エミール・ゾラへの返信(影山飛鳥シリーズ05)

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第14章 回帰 (もし目が見えなくなったらどうしよう)  私はそればかり考えるようになっていました。そして時折自分の顔を鏡に映し出すと、右目の位置がどうしたら正常なところに収まるのかを思い悩んでいたのです。 (でも右目は見えないんだから、まっすぐ見ようと思うことが無理な話なのね)  そしてそのたびに私はそういう結論に達しました。それでもそれから数日が経つとやっぱり鏡の前に立っては右目が元通りに戻ってはいないかと期待しましたが、それはいつも徒労に終わったのでした。私はそんなことを退院してから4ヶ月近くも繰り返していました。私は退院から1ヶ月は自宅療養をしていましたがその後一度は仕事に復帰すると、それもあのような嫌なことが続き、復帰後早一ヶ月で再び会社を休んでしまったのでした。  その日は九月の最初の通院日でした。季節も夏から秋に変わり、私は今月末が期限の病気休暇を延長するかどうかを迷っていました。私はいつものようにロビーで診察室から自分の名前が呼ばれるのを待っていたのです。すると急に前を通り過ぎた女性がその場に倒れてしまいました。看護師さんが慌てて飛んで来て事なきを得ましたがどうやらその方はメニエール病をわずらってたらしく、時々強いめまいに襲われてしまうのだとその時私の隣に座っていたお婆さんが教えてくれたのです。 「足腰が元気で目も私みたいに緑内障とかではないのにああやって周りがわからなくなってしまうんだよね」  そのお婆さんはそう言ってたいへんだ、かわいそうだと言ってました。その時私は、でも目が見えるならまだましではないかしら、といつものにように思っていたのです。 「ああなっちゃうとね、ああなっちゃうってああやって激しいめまいに襲われるともう何がなんだかわからなくなっちゃうらしいの」 (それってしょっちゅう立ちくらみをしたら、もしかしたらどこにも行けなくなっちゃうの?) (見えてても何も出来なくなっちゃうの?)    その時私はそのお婆ちゃんの話を横に、見えるってどういうことかという思いが頭の中に渦巻いたのです。そして私は、見えるということは心が目を通して物事を知覚する行為だと思ったのです。  足がものを見るわけではありません。ですから例え足が不自由になっても心の機能を失うことはないと思ったのです。心が機能を失わなければなんだって出来る。そしてその心が何かをやろうというきっかけを作り出すと考えていたのです。  でもそれがもし目を失ったらどうでしょうか。もしそうなってしまったら何も知覚することが出来なくなってしまうのです。ですからそうなると心も死んでしまうと思ったのです。  何も見えない。だから何もわからない。だから何かをやろうという気も起きない。だから生きていても仕方がない。目が見えなくなると感動したり、やる気を起こさせたりする心が失われてしまうと考えたのでした。  ところが今目の前で見た光景は、目が見えていても何もわからなくなってしまうということでした。すると目は必ずしも心とは関係がないのではないかとその時突然私に降りて来たのです。  それは見える見えないに限らず心の機能は失われないのではないかということでした。心の機能を停止させるのはそれは心そのものがそうさせるからではないかと思ったのです。そして心がそんな思いに捕らわれることがなければ、つまり心が自由であればなんでも出来ると思ったのです。  私は見えなくなることに恐怖を感じていました。けれど例え目が見えなくなっても心を保つことは出来るのです。目が見える人だって目を閉じることによって却って自由な発想をすることが可能です。それは心が視覚から解き放たれるからです。  つまり見えることが必ずしも自由であるとは限らないのです。それに私は全く見えなかったわけではないし、ましてや歩くことも出来ました。ですからどこかへ行こうと思えばどこにだって行けるんです。  それにサングラスをかければ右目の位置も気になることはないでしょう。確かに片目の視力こそ失ってしまいましたがそれで済んだだけでもラッキーだったのです。世間にはもっと辛い思いをしている人がいます。そう思うと私はじっとはしていられない気分になったのです。 (気持ち次第で今からだって海にも山にも行ける。海外だってその気になりさえすれば行けるんだ。だから何かをしなくちゃ)  すると私の脳裏に堂本さんのこと浮かびました。冤罪の汚名を着せられて退職にまで追い込まれ、そんな辛い思いをされながらも私のことをいつも気にかけてくれた堂本さんのことが急に気になって来たのでした。  彼は人目を忍ぶようにして父のお通夜に来てくれたり、私が目のことで深く沈んでいることを知るとたくさんの励ましのメールを送ってくれました。そしてそれに無反応だった私を心配して最後には私の自宅にまで訪ねて来てくれたのです。  しかしあの時の私は正直それが怖いと思いました。私の安住の住処にずかずかと土足で踏み込んで来られることに恐怖を感じたのです。   でもその時堂本さんはどんな気持ちでそのことをしてくれたのだろうと思いました。きっと私の傷口に触れることで私が痛がり、怖がり、そしてその結果私から拒絶されることも予測したのだろうと思いました。それでも堂本さんはそれを敢えてした。いえ、してくれた。私は目が見えなくなったことで心の自由を失ったと思っていましたが、そうではありませんでした。堂本さんのそれらの好意を私が感謝するのか、それとも迷惑だと思うのかはそれは私の心の自由だったのです。そしてあの時私はその自由を失ってしまったのです。  私は何と堂本さんに謝ったら良いのかと思いました。そして今ならきっと堂本さんの好意にありがとうと言えると思ったのです。そう思った時私はその感謝の言葉の代わりに彼の冤罪をどうにか晴らしてあげたいと思ったのでした。  病院からの帰り道、私は会社を辞めることを決心しました。それで途中の公衆電話から会社に電話をして、課長にそのことを告げると課長は一言わかりましたと言いました。 (退職願を書かないと)  私は自宅に戻ると退職願を書くために便箋をあちこち探しました。以前堂本さんに手紙を出そうとして途中まで書いて放置した便箋のことを思い出したからでした。  それは本棚の端にまるで隠すように挟まっていました。こんなことでこの便箋のことを思い出すなんてと少しおかしくなりました。それはイベントにお手伝いに行った時に堂本さんの誕生日が明日だということを知った時に買ったものでした。私は突然誕生日のことをその課の人に聞かされたので、今から何を買おうかなどとても思いつかないし、せめてお祝いのメッセージでも送ろうと思ってそれでピンクの便箋と青いインクのペンを買ったのでした。 「堂本さん、お誕生日おめでとうございます」  私はそう書いてこれではあまりに簡単すぎるとその便箋を破りました。 「尊敬する堂本さん、いつもいつもありがとうございます。お誕生日おめでとうございます。プレゼントはありませんが、せめてこのメッセージで許してください」  次に私はここまで書いてにやりとしました。これはなかなかうまく書けた文章だと思ったからでした。それでその先を続けることにしたのです。 「今年はこれだけですが来年は期待してくださいね」  しかしもののはずみでそう書いてしまって、今度は困ってしまいました。 来年は何をプレゼントするのかと思ったからです。 (まさか来年までこのイベントのヘルプが続くわけないし) (でもこのイベントが来年もあって、また私がヘルプに呼ばれることもあるかな?)  しかしそう思ってはみたものの、どうしても来年に期待してほしいという箇所が気になってしまって、それでその便箋も破いてシュレッターにかけてしまいました。そしてとうとうここで筆が止まってしまったのです。 (どうしよう)  そうなるとどうやっても気の利いた文章は出て来なくなりました。それで仕方なくその手紙を書くことはやめにしたのです。  私は懐かしい便箋を前に再びそこに言葉を書き連ねることに何かわくわくするものを感じました。  でも、いざ文章を書き出す段階になってピンクの便箋は退職願にはふさわしくないと思えて来たのです。確かに私の新しい門出を祝うにはこのおめでたい便箋がふさわしいと思いましたが、そのおめでたい門出とは退職ではないような気がしたからです。つまり私のおめでたいこととは私が輝き始めるということだと思ったからでした。そしてそれは堂本さんへの恩返しで始まるのではないかと思ったからです。
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