声が消えた世界

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 僕たちは二人並んで歩きながら、他愛ない話を繰り返した。僕はチップを介した抑揚のない言葉で、彼女は想いが乗った自分の声で。  二十分ほど歩いたぐらいで、道の脇に自動販売機を見つけた。それは、お弁当の自動販売機のようだった。 「こんなものがあるんですね、初めて見ました」 『僕もです。辺りに飲食店も見えないですし、この町では自動販売機で飲食を提供するのが主流なのかもしれないですね。最近は、店員がいない無人の飲食店も増えてきてますし、コスパ的にもこっちの方がいいのかも』 「なんだか、ちょっと寂しいですね」  低い音程で、真紀さんは言った。短調の波長が、声に乗って流れてくる。こっちまで切ない気持ちにさせられるような、声の響きだ。 『真紀さん、そっちに木造の屋根とベンチがありますよ。何か買って食べませんか?』  と、提案しておいて、デートのランチとしては少々陳腐すぎるような気がした。焦りつつすぐさま言葉を訂正しようとしたけれど―― 「いいですね! 青空の下で食べるご飯って、私好きです。まあ、小学校の遠足以来なんですけど」 『同じくです』  自分の意思が右往左往して、彼女のもとに着地した。エスコートしなければ、なんて意気込んでいた頃の僕は、既に形すら見えなくなっている。  真紀さんはのり弁当を。僕は焼肉弁当を買った。お茶も同じ自動販売機で売られていたので、緑茶のペットボトルを二本購入して、一本を真紀さんに手渡した。お弁当二つとお茶二本、お金は全て僕が払った。真紀さんはおごられることを良しとはしていなかったようだけれど、そこは強行突破してみせた。これで少しは、男としての面目も保てたのでは? まあ、総額で二千円もいってはいないのだけれど。  自然の中で食べる米や肉は、自室で黙々と食べるものよりも数倍美味しく感じられた。いや、自然の効果なのかどうかは判然とはしない。もしかしたら、隣から声が聞こえてくるから、なのかもしれない。    真紀さんは、弁当の美味しさのあまり、変な唸り声を上げていた。動画でも聞いたことのないその面白い声に、僕は思わず吹き出してしまった。ご飯を飲み込んだ後だったのが幸いだったけれど、それでも彼女に「汚い」と罵られてしまった。  お返しと言わんばかりに、僕は真紀さんに変な声を出さないでほしい、と指摘する。指摘したら「じゃあ、もう声を出さない」と拗ねられた。  面倒くさい、と思いながらも、なんだか微笑ましくもなった。僕は彼女に何度も謝りながらご機嫌を取ろうとする。立場的に弱いこのやり取りが、妙に心地良い。 「本当に、反省してますか?」 『それはもう。愚かな自分を殴ってしまいたいぐらいです』 「そこまではしなくていいですけど……。分かりました。では、一つお願いを聞いてくれたら、許してあげます」 『なんです?』 「敬語を止めて下さい」  真紀さんのお願いは、社会性のある人からしたらそれほど難易度の高い内容ではないのだろうけれど、僕のような人間からしたら話は違ってくる。タメ口なんて、ここ数年家族以外に使っていない。  真紀さんとは何度か会話をしているが、こうして顔を合わせるのは二回目だ。しかも、一回目は短い時間だった。  うーん。関わった時間と親密度が比例するのかどうかは分からないけれど、やはり抵抗があるな。僕としては、敬語の方が気楽でいられるんだけれど……。 「止めてくれないのなら、私も声を出すのを止めます」 『ほとんど脅しじゃないですか』 「ですか?」  細めで睨みつけてくる真紀さん。どうやらこれは、逃れられそうにない。女性とタメ口で話す、か。思えば、大人になってからは初めてかもしれない。敬語じゃないとなんだかとても仲が良いみたいで、男女間でそうなると、大人では子供とは違う未来もあったりして。だから、そういうのは、きちんとした過程を経た上でやっていくもので――――はあ、何をごちゃごちゃと。  よし。こうなったら、腹を括ろう。そもそも、声が聞けなくなってしまうかもしれないのだ、悩んでいる余裕などない。  だが。同年代で敬語とタメ口、というのも違和感があるだろう。 『分かった。でも、真紀さんにも敬語を禁止してもらうよ。片方だけがタメ口だと、対等な感じがしないからね』 「分かった!」  彼女は屈託のない笑顔を向けながら、僕のように迷うことなどなく即答した。破裂音のような勢いのある声が、僕の身体を一瞬のけぞらせる。明るくて元気があって、これまで聞いてきた彼女の声の中で一番晴れやかな感じがした。 「『ごちそうさまでした』」  二人で手を合わせた後、空になった容器とペットボトルは自販機横に備え付けてあったゴミ箱の中に入れた。  お腹も満たされたので移動を再開しようとしたけれど、食事をしながら会話もたくさんしたし、このまま変わらない景色の中をずっと歩き続けるなんてことになったら、正直途中で会話のネタもなくなり、疲れも出てきて、悲惨なデートになりかねない。  僕は、脳内チップからデータバンクに検索をかけた。何時もは他人に投げかける言葉を、人ではなくデータバンクに意識設定し投げることで調べたいものを検索することが出来る。