第七章 帰りたい場所

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 ステンレス製の安いベッドが、ギシギシガタガタ悲鳴を上げていた。男二人の体重と振動に、もはや耐えられそうにない。   「てっきり弟子を取ったものと思っていたが、まさか恋人だったとはね」    パタンとドアが閉まって、先程の女医の声がした。風間は苦い顔をしてベルトを締める。   「今入ってくるやつがあるか。せめてあと五分待てよ」 「ここは私の病室だよ? どうして気遣いする必要があるのかな」 「料金は上乗せしておくから」 「よく分かってるじゃないか」    この女医と話す時、風間は、鶫に向けるのとはまた違った表情を見せる。二人の話しぶりから、気の置けない仲であることが伝わる。まるで長年連れ添った夫婦のような、互いのことをよく分かっていながらベタベタしない、さっぱりした間柄だというのが窺える。  風間はネクタイを締め、スーツに袖を通すと、用事を済ませてくると言った。 「患者を引き取ってもらわないと困るよ」 「金振り込んでくるだけだ。早い方がいいんだろ」 「ふふ、よく分かっているね」    鶫は、初対面の女医と二人で病室に残された。セックスの余韻で、まだ少し頭がぼんやりしている。   「それじゃ、最終チェックといこうか。傷が開いてなきゃいいんだが。全く、無茶をする男だよ」    風間が大慌てで着せた服を開けて、女は鶫を診察した。医者らしく、まるで機械を点検するような手付きで、縫合の跡をなぞる。   「……お姉さん」 「速水でいいよ」 「速水さんは、おっさんと付き合い長ぇの」 「彼が君くらいの時に知り合って、それからずっとかな。腐れ縁というやつだね。裏社会にだって、医者は必要だろう? 特に、彼や君のような、危険な仕事をしている者にとってはね」 「ふーん」 「まだ何か聞きたいって顔をしているね」 「別に」 「彼とは一度も寝たことはないから、安心していいよ」    速水は静かに目を細めた。   「……んなこと一言も訊いてねーよ」 「おや、余計なお世話だったかな。君、案外純情派なんだね」 「別に、おっさんの恋愛遍歴とか興味ねぇし」 「今は君だけだって分かっているからかい?」    速水は含み笑いを浮かべる。捉えどころのない、女狐のような女だ。   「あんた……つーか、おっさんが余計なこと喋ったのか? どこまで知ってんだよ」 「何も知らないよ。ただ、彼が君を大切に思っているらしいことは分かるさ。普通、昏睡状態に陥った患者は見限ることにしているんだけれどね。何しろ小さい診療所だ。設備も全然足りないし、入院させようが放り出そうが、どうせ死ぬからね」 「さすが闇医者って感じだな」 「一応免許は持っているよ。ただ今回は、彼がどうしてもって頼むから、仕方なくね。金ならいくらでも積むって言うから、私も全力を尽くしたさ。君を死なせたら、手に入る金が半減だからね」 「……」 「君が寝ている間、彼が君の世話をしていたんだよ。そりゃあもう、涙が出るほど甲斐甲斐しくね。あんなに真剣な姿は初めて見たよ。全く、私と同類だと思っていたのに、裏切られた気分だよ」    速水は少し遠い目をして呟き、鶫の服のボタンを閉じた。    *    そのまま鶫は退院となった。正規の病院であれば、もうしばらく入院して様子を見るのだろうが、ここはあくまでも闇医者だ。動けるようになったら即退院である。   「おっさん」    見慣れた風景、住み慣れた街、いつもの家路に戻ってきた。長い悪夢から醒めたような人心地がした。鶫は風間の手を握った。   「……悪かったな。色々迷惑かけちまって」 「急にしおらしいな。生きてりゃいいって言ったろ」 「それと……」    鶫はもじもじと風間の手を握りしめた。掌が汗で湿っている。   「……ありがとな……」 「……」    風間も、鶫の手をぎゅっと握り返した。   「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」    真冬の空気は切れ味鋭く張り詰めているというのに、体はぽかぽか火照って汗ばむくらいだ。鶫はマフラーを外し、風間に押し付けた。   「何すんだよ」 「うっせ。暑いんだよ」 「自分で持て」 「俺ぁ病人だぜ。労われよ」 「嘘こけ。ピンピンしてるくせに」 「それに腰もいてーなぁ。誰かさんががっつくからな~」 「おまっ、そりゃお前が……」 「じょーだんだよ。腰は痛くねぇ」    鶫は風間にじゃれ付いた。風間は絆されたように微笑む。   「まぁ、今日くらいはな」    二人の男が家路を急ぐ。まだ硬い桜の蕾が、そう遠くない春の訪れを待ちわびていた。
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