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第9章 藤木 美紗
堂本さんと一緒に仕事をした時は私はちょうど入社2年目の12月でした。その頃巷では入社3年目までに会社を辞めるということがブームのようになっていました。そして五月病という言葉もまだまだ健在でした。私も世間の例に漏れず、その苦悩の真っ只中にあったのです。
ちょうどその時に課長からあるイベントのヘルプの指示があったのです。私はその時、それがちょうどいいタイミングかと思ったのです。そして課長はやっぱり部下をよく見ているなと思いました。私が今の仕事に熱意を持てずに適当にこなしていることを見抜いていたのです。ですから本来の職務を外されても仕方ないと思いました。そしてこのイベントのヘルプを最後に私もかつての同僚と同じようにこの会社を辞めて行こうと思っていたのです。
ところが堂本さんと一緒に仕事をするようになって私の認識は変わりました。毎日がとても新鮮でした。そして自分が生き生きとして来るのが本当に実感出来たのです。ですからそのイベントが終わって元の課に戻る時は何か寂しいものを感じました。
元の課に戻ると課長はイベントでの私の活躍を知っていて、とても褒めてくれました。やっぱり課長はさすがだと思いました。部下が別のところで働いていてもよく見てくださっているなと思ったからです。それから私はすぐに元の職場でリーダー的な存在になりました。そして異例の待遇で主任という肩書きを頂くと、もう会社を辞めようと思ったことなどすっかり忘れてしまったのです。
「君はどうして変わったのか?」
ある時課長にそう聞かれたことがありました。確か宴会の席だったと思います。その時私はそれがどうしてかと思いました。そしてふと思い出したのはイベントのヘルプに行った初日に堂本さんが私に言った言葉でした。
「堂本さん、ヘルプと言っても私、何をしたら良いか」
「何をしたい?」
「え?」
「藤木さんは何をするつもりでヘルプに来たの?」
「それがそもそもイベントでは何をするのかもわからないんです」
「うん」
「ですから何が出来るのかとっても不安なんです」
「自分の出来ることとイベントでやらなくてはいけないことがうまく一致するかどうかだよね」
「はい、それです」
「藤木さんのやり方でいいんじゃない?」
「え」
「藤木さんが輝くようにやればいいんじゃないかな」
「私が輝くように?」
「うん」
「僕がこうしてとか、他の誰かがこうしてくださいって言って来て、それを藤木さんがやる時にあなたが輝くようにやればいいんじゃないかな」
私はその言葉にそれまで肩に重くの圧し掛かっていた荷が急に軽くなった気がしました。そして勇気付けられたのです。いいえ、それ以上に自分の価値を見出すことが出来たのです。
‐私は輝くために行動する‐
私はその時私が詰まっていたことの答えがそれだと思ったのです。この会社に入社しても最初に望んだ仕事に就くことは出来ませんでした。そして不本意な仕事をしている時にたまたまミスなどをすると、そもそも私は何を求めてこの会社に入ったのだろうかと悩みました。そしてこのままこの仕事を続けることにどんな意味があるのだろうかと思ったのです。しかし私は自分が輝くために今ここにいるんだと堂本さんに言われて、それで大きく勇気付けられたのです。
ところがその堂本さんが痴漢行為で逮捕されたと聞かされたのです。イベントが終わって九ヶ月くらいした2010年の2月でした。社内ではそれが真実か冤罪かと意見が大きく分かれましたが、私は堂本さんの無実を固く信じて疑いませんでした。
何度堂本さんに会いに行って私の思いを伝えようかと悩みました。しかし私のような若輩者がそんなことを言うこと自体失礼な気がしてしまってそれでそれは控えることにしました。そしてとうとう堂本さんが会社を辞められる日が訪れてしまいました。私はこんな日が来ることは決してないようにと祈っていましたがそれは天には通じなかったようです。
私はその日、堂本さんのところへ飛んで行きました。でも掛ける言葉がありませんでした。前日の夜、自宅でしたためた手紙を持参してそれをお渡しするのが精一杯でした。私はどれほど堂本さんに感謝していたか、それを微塵も伝えることが出来なかった自分を恥じました。そして私が必死に涙を抑えてうつむいていると、その時堂本さんがこう言ってくれたのです。
「人はそれぞれその人なりの輝き方がある。僕は僕で、そしてあなたはあなたの色で輝けたらそれでいいのだと思う。藤木さんがあなたの色で輝けるように僕はずっと応援していますね」
私は堂本さんが辞めた後、堂本さんがくれたイベントでの遺産で出世しました。主任に昇進して、そして更には係長にも推挙されました。これは異例のことだったと聞きます。
ところがその輝ける時間はいつまでも続きませんでした。それはそれから間もなく父が他界したからです。父は堂本さんが退職してから約2年半後の2013年の4月19日に他界しました。私たちは二人暮らしだったので自宅の空間だけでなく私の心にもぽっかりと穴があきました。お通夜ではまるで社葬みたいに会社のみんなが手伝いに来てくれたのでその時は気も張っていたせいか寂しくはなかったのですが、そのみんなが帰ってしまうと私は一人自宅に戻りそこで圧倒的な孤独感に襲われたのです。
父との思い出は次々とあふれました。それだけで悲しくて仕方がないのに、父との未来が見えないことに気がついた瞬間、私は号泣していたのです。父はあるテレビ番組が大好きでした。それを毎週楽しみにしていました。私は一人になると先週のその放映の後に次週の予告を観ていた父の後姿が突然思い出されました。父は次回のその番組を心待ちしていました。しかし父は明日放映されるその番組を決して観ることは出来ないのです。
