0時から9時まで

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0時から9時まで

───夜勤のバイトをしようと思ったのは、ただ単に夜眠れないからだった。  どうせ眠れないならその時間に金を稼ごうじゃないか、夜勤は時給が良いし、というよく分からない自己満足な理由。それ以外に特にない。  だけど、そんなバイトを初めて3年経った今では、時給の良さなんてのは二の次になっている。  主に恋人同士が使う宿泊施設、所謂ラブホテル『(こう)』。そこが、俺、神原(かんばら)由貴(ゆき)の職場だ。  高速道路沿いに建てられたホテル『香』は、横幅のある5階建ての建物を駐車場が囲むように造られ、利用客が通行人に見えないよう、外観に合わせた外壁で更に囲っている。  利用客用の出入口のほぼ裏側に従業員用の出入口があり、横に従業員用の駐輪場もある。簡素な扉を開けると、そのすぐ脇には扉のない手作り感溢れる棚が置かれ、中は脱ぎ履きしやすいサンダルやクロックスで埋まっている。 自分の黄色いクロックスに履き替え、高い段差を上がって事務所の中へ向けて声を掛けた。 「おはよーございまーす」  一応〝事務所〟となっているが、初めて見た時はまるでシェアハウスの共同リビングのようだった。 すぐ左手にはビール、炭酸、焼酎のサーバーと家庭用大型冷蔵庫。右側には冷蔵庫との間に通路を作って置かれた大きなテーブル。  冷蔵庫の更に奥には、主に従業員が客室へ向かうための非常階段に続く防火扉があるけれど、常に開けっ放しだ。  非常階段は冷蔵庫の裏側を通るよう伸びていて、降りきって真っ直ぐ行くとエントランスに抜ける扉がある。  裏口から入って正面奥には、業務用の箱形冷凍庫。その右隣は、3人入っていっぱいの狭いフロントの入口で、カラオケやパソコンやら防犯カメラのテレビやら、ぎっしりと電気機器や機材も詰まっている。  その入口の右側には、同じように箱形の業務用冷凍庫がある。フロントの入口は冷凍庫に挟まれているのだ。  右側の冷凍庫の向かいにはソフトドリンクサーバー。冷凍庫とサーバーに挟まれて出来た通路の奥は、カーテンに仕切られて備品類と簡易休憩所兼喫煙所で、荷物置き場でもある。    事務所のほぼ中央にある6人掛けの木製テーブルには、学校で見るようなパイプ椅子が六脚。その上には使い古された座布団が煎餅のようによれている。  〝事務所〟に入って右に曲がれば、一般家庭にあるキッチンと家庭用の冷蔵庫。  すぐ近くにプラスチックのお盆とグラスの置いてあるシルバーラックが木製テーブルの真後ろにあるせいで、実質ほぼ中央のテーブルは4人掛けくらいになっている。頑張れば6人いけると思う。  キッチンの上には棚、ジュースサーバーの横にはシルバーラック。ラックにはよく使う平皿などが入っていて、上には一升炊き炊飯器と電話機が置いてある。業務上致し方ないとはいえ物が多いせいか、ごちゃついて見えるキッチン周りは田舎の実家を思い出させた。  そして俺はいまだにこの事務所が、シェアハウスの共同リビングに思えて仕方ない。大体、勤めてる人間がほとんどフレンドリーなのだから、一部を切り取ればシェアハウスと言われても不思議でないのだ。個人的には妙に居心地が良い。 「おはよーユッキー。今日ひまだよ」 「あ、まじか。水曜日だしな」  フロントから出て来た夕勤の河瀬さんは、姉御肌で中学生子持ちの若ママである。見た目は派手だがさっぱりとした性格ながら、気遣いに長けている。  他の人は客室清掃中なのか、事務所には川瀬さんだけだった。最も回転率の高い夕方の時間に暇なら夜中はもっと暇だろうと当たりをつけた。 右側の業務用冷凍庫の横にあるカラーボックスの上に置かれたタイムカードを切ってジュースサーバーと業務用冷凍庫の間に出来た通路の奥へ上着と荷物を置いて戻ると、裏口の扉が閉まる音を聞いた。 「・・・おはようございます」 「おはよ、(しょう)くん」 「カワちゃんおはよー」  仕事用のサンダルに履き替え、猫背気味にのそりと事務所に入ってきたのは、無造作に肩甲骨あたりまで伸びた茶髪を一つに結んだ、夜勤仲間の河内(かわうち)(しょう)。  俺の一歳上で24歳。ちなみに同期でお互いに勤務歴3年目だ。
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