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雨は降っていたがほとんど霧状だったので、私は傘を差さずに歩いた。
川沿いに並んだ桜はまだ八分咲きといったところで、それぞれが独立しているように枝と枝との間に隙間が空いている。三月の末には満開となっているだろうか。例年の通りであれば恐らくそうであるが今年はどうかまだ分からない。
川の上を十字に横切るように環八通りがあり、乗用車と物流のトラックとタクシーが規則正しく通過していく。割合は乗用車が最も多い気がするが、トラックが動作するときに生じる音が最も大きい。川に降る雨で表面が揺れており、その横で何匹かの鯉が寒そうに息継ぎをする。
高井戸駅は私の歩いている緑道と川を挟んで反対側の岸にあり、環八通りの真上に位置する場所に佇んでいるその駅から電車の到着を知らせる音が鳴った。十四時九分発の渋谷行の電車であればそれは私が乗ろうと思っていた電車であるが、スマートフォンを取り出して操作をするには少し肌寒いなと思った。団地から駅までの五分足らずの道はこれまでで最も鮮明に私の目に焼き付いている。
駅まで見送るといった母には、すぐまた帰るからという言葉を残して家を立った。実際にそのつもりであったし、実家に帰るのを苦にするほど両親や兄弟との仲も悪くない方だと思う。むしろこの歳になるまで実家に居座ってしまったことに後ろめたさのようなものもあるくらいだった。
高井戸の都営団地は二〇〇二年に完成して、それと同時に私たちはここに住み始めた。その前に住んでいた場所も同じ区域内ではあったが、今の団地よりも駅から離れていたし木造のあまり新しくないアパートだった。元々長崎に住んでいた父が上京した時にこの辺りに住んでいたらしく、母と出会ってからの大概の出来事はこの辺りの狭い区域の中で完結していた。
母は東京出身だったが、西東京のどちらかと言えば田舎臭い街で生まれ育った。正月に親戚の集まる青梅の母の実家に帰省するときはお年玉が貰えることと刺身を食べることができることが楽しみだったが、やはり私も自分の家の方が好きだった。
もう二十年も住んでいたことを考えれば、客観的に考えてもそう思わざるを得ない。
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