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第19章 手紙
「時に堂本さん、藤木さんとは最近連絡は取られていますか?」
「いいえ。でもそれが何か?」
堂本は探偵の少しきつい言い方に反発した。
「そうですか。連絡は取られていないのですね」
堂本は影山の話がさっきから脱線したままなことに少し違和感を覚えた。確かに藤木の話は堂本が始めたことだったが、それがいつまでも続くことにはいささかうんざりしていた。しかしそれでも影山が真剣な顔をして堂本に尋ねたので堂本は仕方なくそれに答えることにした。
「退職してから以前の職場の人とは敢えて連絡は取らないようにしています。ですから彼女とも、もう僕からは連絡は取っていないんです。彼女が元気でいてくれればそれでいいし、僕が無理に彼女の生活に入り込むことで彼女が傷つくのなら、それは僕の本意ではありませんから」
堂本は一息にそう言うと少し疲れた表情をした。影山は堂本の言うことを黙って聞いていたが最後にわかりましたと言った。
「でも先生、彼女が傷つくならっていう今の堂本さんの発言ですが、どうして堂本さんが藤木さんを傷つけたんですか?」
すると鈴木が影山を見てそう言い出したが、それを影山が遮って、そのことは今はいいんだよと言った。堂本は二人のやり取りを見ていったい何のことだろうと思った。
その時だった。突然影山の事務所がある洋館に数人の靴音が鳴り響いた。影山の事務所があるその洋館は玄関を入るとすぐ右手に螺旋階段があり、それを上り、四分の三周ほどすると少し大きな踊り場に突き当たった。その踊り場の正面に影山のグリンエア探偵事務所のドアがあったのだった。
「またお客さんかしら」
鈴木がそう言ったが、影山にはもっと強い意志が感じられる靴音に聞こえていた。影山の事務所を訪ねて来る人間は何かにすがるようなもっと弱弱しい足音をさせてその階段を上がって来ることを知っていたからだった。その来訪者はドアをノックせずにいきなり事務所に入って来た。
「あ、本間さんに三日月さん」
すると彼らを迎えた鈴木はそう言った。
「影山さん、この前はどうも」
その二人は警視庁の刑事だった。二人はS島での相続殺人事件で影山と知り合い、それからの仲になっていた。年長の方が本間、そして若い方が三日月といった。
「今日はどんな御用ですか?」
「今日は影山さんにではなくて、そちらの堂本さんに用があります」
堂本は見知らぬ二人に突然自分の名前を言われたので驚いた。
「堂本さん、警視庁の者です。実は藤木さんが亡くなりました。そのことで少しお話をお伺いしたいのですが」
「え! 藤木さんが?」
「堂本さんは藤木さんのことをご存知ですよね?」
「ええ、前に勤めていた会社の同僚です」
「影山さん、ずうずうしいお願いなんですが、出来ましたらこの場を借りて堂本さんに少しだけお話を聞かせていただくわけにはいかないでしょうか?」
するといつの間にか影山の横に来ていた本間がそう言って影山に頭を下げた。
「本間さん、それって先生のお知恵を借りたいっていうことじゃないですか?」
鈴木がそう言うと本間は頭を掻きながらはいと答えた。
「構いませんよ。私たちがいる方が刑事さんも無茶な事情聴取はしないでしょうし、堂本さんの人権が守られますから」
影山はそう言って笑った。
「酷いなあ。私たちがそんなことをしないことは影山さんならわかっているのに」
本間は苦笑いをしながらそう言うと堂本の正面に座った。
「堂本さん、すみませんお時間を少しいただきます」
「本当に藤木さんが亡くなられたのですか。それってどうして?」
「殺害されました」
「殺された?」
「はい」
「どうして?」
「それで今調べて回っています」
「死んだんだ。彼女が・・・・・・」
堂本は藤木の死を知らされて、金縛りにあったように呆然としてしまった。
「それでね堂本さん、関係者皆さんに事情を聴いているんですが」
「関係者?」
「はい」
「僕は彼女とは昔の会社の同僚ということだけですが」
「はい」
「前にあの会社に勤めていた方々にまで聴いて回っているんですか?」
「いいえ」
「ではなぜ僕に?」
