日清戦争~近代日本最初の対外戦争下で、近代国家黎明期の庶民がどのように生きていたかということを描いていきます。

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山本は海軍省へ戻ると、神田大尉からの暗号電文に目を通した。 「清国は万寿慶典(西太后の還暦祝賀)の関係で戦争を好まず。ロシア公使の調停案に期待したり。また、華北では豪雨が続き、出水により鉄道は破壊、電線も各所で不通、道路も泥濘で軍隊の移動は困難」 と開戦した場合の困難も報告していた。 山本は、この報告を伊藤首相に回すとともに、駐日ロシア公使ヒトロヴォがもたらした調停案を政府が受け入れることに期待した。 結果的に7月2日、陸奥が明治天皇の裁可を得て婉曲に拒絶するのだが、山本はもうひとつの大国イギリスの干渉にも期待した。 目下、駐英公使青木周弼とキンバレー英外相との間で条約改正交渉が進行している。 それらが良い方向で作用するのではないかと思われた。 (おれにも戦争を止める考えがある) 山本はある秘策をもって閣議に臨んだ。 山県有朋枢密院議長、川上参謀次長も出席する閣議で、権兵衛は開口一番、 「わが国は島国であります。いやしくもその島国たるわが国から大陸へ攻め入る場合、当然のこととして海を渡らなければなりません。そのためにも海上権を予め確保していく必要があります」 と発言した。 海上権とはすなわち制海権のことである。 「戦争をはじめるにあたって、まずこの海上権を確保し、然るべき後、陸軍の上陸を助けねばなりません」 川上は分からなさそうな表情で髭を撫でていたが、 「陸軍は九州呼子港から対馬―釜山に橋を架けることができますかな?」 川上は参ったという顔をした。 翌日、権兵衛は陸軍・参謀本部に出向き、参謀総長有栖川宮熾仁親王、川上、児玉らが出席した。 会議が終わった後、児玉はポンと山本の肩をたたき、 「山本サン、よくいわれましたな。これでわが陸軍の主戦派どもも、海軍の協力なくして戦争はできないと観念したことでしょう」 と笑った。
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