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「おい」
はっと気付くと、薄暗く静かな部屋にいた。風間が濡れたタオルで鶫の額を拭っていた。
「…………なんだ、おっさんか」
「なんだとは何だよ。大丈夫か?」
「……何が」
「……いや、何でもねぇ。喉渇かないか」
「……少し」
「何がいい」
「……何でも」
「ホットかアイスか」
「……あったかくてあめぇやつ」
待ってろよ、と言って風間は寝室を出た。キッチンで物音がするので、鶫も覗きに行った。風間が電子レンジでミルクを温めていた。
「ガキかよ」
「あったかくてあめぇだろ?」
「俺が言いたかったのは、ホットカクテルとかそーいうのなんだけど?」
「んな洒落たもんがうちにあると思うか?」
「ブランデーくらいなかったか?」
「お前、普段から酒なんか飲まねぇだろ。子供舌なんだから」
揃いのマグカップが並べられる。白い湯気がふわふわと舞う。大きめのスプーンに蜂蜜をたっぷり注いで、ミルクに溶かす。カチャカチャと食器のぶつかる軽快な音が、深夜のキッチンに響く。
「ほら、ゆっくり飲めよ」
鶫はマグカップを掌に包む。いつの間にか冷えていた指先がじんわりと解けていく。仄かに甘い香りが漂う。一口飲めば、体の芯からほっと温まった。
「うめぇ」
「こんなに簡単なのにな」
「あんたも飲むのかよ」
風間は、唇に付いたミルクを舐めて笑った。
「同じもん二つ作る方が楽だからな」
「あんたこそ、にげぇブランデーを寝酒にする方が似合ってんだろ」
「単純に、お前と同じもんがよかったんだよ。ずっと一緒に暮らしてると、嗜好も似てくるのかもな」
「は、あんたも子供舌ってことじゃねーか。おっさんのくせに」
憎まれ口を叩きながらも、自然と頬が緩んでしまう。鶫の顔を見て、風間も頬を緩ませた。
「眠れそうか?」
「……さぁな」
「そこは寝れるって言っとけよ。この他に寝かし付けの方法知らねぇんだけど」
「んなことされなくたって、いつか勝手に寝るさ。あんた時々……」
父親みたいなことをするよな、と言いかけて、鶫は口を閉じた。世の父親はこういったことを子供にしてくれるものなのだろうか。世間の父親像を、鶫はまるで知らない。
それに、風間は父親にしては歳が近すぎる。どちらかといえば、歳の離れた兄だろうか。世間でいうところの兄貴ってやつも、弟にこういったことをしてくれるものなのだろうか。
「何だよ? 急に黙って」
「いや……母ちゃんみたいなことするよな」
「おま、おっさんにそれを言うか?」
「ばあちゃんよかいいだろ」
「んな歳じゃねぇわ!」
世間でいうところの母親がどういったものか、祖母がどういったものであるのか、鶫はまるで知らない。知らないが、知らないなりに、それらの理想像を風間に見た。
「お前こそ、いつまでもガキみてぇなことばっかり」
「かわいーだろ? 甘やかしてくれよ」
「何がかわいーだよ。自分で言うな」
真夜中の薄暗いキッチンで、秘めやかな談笑は続く。
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