「実はその殺害現場に彼女が途中まで書いた便箋が残されていたんです。きっと手紙を書いている途中で来客があって、そしてその来客に殺されたものだと思われるのですが、その手紙は堂本さん、あなた宛のものでした」
「え!」
「藤木さんはあなたに手紙を書いていたんです」
「藤木さんが僕に手紙を?」
「はい。ですから単なる元同僚ではないのだなと判断しました」
「手紙を・・・・・・」
「はい」
そこで堂本はうつむいてしまった。堂本は藤木の死がどうしても信じられなかった。彼女の死を実感出来なかった。あれほど快活で明朗な子がどうして殺されなくてはいけないのかと思った。
「本間さん、その手紙にはなんて書かれていたんですか?」
堂本の隣に座っていた影山は堂本の肩に優しく手を置くと続けて本間に尋ねた。
「内容ですか?」
「はい。本間さん、そこに書かれていた内容が内容だからわざわざこうやってこんなところまで訪ねて来たんですよね?」
「全く影山さんは何でもお見通しなんだから」
本間は影山の指摘に頭を掻くと、その手紙の内容は内緒だけど特別にお話しすると言って手帳を取り出した。
「内容はここにメモしてあります。読み上げます」
一同は本間に注目した。
「堂本武様、ご無沙汰しております。ご連絡を差し上げなくて申し訳ありませんでした。堂本さんからは色々と気遣いを頂いて感謝しております。でも私にはとても堂本さんのご期待には添えないのです。ごめんなさい。ですからこれ以上私を苦しめることはご容赦ください。これ以上メールを送ったりなさならいでください。またいつぞや自宅の方にお越し頂いたことがあったようですが正直怖かったです。ですからそのようなことはもう決してなさらないようにくれぐれもお願いします」
本間はそこまで一気にそのメモ書きを読み上げると堂本の表情を窺った。
「堂本さん、この手紙はどういう意味でしょうか?」
しかし堂本は身動きひとつしなかった。堂本はその手紙の内容に驚愕した。それはあまりに意外な内容だったからだ。
「堂本さん、これってストーカー行為を藤木さんにしていたということでしょうか?」
三日月刑事も堂本の反応を窺うようにそう尋ねた。
「僕がしたことがストーカーですか?」
堂本は信じられないという表情をしてそう答えた。
「でもここに書かれたことを藤木さんにしたことは堂本さんは認めるんですね?」
「え、ええ・・・・・・」
「ということはですよ。堂本さんは手紙に書かれていたように藤木さんにメールを送ったり自宅を訪ねたということですね?」
三日月が異形のものを見る目で堂本を見た。
「まさか堂本さん、藤木さんを」
「僕じゃありません!」
「ストーカーが高じて殺人なんてことを」
「違いますって!」
「でもあなたには前科がある。以前痴漢行為をして有罪になってますよね?」
「それとこれとは関係ないでしょう?」
「関係ありますよ。女性に痴漢する。女性をストーキングする。両者の根底に流れるものは同じですよ!」
その時堂本は以前痴漢の冤罪で逮捕された時に、被害者の主観がその行為を犯罪か犯罪でないかに分けるのだと言われたことを思い出していた。
(あれがストーカー行為だなんて)
「でも堂本さんは藤木さんとはただの同僚だとおっしゃっていましたが」
するとそこに影山が割り込んで来た。
「はい。そのとおりです」
「でも藤木さんの手紙に書いてあったことは本当なのですよね?」
「確かにメールや自宅を訪ねたことは認めます」
「それは何故?」
「何故って・・・・・・」
「するとやっぱり二人には何かあったのではないですか?」
「何かとは何でしょう」
「恋愛感情とか」
「何をもって恋愛感情というかですよね。勿論彼女には悪意や敵意はありません。でもそうだからと言ってですよ、僕たちが元同僚の男女だからということで恋愛関係になるなんてありえますか?」
「でも好意は抱いていた?」
「それは半年間喧嘩もせずに一緒に仕事をした仲ですから」
「そうでしょうね」
「でもそれが恋愛とは違うのではないですか?」
「そうなんですね」
「好意が好きだということであれば好きだったのでしょうが、好きが恋愛とは同じなのか違うのか、ごめんなさい、僕いま混乱しています」