‐コンコン!-
その時でした。玄関のドアを叩く音が聞こえました。私はお通夜に来られなかった人がわざわざ自宅を訪ねてくれたのだろうかと思い、玄関のドアを開けたのです。
「堂本さん!」
それは堂本さんでした。
「ごめん、迷惑だったかな」
「いえ」
私はその瞬間心臓が止まりそうになりました。どうして堂本さんがここにいるの、とそればかり頭の中で繰り返していました。
「近くまで来たものだから」
堂本さんはそう言って笑いました。でもそれは明らかに嘘です。
「近くのどなたを訪ねて来られたのですか?」
「ええと、藤木さん」
「あら、それってうちかしら」
堂本さんは会社の人から私の父のお通夜がたまたま今日だということを聞いたようでした。それでもお通夜の会場まではわからなかったので、自宅に来ればなんとかなると思ったそうです。しかし会社のみんなにはやはり会いたくなかったのでお通夜が終わった頃を見計らって自宅に来たということでした。
「ありがとうございます」
それは私の正直な思いでした。
「藤木さんは僕みたいな者が来て迷惑じゃないかと思ったんだけど」
「いいえ、そんなことありません」
「そっか、そう言ってくれると嬉しいな」
「お通夜と告別式は近くのホールをお借りしてるんです」
「そうだったんだね。そこまでは聞けなくってね。まあお通夜だとこれくらいの時間からこれくらいの時間までっていう相場が決まってるから、それ以降だったらご自宅にお邪魔してもいいかなって思ったんだよ」
「はい」
自宅には父の死を思わせるものは何もありませんでした。父がいないということが唯一それを思わせるものだったのかもしれません。それで私は父との思い出の詰まった昔のアルバムを取り出して来て、それを堂本さんに見せることにしました。そのアルバムを開いたのは本当に久しぶりでした。それで堂本さんに見せるはずのものが、自分が夢中になって見入ってしまったのです。
「藤木さんはお父さん似なんだね」
「そうですか?」
そのアルバムを見終わると私は次のアルバムを持って来ました。そうやって次々とアルバムを運んで来て、とうとう全部のアルバムを見切ってしまいました。
「藤木さんの全てを見させてもらった気がします」
堂本さんは最後の一冊を見終わった時にそう言いました。私はその言葉に私の全てを見られてしまったような感じがして何か恥ずかしい気持ちがこみ上げて来たのです。
「あ、通夜振る舞いをしなくちゃいけませんね」
それで話題を変えました。
「気を遣わないでください」
「いえ、こういうことに父はうるさかったので」
しかしそうは言ったものの、それに見合うような食べ物は何もありませんでした。結局冷蔵庫にあったビールとおつまみを出してそれを堂本さんと二人で分け合いました。
「お父さんはビール派だったの?」
「うーん、どちらかと言うとビールは私かな」
堂本さんとはたわいのない話ばかりしていました。父の思い出は楽しかった思い出の詰まったアルバムを見るだけに止まり、最期の様子などは会話には出て来ませんでした。それはきっと堂本さんの気遣いだったと思います。そして私にしても堂本さんとの会社でのことを話題にすることは控えました。それでも二人の会話はとても盛り上がりました。それは私が堂本さんに質問の嵐を浴びせたからです。
「好きな食べ物ってなんですか?」
「うーん、ピーナッツ」
「それってこのビールのおつまみじゃないですか」
「うん。だからこれ美味しいよ」
「じゃあ好きなものは?」
「好きなものって?」
「例えば好きな芸能人とか」
「特にいないなあ」
「好きな人っていないんですか?」
「うん。いないなあ」
「芸能人じゃない人でも?」
二人の会話には意味がありませんでした。意味がないからこそ止め処もなく続いていたように思います。ところがその時です。私はとても大事なことを思い出したのです。
「あ、終バス」
「え?」
「終バス終わってます」
「あ、そうなんだ」
「ごめんなさい。酔ってしまったのかしら、すっかり忘れてました」
「タクシーで帰るから大丈夫だよ」
「いいえ、駅に行っても電車も終わってます」
「そうなんだ」
それでどうしようかということになりました。私は迷わず泊まって行ってくださいと言いました。布団は父のものがありましたが、まさか死んだ人の布団に寝るのはいくらなんでも嫌でしょうからこの居間で毛布を掛けて横になっていただけたらありがたいのですがと付け足しました。
「ありがとう。でもこのまま朝までこうしているから大丈夫だよ。藤木さんこそ明日もあることだし自分の部屋で寝てください。僕は一人ちびりちびりとやってるから」
堂本さんはそう言ってくれましたが、私は出来ればそばにいて朝まで楽しくお話をさせていただきたいと思いました。堂本さんは始発のバスで帰ると言いました。そして下手に寝込んでしまって告別式のお客さんとぶつかるような頃に起きたらたいへんだと頭を掻いていました。
「じゃあ私も徹夜します。お通夜の晩に寝てしまったら父が寂しがるから」
私はそう言って毛布だけを自室から持って来ると、それを私と堂本さんの足をくるむようにしました。ところがその完全防備態勢が良くなかったのでしょうか。私は懸命に起きていようと努力はしましたが、いつの間にか眠ってしまったのです。
翌朝目が覚めると堂本さんは玄関から出て行くところでした。私は髪に寝癖がついていることなど気にせずに玄関まで走って行きました。すると堂本さんは軽く私に会釈をすると半開きのドアから外へ出て行きました。私は堂本さんを追い掛けて外まで見送ろうかと思いましたが、神妙な彼の表情に私はここでお別れすべきなのだろうと思い、そのまま玄関のドアを閉めたのです。
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