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「なに、今日混んでんの」
河瀬さん以外に出勤している人が見当たらない〝事務所〟の様子に、翔君は無表情のまま聞いた。
翔君は中性的なイケメンだが、基本無表情であまり喋らない。だけどそれでも他のスタッフに可愛がられている。それは偏に無口無表情だけど素直で裏がないからだと思う。
「暇だよ~。上に三人居りゃ充分でしょ」
「ああ、そう」
タイムカードを切って奥に引っ込んでいった翔君を見届け、テーブルに寄りかかっていた体に力を入れてフロントに入る。
客用の受付口は小さく、それ以外は曇りガラスで客の顔は見えない。ラブホテルなんて利用客の事情を考慮すれば対面接客なんて殆どない。
伴って基本的に受付での接客はなく、客室はタッチパネルで選択式だし、初回の客が利用法を聞いてきた時や常連がその場で充電器や小物の貸し出しを要求してきたりする時くらいだ。
様々な機材が詰まるフロントは冬でも暖かい。パソコンデスクトップや小型テレビが数台、各階のフロアや駐車場などの防犯カメラ映像が流れている。
そのうち一台は客室状況をリアルタイムに表示しているモニターで、空室、休憩、宿泊、清掃中、点検中など、文字と色で分けられ、今どの部屋にメイクスタッフが入っているのかも扉の開閉マークの有無で分かる。
客室情報の映るモニターには、清掃中がいくつか、入室が十以下、空室が半分と表示されている。夜中に入ってくる客もいるが、昼や夕方に比べたら殆ど静かなものだ。
こりゃあ、夜中は翔君で遊ぶしかないな。
さっと状況確認を終えて〝事務所〟に戻ると、左側の冷凍庫に肘をついて壁に貼られたシフト表を眠そうな顔で見る翔君がいた。
「暇だよ~」
「うん」
短い会話はそこで終わり、俺は鼻歌交じりにキッチン側の家庭用冷蔵庫を開けた。ルームサービスに使う、様々な食材が入っている。
一番上のドアを開けると、3段ある棚の下段にサラダや付け合わせ、モーニングセットなどに使う千切りキャベツがボウルにたっぷりと入っている。2段目を開けても特に何かを補充する必要もなさそうだ。
無駄に多い飲食提供サービスは70種類ほどで、定食屋とカラオケ店のメニューがごちゃ混ぜになっているような内容だ。
因みに夜中はカツカレーがよく出る。
特にやることも無く、ぼんやりと翔君と共にシフト表を眺めていると、非常階段から楽しげな声が響いて聞こえてきた。
下りてきたメイクスタッフ三人と挨拶に少しの雑談を交し、0時で夕勤が帰ると事務所は水を打ったように静まり返る。
シーツやゴミの回収と忘れ物や食器の片付けなど、清掃準備点検の〝はがし〟状態である客室が4部屋、ホテル〝香〟は夜中の1時に自動的に宿泊へ切り替わるので、それを知っている常連がチェックアウトして、清掃部屋は全部で5部屋。
宿泊予定の客室が5部屋。
3年目ともなれば特に何も言わずともお互いに分かっていて、上から順に片付けていくことにした。
入りたての頃は驚いたものだ。
客室状況のモニターは清掃中に限り客室のテレビ画面でも確認出来るので、必ずテレビを点けるのだが、最中のAVが流れると焦って消してたというのに今じゃ妙に冷静である。
たまにマニアックなのが流れると、暇なときは翔君と二人で無表情で感想を言い合ったりしていた。
風呂、トイレ、洗面台、テーブル、ゴミ箱、アメニティ補充、ベッドメイク、掃除機を掛けて終了。
退室直後から入り、入室出来るまでは大体2人で15分から20分だ。あまり汚くなければ10分もかからない。風呂を使ってなかったりすればバンザイだ。
本当にヤるだけで風呂使わないってどうなの、とは思うけれど、掃除する側としてはラッキーでしかない。
風呂未使用だと分かると、2人で棒読みでイエーイと言う。それが楽しい。
ちなみに歴代最短3分である。ルームサービスの食事のみで、ソファとテーブル回りを綺麗にしてチェックして終了である。個室レストラン扱いか。
そんな楽しい時間を過ごしているのだが、他の時間帯のスタッフからは疑問されることが多い。
基本ノンフレンドリーな翔君である。他の人達は2人で仕事をしていて会話があるのかどうか気になるようだった。
楽しいよって言うと首かしげるくらいだ。
しかし彼は無表情だけどちゃんと喋るし、たまに笑う。
ストレスなんてないし、馬が合うというのか、とても居心地がいいのである。それは決して思い込みや自意識過剰ではなく、翔君本人から直接聞いているので自信をもって言える。
「ローション風呂ぉ」
「転ばないように気を付けてね」
「いやそっちゴミヤバない?」
「ゴミ箱の概念から教え諭すべき」
「それな」
退室直後の部屋の惨状に時々愚痴を言いながら、基本的に作業中は沈黙が続く。作業中に喋るとしたら最初とベッドメイク中くらいだ。
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