日清戦争~近代日本最初の対外戦争下で、近代国家黎明期の庶民がどのように生きていたかということを描いていきます。

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児玉源太郎といえば、あの日露戦争で活躍することになる名参謀のことである。 長州藩の支藩である徳山藩士の子に生まれ、少年兵として箱館戦争に従軍、凱旋後、大阪にできた兵学寮に入り、陸軍創始者として知られる大村益次郎が京都・木屋町で遭難し、大阪のボードウィン医師のもとへ搬送されるとき、大正期に首相となる寺内正毅とともにその担架を担いだ。 神風連の乱のときには、暗殺された種田政明鎮台司令に代わって指揮を執り、火力の集中攻撃で鎮圧。西南戦争では熊本城にろう城した。 陸軍大学校校長として、ドイツから派遣されてきたメッケルの教えを受け、この明治27年の夏、まだ全線がつながっていなかった山陽本線の工事を督励し、それを全通させたばかりであった。 伊藤は帰京してきたばかりの児玉を料亭に招いた。 このとき、陸軍次官兼臨時軍事委員長の要職にあった児玉は、 「勝てると思います」 と答えた。 「清国軍はその総数百万ともいわれますが、それらのうち、わが軍と正面からぶつかりあうのは李鴻章の北洋陸軍3万のみでございます。これに対して、わが軍は7個師団を有しております。一戦場にて、常に倍数を持って当たれば、まずは負けることはないでしょう。少なくとも朝鮮については、成歓の清国軍は3500、これに対してわが軍は8000、まず勝てるでしょう」 「朝鮮が手に入るのか」 伊藤が身を乗り出すと、児玉はまずいことをいったと思い、「朝鮮から清国軍は追い払えましょうが、その後はどこまでやるかです。平壌もしくは遼東半島のいずれかで北洋陸軍の主力とぶつかり、これは難なく敗れましょうが、問題はその後。山海関まで進むのか、それとも北京まで行くのか。どこで線引きをするかです」 といった。 「北京もとれるというのか」 「閣下」 児玉は座布団をよけた。 「よーくお考えください。列強はシナ大陸を分け取りいたしておりますが、モーゼル銃、クルップ砲で装備された北洋陸軍のいる満州・直隷平野には手を出しておりません。もし、わが軍が北京まで進み、清朝が滅びるようなことがあれば、列強が干渉し、シナは各地に軍閥が割拠し、戦争は泥沼となりまする。この戦争、始めるよりも終えることのほうが難しゅうございます」 それに、と児玉はいった。 「陸軍は勝っても、海軍がどうかは分かりません。陸軍と違って、海軍は勝ち負けがはっきりいたします。たとえ陸戦で連戦連勝しても、海戦で海軍が負ければ、列強はわが国の敗戦と判定するやもしれませぬ」 海軍の考えもお聞きなされ、と児玉はいった。
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