「わかります」
「かつての痴漢の時は、あれは明らかな冤罪でしたから僕は堂々と胸を張ってそれに耐えられたんです。ところが今度の件は自分のした行為が相手には逆に作用したのです。良かれと思ってした好意が却って相手には迷惑になっていたのです。それが今心にぐさりと来ています」
「わかります」
「この罪悪感にはとても耐えられそうにありません」
そこで堂本は大きくうなだれた。
「それだったら真実をしゃべったらきっと気が休まると思いますよ」
すると本間がそう言って再び聞き手が本間刑事に移った。
「ここは警察ではないんですからね。そういう取調べは別のちゃんとしたところでしてくださいね」
本間のその発言に鈴木は不機嫌そうにそう言った。鈴木はずっと不機嫌だった。しかし影山にはこの二人が警察に居場所がないことを知っていた。それで自分の事務所を取調室代わりに使うことを承諾したのだった。
「堂本さん、手紙にあったストーカー行為なんですが、それにご記憶はあるんですよね?」
「メールを送ったり、自宅を訪れたことはあります」
「それはお認めになると」
「でもそれがストーカー行為だということにはどうしても納得できなくて」
「そのお気持ちはわかります。ですがストーカーだと決めるのは被害者の方なんです。加害者の方は自分の行いが相手に迷惑をかけてはいないと思いがちですが、被害者の方にしてはとても耐えられないことだったりするんです」
「はい」
「しかし今回はそのストーカー行為について訴えが出ているわけではありません。殺人です」
「殺人だなんてとんでもない」
「殺人の場合、まずは動機が大事なんです」
「動機、ですか?」
「はい。その人を殺すだけの動機があるかどうかなんです」
「それが僕にはあるということですか?」
「そのストーカー行為が前提にあるとすれば、それが高じて殺人に至ったという筋書きは十分成り立ちます」
「僕がしたことは不本意ながらストーカー行為であった。そしてそれを彼女が迷惑がっていた。そして僕との気持ちの行き違いがあって僕が彼女を殺したというわけですか?」
「そうなります」
「仮に僕に動機があったとして次は何でしょうか? 凶器に僕の指紋がついていたとか、僕の目撃情報があったとかですか?」
「凶器は現場にありませんでした。犯人が持ち帰ったのでしょう」
「それでは目撃情報は取れましたか?」
「いいえ。でもあの辺りは田舎でほとんど夜には人が通らないんですよ」
「堂本さん、藤木さんの手紙の文面からするとあなた藤木さんの家には行ったらしいですが、中には入れなかったのですよね?」
「はい。玄関を一度ノックしてそれで帰りました、」
「つまりその時は家の中には入らなかったんですよね?」
「はい」
「おかしいなあ」
「おかしいって、どうしてそんなことを?」
すると本間は下から堂本を見上げる姿勢になった。
「あなた、家の中に入ったでしょ?」
「え?」
「その時は入らなくても、入ったんじゃないですか?」
「あ!」
「思い出しましたか?」
「あ、はい。一度彼女の家に上がらせてもらったことがあります」
「それで?」
「いや、今から半年以上も前のことですよ。お父さんが亡くなられてそのお通夜に伺った時です」
話を聞いていた本間は怪しいぞという目つきで堂本を直視した。
「だから刑事さん違いますって」
「そのことを証明する方は?」
「証人ですか?」
「はい」
「僕がお通夜にそこへ行ったことを証言出来る人?」
「はい」
「いません」
「いないってあなた、それじゃ困るんですが」
「困っているのは僕ですよ」
「ははあ、それってもし被害者宅からあなたの指紋が出て来た場合の防御線を張ってないですか?」
「そんなことはしていませんが、仮に僕の指紋が出てくることがあっても、それはそのお通夜の晩の時についた指紋ですよ」
「実は指紋なんですが、あなたのものは前科の時に採取しているので今それと照合をしています」
「そうですか」
「知りたくないですか?」
「何をですか?」
「実は照合の結果はもう出てるんです」
「え、そうなんですか?」
「はい。結果は黒です」
「ですからそれは・・・・・」
