0時から9時まで

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───結論から言えば、内線は鳴らなかった。客室の埃や浴室のカビ取りなどを同時進行しながら、二時間弱の映画をじっくり視聴する事が出来たわけである。  客が入ってくる事はあっても帰ることはなく、ルームサービスの要求もなかった。 「はー、なんだかんだ5時だね」 「うん」  夏が近いのもあってか外はもう明るい。  平日の木曜だから、これから9時までは宿泊客が帰っていく時間だ。  みなさん仕事前に一時帰宅かな、と毎回想像しながら見送るのだが、平日休みなのか直行、または一時帰宅か。サラリーマン風の客を見るといつも思うけど、早朝から忙しいな。欲望に忠実である。  清掃中にしてある客室のモニターからは、入室中の部屋が入室から何時間何分経ったのか、どこの部屋が清算中なのかが丁寧に音声案内と画面表示で教えてくれる。 「2階帰る」 「ね~」  ソファで寛ぎながら、2箇所が清算中と表示されているモニターを眺める。  それから清算が終わって扉を開けた合図は、客室番号の枠内に扉のマークが出て点滅するのですぐ分かるのだ。  そして6時からはモーニングサービスが開始する。宿泊客の半分は頼むのだが、入室した後すぐサービスを予約する部屋は良いんだけど、いきなり来ると「このやろう」となる時もある。満室からの連続退室の時とか特に。  けども今日は余裕なので突然のモーニングも快く引き受けられる。  退室直後の客室に入り、ゴミとシーツ類、レンタル品などを回収して、客室に備え付けであるグラスやマグカップ、ガウンは使用済みを回収してリネン室にある予備を補充しておく。 そうして手っ取り早く〝はがし〟を終えてからモーニングサービスの準備に取り掛かる。 事務所に戻って、モーニングの予約の紙が貼り付けてあるボードに向かう。 「30分刻みの洋食4か。めんどくさ」 「掃除はすぐ終わる」 「翔くんと一緒だからねえ」 「由貴と一緒だからねえ」  翔君のノリの良さと棒読みが逆に良い。  面倒臭いとは言うけれど、モーニングセットの準備はあっという間に終わる。2人ならば尚更、4つ分の下準備なんてウルトラマンの活動時間以内だ。  しかし最近の注文は洋食ばっかりで、和食を食えよ日本人、なんて翔君と言いながらサクサク終わらせた。  掃除も済ませてモーニングも届け終わり、8時前になるとまたどこかが帰る、という具合に、9時の30分前には宿泊の在室が3つ。5時には休憩で入れるようになるので、既に休憩で2組が入室していた。  そして9時半頃になると、早番のパートさんたちが続々と出勤してくる。  従業員出入り口の開閉音が聞こえると、俺はちょっとワクワクするのだ。 「おはよ、う・・・またやったの」 「おはようございます」 「おはようございまーす。どう、今日も可愛くね?」 「・・・うん、可愛いけど」  翔君の肩に手を置いて主張すれば、一番の古株であるパートの白石(しらいし)さんが、苦笑いしながらそう言った。  翔君のヘアスタイルは俺の気分で変わるので、いつも少し緊張しながら来るらしいパートさんたちの反応も楽しみの延長線上にある。  そして嫌がらずにそのままにしてる翔君もまた可愛いのだ。  白石さんとフロントに入りながら引き継ぎを行っていると、従業員出入り口からの開閉音と次いで驚く声を聞く。  上がり時間になると翔君はゴムを取ってまたひとつ結びに戻るから、それまでのちょっとしたイベントである。  嫌われちゃうよ、なんて言う人もいるけど、それはない。面倒臭くなければ良い、と本人に許可を貰っているからである。それに毎回じゃないし。  そうして、暇な一日の仕事を終えて、翔君と途中まで自転車で帰った。 「おつかれー、おやすみ~」 「おつかれ、おやすみ」 曲がり角で手を振って、左に曲がりペダルを踏み込んだ。  あとは風呂入って寝るだけである。あんまり眠気はないけれど、そういう時は翔君とのやりとりと思い出しながら布団に潜れば、いつの間にか寝ているはずだ。 まったく、いない所でも大活躍なイケメンである。 暑すぎない心地よい空気を吸い込んで、口から吐き出した。見上げた空は眩しい。 「お出かけ日和だ」 そんな時間は寝て過ごすのだけれど、仕事中に交わしたデートの予定を思い出すと自然と頬が緩んだ。 翔君と遊びに行ける事の喜びが、内側で膨れ上がって抑えられなくなりそうだった。布団の中でゴロゴロしてしまいそう。
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