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第5章 被害者の思い
私への痴漢行為が裁判では有罪にはなったものの執行猶予がついたことは、判決の日にその法廷に傍聴に行ったので知っていました。それであの男はいつまでも往生際が悪かった。電車の中で取り押さえられた時も自分は何もしていないと叫んでいたのです。それから連れて行かれた駅員室でも、警察署でも、そして留置場でも、繰り返し繰り返し自分は無実だと言っていたらしい。
それが裁判では一転して自分の罪を認めたにも関わらず、それが執行猶予になった途端、再び自分は無実だ、何もしていない、冤罪だと叫び始めたのです。
あの男は確かに私に痴漢行為を行った。そしてそれを法廷で自ら認めた。だからそれで有罪にもなった。なのに実刑にはならず外へ出た途端、それまでとは打って変わって自分は無実だと叫び始めたのです。その執拗なまでの行いにどれだけ私が迷惑し、そして傷ついたことか。
私はあの男のブログ、そしてツィッターを毎日チェックして、そしてその度にはらわたが煮えくり返るような思いに駆られたのです。それである時ついに我慢できずにあの男のブログにコメントを書いたことがあったのです。私は金輪際あの男には関わりたくはありませんでした。あの満員電車で振り返った時にそこにあったあの男の顔を思い出すたびに身震いがしたからです。それなのにあの男はいつまでも私の前から消えてはくれませんでした。私のことをブログやツィッターで書きまくって、そして私とのつながりをいつまでも継続してしたのです。だからもうやめてという気持ちになりました。そして私は遂に決心をしてあの男に最後のメッセージを書こうと思ったのでした。
「あなたは無実だ、冤罪だと一方的に書かれていますが、実際に痴漢にあった被害者の方はこんなことを書かれて迷惑をしているのではないでしょうか?」
するとその翌日に私の書いたメッセージにあの男がコメントを書いているのを見つけました。
「そもそも迷惑とはどういうことでしょうか。これを辞書で調べると、ある行為がもとで他の人が不利益を受けたり、不快に感じたりすることとあります。ですから僕が以前有罪判決を受けた痴漢行為も、それによって被害者が不快に感じたからこそ罰せられたということなのだと思います。でももしそれが不快に感じなかったらどうだったでしょうか。或いは不快に感じてもそれが許せる範囲ならどうだったかということです。そこまで重い罰を与えなくても一言ごめんで済まされるような接触だってあるわけです。そうなるとその行為が迷惑かどうかはかなり主観的なものに依拠するということになるわけです」
私はあの男の言っている意味がよくわかりませんでした。それでそのメッセージにコメントを書いたのです。
「つまり、どういうことでしょうか?」
するとそれに対するコメントが早速その夜に書かれていました。
「つまり人の主観で罪の重さや刑罰が決められるとしたらそれは平等でもなんでもなくなるのではないかということです。言ってしまえば気分によってそれが決定してしまうのです。この人嫌いなタイプだから訴えちゃおうとか、この人好みのタイプだから許しちゃおうとか、人はみんな平等であるはずなのにそんな主観で差別されても良いのでしょうか。もしそれが許されるとしても、人の人権を限りなく奪う刑罰において、そんな不平等がおきるなんてとても納得できないとは思いませんか?」
私は止まらずそれに対して再びコメントを書きました。
「あなたのおっしゃることもわかりますが、法で痴漢行為をした者は罰するとあるのです。そしてその行為が迷惑かどうかは被害者の主観を基準にするわけです。ここで法律論を展開するつもりは毛頭ありませんが」
すると尚もそれに対してあの男がコメントを続けて来ました。
「その法がおかしくはないですか?」
「おかしい?」
「ええ、変ですよ」
「でもそんなことを言い出したら収拾がつかなくなるでしょう。誰にも迷惑がかからないから覚せい剤をやるとか、一人くらい無賃乗車をしたって特に誰かが困るとかいうわけでもないんだからいいだろうとか。身寄りも財産もない人の自殺を手伝ったからってそれこそ誰も困らないでしょうから、これが罪に問われるのはおかしいだろうというのと同じです。つまり色々な価値判断を調整した上で国民が選んだ議会で法律を作り、そう決めたわけですから、それに従うのが正しいことなのではないですか?」
