬品のにおいまで漂ってくる。
いや、薬品のにおいは少々引っかかる。もしや、これから人体実験でもされるのだろうか。そういうタイプの地獄もあるのかもしれない。だとしたら目覚めたくなかった。麻酔が効いてさえいれば、体を切り刻まれたって平気なのに。
「……おい」
耳鳴りのように、遠くで小さく声がした。鶫は、声のした方へ意識を向ける。ひどく懐かしい響きのような気がした。匂いも、気配も、泣きたいくらいに懐かしい。
「お、おい! おいおいおいおいっ!」
声の主はいきなり大声を上げる。あまりのうるささに、鶫は顔を顰めた。もしかして、騒音地獄とかいうものがあるのだろうか。
「生き返った?」
さらに遠くから、別の声がした。聞き覚えのない女の声だ。
「凄まじい生命力だね。さすがは若いだけある」
カツカツとヒールの音を響かせて、女が鶫のそばへ寄る。染めたロングヘアを一つにまとめた、白衣姿の女だった。いやに甘ったるい煙草のにおいがした。鶫の知る煙の匂いとは正反対だ。
女は鶫の服を脱がせ、体をあちこち触った。致命傷となった胸の傷をぐっと押されると、痛みに息が詰まる。痛みを感じるということは、夢ではないのだろう。この女は闇医者で、鶫の臓器を海外の金持ちにでも売っ払うつもりなのだろうか。
「臓器売買? まぁ、金を払えない客からはもらうこともあるさ」
やはりそうだ。鶫にそんな金はない。
「取るなら腎臓にしてくれ? 確かに、腎臓は一つなくなっても平気だけれどね」
女がけらけら笑うと、その背後で男の声がした。鶫がよく知る、ひどく懐かしい響きだ。
「病人を脅かすなよ。金なら払ったろうが」
「前金だけね」
「治ってから払う約束だ」
「ああ。だからさっさと振込よろしく」
鶫は意識して息を吸った。清浄な、澄んだ空気だ。まるで地獄の気配ではない。喉がカラッカラに渇いて、それだけが苦しい。
「おや、意識がはっきりしてきたかい?」
「っ……お、れ……」
「そうだよ、君は助かったんだ。そこのおっさんに感謝するといい」
彼女はドア付近を顎でしゃくった。スーツ姿に髭面の、くたびれた中年男が佇んでいた。
「……おっ……さん……」
「殊勝なことじゃないか。まさかあの風間が子育てとはね。君にもまだそんな情が残っていたとは」
風間は決まり悪そうに舌打ちをした。
「からかうなよ。お前はいつもそうだ。昔から……」
「分かった分かった。私だって、せっかくの感動の再会に水を差すつもりはないからね。退散させてもらうよ」
お金はいつもの口座にね、と言い残して、彼女は席を外した。
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