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ステンレス製の安いベッドが、ギシギシガタガタ悲鳴を上げていた。男二人の体重と振動に、もはや耐えられそうにない。
「てっきり弟子を取ったものと思っていたが、まさか恋人だったとはね」
パタンとドアが閉まって、先程の女医の声がした。風間は苦い顔をしてベルトを締める。
「今入ってくるやつがあるか。せめてあと五分待てよ」
「ここは私の病室だよ? どうして気遣いする必要があるのかな」
「料金は上乗せしておくから」
「よく分かってるじゃないか」
この女医と話す時、風間は、鶫に向けるのとはまた違った表情を見せる。二人の話しぶりから、気の置けない仲であることが伝わる。まるで長年連れ添った夫婦のような、互いのことをよく分かっていながらベタベタしない、さっぱりした間柄だというのが窺える。
風間はネクタイを締め、スーツに袖を通すと、用事を済ませてくると言った。
「患者を引き取ってもらわないと困るよ」
「金振り込んでくるだけだ。早い方がいいんだろ」
「ふふ、よく分かっているね」
鶫は、初対面の女医と二人で病室に残された。セックスの余韻で、まだ少し頭がぼんやりしている。
「それじゃ、最終チェックといこうか。傷が開いてなきゃいいんだが。全く、無茶をする男だよ」
風間が大慌てで着せた服を開けて、女は鶫を診察した。医者らしく、まるで機械を点検するような手付きで、縫合の跡をなぞる。
「……お姉さん」
「速水でいいよ」
「速水さんは、おっさんと付き合い長ぇの」
「彼が君くらいの時に知り合って、それからずっとかな。腐れ縁というやつだね。裏社会にだって、医者は必要だろう? 特に、彼や君のような、危険な仕事をしている者にとってはね」
「ふーん」
「まだ何か聞きたいって顔をしているね」
「別に」
「彼とは一度も寝たことはないから、安心していいよ」
速水は静かに目を細めた。
「……んなこと一言も訊いてねーよ」
「おや、余計なお世話だったかな。君、案外純情派なんだね」
「別に、おっさんの恋愛遍歴とか興味ねぇし」
「今は君だけだって分かっているからかい?」
速水は含み笑いを浮かべる。捉えどころのない、女狐のような女だ。
「あんた……つーか、おっさんが余計なこと喋ったのか? どこまで知ってんだよ」
「何も知らないよ。ただ、彼が君を大切に思っているらしいことは分かるさ。普通、昏睡状態に陥った患者は見限ることにしているんだけれどね。何しろ小さい診療所だ。設備も全然足りないし、入院させようが放り出そうが、どうせ死ぬからね」
「さすが闇医者って感じだな」
「一応免許は持っているよ。ただ今回は、彼がどうしてもって頼むから、仕方なくね。金ならいくらでも積むって言うから、私も全力を尽くしたさ。君を死なせたら、手に入る金が半減だからね」
「……」
「君が寝ている間、彼が君の世話をしていたんだよ。そりゃあもう、涙が出るほど甲斐甲斐しくね。あんなに真剣な姿は初めて見たよ。全く、私と同類だと思っていたのに、裏切られた気分だよ」
速水は少し遠い目をして呟き、鶫の服のボタンを閉じた。
*
そのまま鶫は退院となった。正規の病院であれば、もうしばらく入院して様子を見るのだろうが、ここはあくまでも闇医者だ。動けるようになったら即退院である。
「おっさん」
見慣れた風景、住み慣れた街、いつもの家路に戻ってきた。長い悪夢から醒めたような人心地がした。鶫は風間の手を握った。
「……悪かったな。色々迷惑かけちまって」
「急にしおらしいな。生きてりゃいいって言ったろ」
「それと……」
鶫はもじもじと風間の手を握りしめた。掌が汗で湿っている。
「……ありがとな……」
「……」
風間も、鶫の手をぎゅっと握り返した。
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」
真冬の空気は切れ味鋭く張り詰めているというのに、体はぽかぽか火照って汗ばむくらいだ。鶫はマフラーを外し、風間に押し付けた。
「何すんだよ」
「うっせ。暑いんだよ」
「自分で持て」
「俺ぁ病人だぜ。労われよ」
「嘘こけ。ピンピンしてるくせに」
「それに腰もいてーなぁ。誰かさんががっつくからな~」
「おまっ、そりゃお前が……」
「じょーだんだよ。腰は痛くねぇ」
鶫は風間にじゃれ付いた。風間は絆されたように微笑む。
「まぁ、今日くらいはな」
二人の男が家路を急ぐ。まだ硬い桜の蕾が、そう遠くない春の訪れを待ちわびていた。
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