「あなたが被害者宅に入ったことは指紋が証明しています」
「だからそれはお通夜の時に」
「アルバムのビニールの部分にしっかりと付着していました」
「あ」
「そしてあなたがお通夜の晩にそこを訪れたことを証明する人は誰もいません」
「それは・・・・・」
「じゃあやっぱりあなたが犯人なのではないですか?」
影山は二人のやり取りを聞いていて、これは困ったと思った。状況証拠からしてこのままではこの堂本が藤木殺しの犯人にされてしまうと思ったからである。
「本間さんちょっと熱くなりすぎですよ」
「あ、すみません、事務所をお借りしている立場で」
「いいえ、それはいいんですが。ところで本間さん、その証拠の便箋を拝見させていただくわけにはいきませんか?」
「便箋ですか?」
「今はお持ちになってない?」
その時本間が影山を見てにやりとした。
「影山さんの所へ来るのに手土産がないんじゃ格好がつきませんからね」
そう言って本間が隣の三日月を見ると、三日月はカバンからビニールに入ったピンク色の便箋を取り出してそれを影山の目の前に置いた。
三日月刑事の父親は警察庁だか警視庁の幹部だという噂だったので、それが為かはわからなかったが機密情報でもそれほど手間をかけずに手に入れることが出来るようだった。それが影山にはたまらなく美味しい蜜の味となっていた。
「ここに藤木さんの書いた文章があるんですね?」
「はい。先頭のページにブルーの文字で書かれています」
影山は鈴木に言って手袋を用意させ慎重にその便箋をビニールから取り出すとそれを一枚めくった。するとそこには三日月が言うようにブルーのインクで書かれた端正な文字が現れた。
「堂本さん、藤木さんの字を見たことがありますか?」
「はい」
「ではこれは藤木さんの書いた字でしょうか?」
「断定は出来ませんがそのような気がします。それにこのピンク色の便箋、そしてブルーの文字は以前僕がもらった手紙と同じなので」
「以前に藤木さんから手紙をもらったんですか?」
「はい。退職した時に手渡しで」
「そうだったんですね」
堂本はじっとそこに書かれていた文字を見ていた。そしてその内容が先ほど本間が読み上げたものと同じだとわかると再び奈落の底へ突き落とされたような気持ちになった。
「本当ですね。本間さんがさっき読み上げた内容と同じですね」
鈴木もその便箋をしげしげと見てそう言った。
「失礼」
と突然影山はそう言ってその便箋をもう一枚めくった。するとそこには何も書かれてはいない便箋が現れた。
「堂本さん、これで納得いただけましたか?」
そう言って本間が堂本の顔を見た。しかし堂本は変わらず宙を見るような表情のままだった。
「影山さん、そろそろいいですか? 大事な証拠品ですので」
本間はそう言うと影山の方に手を差し出してその便箋を受け取る動作をした。影山は仕方なくその便箋を持ち上げてそれを本間に返そうとした。その時だった。
「あれ?」
そこで影山が止まった。
「先生、どうかされたんですか?」
「なんか真ん中あたりがスカスカしてる気がする」
影山はそう言って再びその便箋をテーブルに置くとそれを次々とめくり始めた。
「あ、やっぱり」
そしてそれがあるところに来ると突然その動作をやめてそう言った。
「先生何か?」
鈴木は事態が飲み込めずにそう影山に聞くと、影山はそれには答えずに鈴木に鉛筆を持って来るように言った。鈴木は自分の机から急いで鉛筆を持って来てそれを影山に渡すと影山は表に出ている便箋をせわしなくこすり始めたのだった。
「ここの便箋が欠落しているんです。おそらく何かを書き損じてそれを破り捨てたのだと思います」
すると影山の往復する手の下からは見る見るうちになにやら文字らしきものが浮かび上がって来た。
「これって何ですか?」
鈴木がそう影山に聞くと、影山はその手の動作をゆるめてこう言った。
「これが最後に藤木さんが書いた手紙でしょう」
鈴木はその読みにくい文字に目を凝らした。するとその書き始めに堂本さんという文字をなんとか読み取ることが出来た。
「これ、堂本さんへの手紙だ」
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