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第15章 悪夢再び
その日あの女がいきなり私を訪ねて来た。名前を聞いてもわからなかったが女性だということで安易に会ってしまった。しかしそれがいけなかった。
「あんた、迷惑なんだけど」
私はその女が私を訪ねて来た事情を察すると、そう言い放ってそれで終わらせようとした。
「でも本当にその人が加害者だったのですか?」
「あんたあいつとどんな関係なのよ?」
「特に関係はありません」
「関係なきゃ引っ込んでてくれない」
「知人です」
「知人? やまいだれの方の痴人じゃないの?」
「何をおっしゃるんですか」
「それはこっちのセリフ。あのことは裁判でも有罪になってるんだから」
「ですからそれが冤罪ではないかとお尋ねしているんです」
「知らないわよ。そんなこと」
「知らないってあなたは被害者でしょ?」
「触られて振り返ったらあいつが立ってたのよ」
「その人が触ってたんですか?」
「触られた時に後ろに立ってたのがあいつだったんだから、あいつがやったんでしょ?」
「それはやった可能性があるというだけですよね?」
「うるさいなあ。あいつもやったと認めたんだからやったのよ。もう帰ってよ。みんなが見てるじゃない。迷惑よ」
私はそう言ってあの女を無理やり職場から追い出した。私の勤めていたところはイタリアから洋服を輸入する会社だった。お洒落な振る舞い、美しい概観こそが大事だった。それで通勤にもお化粧をきちんとして素敵な洋服をまとい満員電車にも我慢して乗った。
ところがあの日、あの被害にあった。確かにそれ以前にもちらちらと触られたことがあったがでもあの時はそれが度を超えていた。
「もう忘れちゃいなさいよ」
あの女が帰った後、職場を取り仕切る先輩からそう言われた。私はとっくに忘れていたのに、それを蒸し返したのはあの女の方だと思った。
‐蒸し返す‐
それはあの事件の判決がおりた直後にも同じようなことがあった。それは有罪が確定したにも関わらず、執行猶予がついたことであいつがすぐに外に出て来た直後だった。私は会社の仲間からあの痴漢事件のことがブログやツィッターで書かれていると言われてそのことを初めて知った。
それを書いたのはあいつだった。僕は無実だ。これは冤罪だ。と盛んに書きまくっていた。最初は見ないようにしていた。でもどうしても気になってついそれを見てしまった。それでもしばらくは見て見ぬ振りをしていた。ところが執拗なあの男の書き込みにそれもとうとう我慢が出来なくなって遂にそのブログにコメントを書いてしまったのだった。
あの事があって私はしばらく落ち込んでいた。そのことからようやく立ち直って来たと思ったら今度はあいつの知人だとかいう女が現れて、そしてあのことを蒸し返し始めた。いい加減にして欲しいと思った。被害者の私がここまでされる理由があるのかと思った。怒りがこみ上げて来た。もう黙ってはいられないと思った。
しかしその悪夢はそれだけに止まらなかった。それはそんなことがあった数日後の満員電車の中で起こった。
(触られてる)
それは痴漢だった。私はあの事件以来、乗る電車を変えて通勤をしていた。ところがその日、連日の不眠が祟って寝坊をしてしまい、どうしても前に乗っていた電車に乗る羽目になってしまった。それならば乗る場所を変えようと思って改札を通るまではそのことを覚えていたのだが、かつての習慣とは恐ろしいものである。いつもの癖で前に並んでいた場所に無意識のうちに立ってしまっていたのだった。
(まさかもうないから)
私はそのことに気がついて、乗る直前にそう思って乗り込んだ電車だった。しかしそれは甘かった。私はかつての手の感触を再び味わうことになったのだった。
(またあいつ?)
(まさか執行猶予になってそれでまだ続けてるの?)
その巧妙且つ執拗な触り方を私は決して忘れられなかった。力の入れ具合や擦る範囲、どういう順番で触っていくのか、私はそれらを嫌というほど経験してしっかり脳裏に叩き込まれていた。だから間違えるはずがなかった。これはあいつに間違いないと。
私は今度は後ろを振り向かずにいた。またあいつの顔をそこに見たくはなかったからだ。そして次の停車駅に着く直前にその手を渾身の力を込めて握り締め、全体重をかけてあいつを車外へ連れ出した。
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