あの日のこと

2/7
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「まさか山本さんが参加するとは思わなかったな」  キャンプ地で陽気に話しかけてきたのは、色黒でひょろっと背の高い日向(ひゅうが)くんだった。黒いマッチ棒みたいな体型だったが、火をつけてみなを温めてくれるような明るい存在で、私も彼には好感がもてた。  飲み会で無口な私に気がねなく話しかけてくれ、うなづいたり笑ったりするだけで会話しても楽しいはずもないのに、そんなことは全く気にしていないような素振りを見せてくれたのは日向くんくらいなものだった。  肌が黒いのは高校までサッカーをしていたらしく、大学に入ってからもサッカーサークルとこのサークルを兼部しているからだと言っていた。友達に誘われて籍だけおいているサークルもあるらしい。つまり彼は三つ以上のサークルに所属していることになる。 「そうなんだよ!私もびっくりしてさぁ」  朗らかに答えたのは、私をこのサークルに誘ってくれたすずちゃんだった。彼女も日向くんに負けず劣らず肌が黒かったが、趣味としてサイクリングをしているかららしい。  趣味といっても本格的で、折り畳める大きな自転車を見せてもらったことがある。体の小さなすずちゃんが、この自転車に乗って日本中を駆けめぐる姿を想像すると、ものすごい偉業を成し遂げているような気がして、尊敬の眼差しを向けてしまう。 「キャンプ好きなの?って聞いたら、好きでも嫌いでもない、ってゆーんだからますますわからなくなっちゃって」  すずちゃんは大袈裟に困った顔をしたが、急降下している眉がずいぶんかわいらしくて、少しも不快感はなかった。 「普段、何してんの?勉強?」  日向くんが不思議そうに尋ねる。サークルをいくつも兼部している彼にしてみれば、私が時間をもて余しているように見えるのかもしれない。 「いっちゃんはね、バイトとテレビゲーム三昧です。ねっ?」  〈いっちゃん〉というのは、山本樹(やまもといつき)という私の名前のあだ名だった。子どものころも今も、そう呼ぶ友人が多い。  私の代わりにすずちゃんが答えてくれたので、笑いながら二度うなづいた。 「どう?ざっと見て。新入生増えて知らない人ばかりでしょ」  すずちゃんは辺りを見渡しながら上目づかいで聞いてくる。まんまるの瞳がキラキラと眩しくて、その瞳をのぞき込めば、すずちゃんがサイクリングで走り回った日本中の広大な景色まで手が届きそうな気がした。  私が一人になるのではないかと心配してくれているのだと思う。確かに知らない人ばかりだったがそれほど気にはならない。どうせ知っている人とも知らない人ともほとんど会話はしないから。  そのときふと目に入った男の子がいた。たぶんこのサークルで初めて見かける男の子だったが、透けるような肌の白さに目をひく。小学生のころキャンプで出会ったあの男の子を彷彿とさせ私はくっついた磁石みたいに急に目が離せなくなった。 「ああ、彼?小敷(こしき)くんてゆーの。もしかして会うの初めて?」 「小敷なら、話しかければ気さくに何でも答えてくれるよ。でも、あまり自分からは話しかけてこない山本さんタイプかな」  日向くんがちょっと意地悪く、だがふんわりと微笑む。  小敷くんは記憶の中のあの男の子に酷似しており、透けそうな白い肌に細い二の腕、尖った顎にかかりそうな長めのさらさらな黒髪、あの子が成長したらこんな大人になっているだろうという理想像そのものだった。  その横顔を眺めながら、あの日キャンプで起きた出来事を、誰にも話していないあの雨の日の夜のことを思い出していた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!