便利ではあるのだけれど、調べている間は意識がそちらに行ってしまって身動きが出来なくなってしまうのが難点だ。パソコンのように、データ通信が一瞬の内に終わるわけでもないので、一人でいる時もほとんど使用はしない。  さっき駅を出る時に見たここの地名を投げかけ、何か観光スポットのような場所はないか検索をかけた。結果、表示されたのは一つ。 『森の洞窟、と呼ばれてる場所があるみたい。行ってみる?』 「行ってみたい。可愛らしい響きだし、雰囲気も良さそう。歩いて行けそう?」 『うーん、ここから約十二㎞ほどあるみたいだし、歩いて行くには辛いかも。タクシー会社にコールしようか』  タクシーを一台要請し終えると、ものの数分でタクシーは僕たちの頭上に着いた。二人で乗り込んで、目的地を設定していく。【森の洞窟】と単語で設定出来なかったところをみると、どうやらその呼び方は正式な名称ではなかったようだ。そこを訪れた人たちが、見た目からそう呼び始めたのだろう。  上空からでも、その存在をはっきりと視認することが出来た。水田が等間隔で置かれていた地域の先に、木々が密集している区域がある。その場所は、山の麓にあって、そこを通ればそのまま山を登って行けるようになっているようだ。せっかくだから山も登ってみるか、と思ってすぐにその案を頭の中からかき消した。アウトドアを好む人間ならまだしも、僕らはどちらもインドア派の人間だ。一時のテンションで調子に乗ってしまうと、後で痛い目を見ることになってしまう。例えば、足が痛くなって動けなくなるとか。  目的地の付近でタクシーが停まって、僕たちは降り始めた。地上に立つと、真紀さんが「山も登ってみる?」と言い出したので、僕は断固拒否をした。気持ちは分かるけれど、心を鬼にして回避可能な苦痛からは回避しなければ。  入ってみるとそこは【森の洞窟】と呼ばれるにふさわしい場所だった。左右は木々で覆われ、上空もどのようにしてその形になったのか、幾本もの大木がアーチを描くようにして伸び、そこから数えきれないほどの枝と枝とが絡まっている。微量の陽光が差し込まれるぐらいの隙間しかない。  薄暗い空間は果てが見えないほどに続いていて、所々に線状の光が散らばっている。等間隔ではないことが、人工的ではないことを表しているかのようだ。 「きれい」 『ええ、本当に。自然が生み出した、神秘的な光景だね』  僕たちは、しばらく会話をすることなくその中を歩いて行った。植物に囲まれているせいか、どこか呼吸がしやすい気がする。 「わあぁぁぁ――!」  突然、真紀さんが大声を上げた。僕はびっくりして、思わずその場で飛び跳ねた。その様を見て、彼女はお腹を抱えながら笑った。 「あはは。ごめんなさい、思わず出したくなっちゃって。壮大な景色のせいかな、解放感がすごくって」 『それはいいけど、今度は大きな声を出す前に一言、言ってほしいな』  僕がわざとむすっとした表情を見せると、彼女は平謝りをする。別に僕は本気で怒ってもいないし、彼女もそれを分かっているから本気で謝罪をすることはない。所謂、茶番だ。傍から見ればくだらないと思われるであろうそんな茶番を、楽しいと感じているのは、気恥ずかしいので彼女には内緒にしておこう。  真紀さんの声に呼応したわけではないのだろうけれど、急に森の中がざわめき始めた。一つでも二つでもなく、もっとたくさんの音が飛び交って、一種の旋律を奏でていく。 「うわあ、すごい。鳥とか虫の鳴き声が、こんなにたくさん」  音と音は決してぶつかることはなく、空間を埋め尽くしていくように、自然界のオーケストラが始まった。 『不思議だな。声帯を持っていない生物が出す音も、鳴き声のように【声】と呼ばれてる。人の声とは、全く違うのに』 「想いが込められてる、っていう点では一緒だよ」    声帯を持つ真紀さんが言うならば、説得力はある。彼女がこれまで発してきた声は、無数の形を成していて、それは心の変化によって変わっていくのだろう。つまりは、彼女の想いによって、変わっていく。  声帯を持たない生物がだす鳴き声も、危険を伝えるためだとか、求愛だとか、役割を持っている。それも、想いがゆえに、と考えてもなんらおかしくはないはずだ。  だとしたら。  人から声帯がなくなり、他の生物のように鳴き声を出すこともないのは、人の声には想いがなく、役割すらも失ってしまったから、と、そういうことなのだろうか。 『もっとたくさんの人の声、聞いてみたかったな』 「…………そうだね」  何かが零れるように呟いた真紀さんは、一瞬視線を落としてから顔を上げ、満面の笑みを僕に向けた。  でも。その笑顔の奥は、笑っているようには見えなかった。声には、想いが込められているのだ。  自分だけ。自分だけが声帯を持っている。自分だけが、その想いを声に乗せて届けることが出来る。それはきっと、とても寂しいことだ。  だから。ではない。  けれど、それも少なからず要因の一つとしてあったのだろう。  一ヵ月後。真紀さんが――声帯を壊すために、叫んだのは。        
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