あの男とのやりとりはかなり続きましたが、私がそう言い切るとそれ以上それに対してコメントをして来ることはなくなりました。もしかしたら私がその被害者だとわかってしまったのではないかと不安になりましたが、それから少ししてそのブログもツィッターも消えてしまったので、私はこれでやっと解放されたと安心したのです。
第6章 人権の感覚
ここのところ毎日のように僕のブログにコメントする人が現れた。僕も大人気なく夢中になってそれに反論した。しかしそれが突然虚しく感じられてしまった。
僕はその人が言うように確かに法律によって有罪だと判決されたのだ。執行猶予がついたとは言え、有罪は有罪である。弁護士は執行猶予は無罪も同然、だから気楽な気分で堂々とお天道様の下を歩いて構わないんだと言った。弁護士にとっては自分の弁護した事件が執行猶予になれば勝訴と同じようなことかもしれない。しかし僕の有罪は断固として有罪のままだった。結果、職を失った。今まで積み上げて来た信用もいっぺんに失った。私が弁護をすれば例え罪を犯していても刑務所に入らないで済みますという実績は弁護士にとっては勲章になるだろう。しかし、罪を犯しても刑務所に入らなかったということは被告にとっては勲章でもなんでもない。犯罪者は犯罪者なのである。
その夜、僕は昔大学の授業で習ったことを思い出した。それは憲法の授業だった。確か宮沢俊義という偉い先生の著書に「人権の感覚」というものがあって、そこには「人権の感覚」とは「身におぼえのないぬれぎぬを着せられ、おそるべき責苦を受けている一人の純真な人間がいることを考えれば、夜も眠れない」という気持ちをいうのだと書かれてあった。これはまさに今の僕の心境そのものだと思った。僕は眠れぬままそのあくる朝にブログとツィッターを全て削除して退会をした。
第7章 転換
「堂本さん、そんなことがあったんですね」
「はい。お恥ずかしい話です」
「いいえ、そんなことはないですよ。そういういきさつで痴漢の冤罪をかけられて、そして有罪判決を受けることにはなったけど執行猶予がついて、それで実際に刑務所に入らないで済んだとなれば、やはり自分は無実だったと叫びたくなる気持ちはわかります」
「そう言っていただけるとうれしいです」
影山は決して堂本の自分に対する印象を良くするためにそのようなことを言ったのではなかった。影山には何か人の心の奥底を見通すような特別な能力があったのだった。
「でも影山さん、どうして私の無実を信じていただけるのですか?」
その質問には鈴木も関心を示した。鈴木はどうして影山がいつもその人物の人柄を瞬時に、しかも正確に判断できるのかとても興味があったからだ。
「信じてもらえるかわかりませんが、それは色なんです」
「色、ですか?」
「ええ、色です。その人が輝いているかどうかでその人がわかるんです」
「と言いますと人が赤とか青とか、そういう色で光っているのが見えるんですか?」
「そういうのとは少し違うのですが、そうですね、その人が輝いて見えるんです。色は特に感じられません。その人固有の色と言いますか、何色というわけではないんです」
「その人の色ですか?」
「ええ、例えば笑顔だと明るい感じに見えるではないですか。その明るい感じが輝いているということにかなり近いように思います」
「わかります」
「逆に怪しい人は光を吸収してしまうブラックホールのような感じがするんです。どこまでも闇が続くようなそんな雰囲気をかもし出しているんです」
「なるほど」
「それで堂本さんを初めて見た時に堂本さんは輝いて見えたんです。それでこの人は信用できる人だなと思いました」
「ありがとうございます」
「ですから何でもおっしゃってください。どんなことでも堂本さんを助けるヒントにつなげることが僕には出来ると思うのです」
「わかりました」
堂本は影山に信用されていることがわかると途端に気分が軽くなった。それでこの探偵に自分を預けてみようと思ったのだった。
「先生、輝く、でちょっと思い出したことがあるんです」
「犯人のヒントですか?」
「いいえ、そうではないんですが自分の恥ずかしい痴漢の話もしました。それだけだといくら先生に信用されているとは言え、やっぱりもう少しまともな話をしたくなってしまったんです。それで脱線してしまいますが自分をもっと良く知っていただこうと思って、それで自分の株を上げる話を是非聞いて頂きたいのですが」
「わかりました。是非聞かせてください。どんなことでも犯人に行き着くヒントの可能性はありますから、それが無駄な話だということはないと思います」
「ではお話しさせて頂きます」
「どうぞ」
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