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第13章 打ち上げ
あれはイベントが上手く行って、それでえらく課長が上機嫌で、それでいつものところではない場所に打ち上げに行きたいと言い出したのが始まりだった。
それで課長が向かった先はなんとジャズバーだった。みんなは最初驚いたがうちの課長にもそんな粋な趣味があったんだと感心して、それに従うことになった。
いつもは大衆酒場でドンちゃん騒ぎというのが常だったが、今日はお洒落な雰囲気に浸りたいというのが課長の希望だった。どうしてイベントの打ち上げがお洒落でなくてはならないかと思ったが、いつもより美味しい料理と高級なお酒が飲めるということでみんなは快諾した。
「堂本、お前学生時代楽器やってなかったか?」
宴も盛り上がって来た頃だった。僕は課長のその一言にどきっとした。
「ステージに上がって、何か弾いてくれないかな?」
僕はその時何かの席でかつてギターを弾いていたことを課長に話したことを思い出した。
「堂本さん楽器弾けるの?」
すると課長の言葉に同僚たちが絡んで来た。
「うん。ちょっとね」
「聴きたいなあ」
「お前のためには弾いてやらない」
「じゃあ誰のためなら弾いてくれるの?」
でも僕がそう返すとそう言ってその子はそっぽを向いてしまった。僕は学生時代に夢中になっていたギターを卒業と同時に止めていた。僕は当時ある子とつきあっていた。彼女は僕のギターが好きだと言ってくれた。それでもっと上手くなろうと毎日ギターの練習をしていた。ところがある日、彼女はギターケースを背負った見知らぬ男と一緒に歩いていた。その日から彼女からの連絡は来なくなった。僕は何度も何度も彼女の携帯に電話をした。それでやっと彼女が出た。
「彼のギターが好きなの」
すると彼女はそれだけ言って電話を切った。それ以降僕はギターが嫌になった。僕はそんな嫌なことを思い出しながらステージの上のギターをにらみ付けていた。
(あいつが彼女を奪った)
「堂本さん」
その時、いつの間にか隣り座っていた藤木さんが僕を覗き込むようにして声を掛けて来た。
「堂本さん、どうして怖い顔をしてギターを見てるのですか?」
「そんな顔してる?」
「はい」
「なんでもないよ。怖い顔はきっとイベントの疲れがここに来て出たんじゃないかな」
「大丈夫ですか?」
「ありがとう」
僕が怖い顔をしていたせいからか、気がつくと会社の同僚が周りからいなくなっていた。そして一人藤木さんだけ取り残されていた。
「みんなのところに行かなくていいの?」
「はい」
「どうして?」
「だって私部外者ですから」
「でも今日まで手伝ってくれたんだから身内も同然だよ」
「なんかなじめなくって。それに今日でみなさんともお別れです。あまり仲良くなりすぎると、元の課に戻るのが辛くなりますから」
「そっか」
「堂本さん?」
「なんだい?」
「堂本さんがさっき見ていたのは・・・・・・」
「え?」
「さっき堂本さんが見てたのってギターですよね?」
「あ、うん」
「ギター、弾けるんですか?」
「ちょっとね。でも人様に聴かせるような代物ではないけどね」
「そうなんです?か」
「うん」
「私ね、私もギター少し弾けるんですよ」
「藤木さんが?」
「はい。父に習ったんです」
「へえ」
「父は昔のフォークソングが好きで、そんなのをよく弾いてました。私はそれを見よう見まねで」
「今も弾いてるの?」
「今はほこりをかぶってます」
「じゃあ藤木さんも今は触ってないんだ」
「学生の時は弾いてましたが」
「じゃあ学生を卒業してやめたんだ」
「はい。会社に入ってからは全く触ってないですね」
「なら僕と一緒だ」
僕はそう言いながらも止めた理由は違うんだろうなと思った。
「堂本さんは誰のためになら弾くんですか?」
「え?」
僕は彼女が突然何を言い出すのかと驚いていると、その時向こうに移ったみんなが藤木さんを手招きしたので、彼女は笑顔でそちらに飛び出して行った。
それから暫くして、それは藤木さんの父親のお通夜の時だった。彼女がビールとおつまみをキッチンに取りに行ってる間に、僕は部屋の片隅に忘れ去られていたギターを見つけた。これがあの時彼女が言ってたギターかと思った。それで思わずそのギターに手を伸ばしそうになった。
(僕は誰のために弾くのか)
その時僕は一瞬そう思った。しかし僕の手はそれより速くそのギターに届いていた。するとそのギターは確かにほこりをかぶっていた。それでもそれを胸の前に抱えると僕はもうそれを弾き始めていた。
(弦がさびてるな)
しかしそれもそれほど気にはならなかった。
(チューニングはだいぶずれてるな)
それはペグを回して調整した。
「あ、堂本さんが弾いてる」
キッチンから戻った彼女はそう言うが早いか僕の前に座りこんで自分の両手をその両頬に当てると僕の奏でる音を聴き出した。
「私のために弾いてくれるんですか?」
僕はそう聞かれて誰のために弾くわけではないと思ったが、今目の前にいるのは藤木さんだけだったので、あなたのために弾きますと言った。すると彼女はうっとりした目をしてずっと僕がギターを弾く姿を見ていた。
「私、堂本さんのギターが好き」
僕が数曲を弾き終えてゆっくりとギターを元の位置に戻すと最後に彼女はそう言った。
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