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第11章 失明
それは父の納骨がやっと済んだ頃でした。朝起きるといきなり右目がぼやけていて、何度顔を洗おうが何度目薬をさそうが、ぼやけた視力が回復することはありませんでした。
「いつ頃からですか?」
それで私は仕事を休んで病院に行きました。
「今朝起きたら物がぼけて見えるようになってました」
「それまでに何か前兆のようなことはありませんでしたか?」
私はそう聞かれて、そういえば数週間ほど前から眠ろうと横になると一瞬ハレーションのような光が視界に走ることを思い出しました。
「網膜はく離かもしれませんね。検査をしてみましょう」
「それって目が見えなくなるんですか?」
「いいえ、もしそうだとしてもレーザーで簡単に治ります。ただいくらか視力が落ちるかもしれませんが」
私は医者のその言葉を聞いてレーザー照射は不安でしたが一応は安心しました。しかし、事態は思った以上に悪かったのです。その網膜はく離は何か物がぶつかったために生じたようなものではなくて眼球の裏の血管に腫瘍が出来たために生じたものだったのです。その腫瘍が眼底を押し上げて、遂には網膜を破ってしまっていたのです。
(腫瘍って、ガン?)
私をそれを聞いて卒倒しそうになりました。
「良性か悪性かの検査をします」
「もしガンだったら私、どうなっちゃうんでしょうか?」
「それは先ず検査をしてみないと」
それから私は検査を立て続けに受けることになりました。会社はその都度休みを取りました。年休は限りなく余っていましたが、それでもこうたびたび休みを取ると上司もいい顔はしませんでした。
「藤木さんは頑張り通しだからな。まあたまには体を休めるつもりで行って来たらいいよ」
課長はそう言ってくれましたが、その笑みは作り笑いにしか見えませんでした。検査の結果は悪性ではありませんでした。私は胸をなでおろしましたが、腫瘍を取り除く手術をするために仕事を長期間休むことになりました。手術は眼球を取り出してその裏側の血管に育った腫瘍を冷凍凝固して取り除くというものでした。そして取り切れない腫瘍は放射線で焼き殺すという話でした。
結局私の右目の眼底はぼろぼろになってしまい右目はほとんど見えなくなりました。なんとか光は感じられることが出来ましたが手術の過程で眼球を取り外し、それを元の場所に収めるということをしたので、目があらぬ方向を見たままの状態になりました。
「いずれ元に戻るから」
医者はそう言いましたが、退院した後もそれが元のように戻ることはありませんでした。それで時々どこを見てるのかと問われることがありました。また他意はなかったのかもしれませんがカメレオンみたいだと言った同僚もいました。そして更には数ヶ月の休職のせいで頼りだった上司からも見放されることになりました。
私は右目の視力を失ったことで右側の世界を知ることが出来なくなりました。それで私の右側に存在する人、それからある物をそれが正面に来るまで気がつくことが出来なくなりました。私は会社の中でも会社の外でもたびたび人や物にぶつかるようになりました。
「危ないよ。どこに目をつけてるんだよ」
私はよくそう言われるようになりました。
(目はつけてるけど見えないの)
それで私はその時思ったのです。目が見えなくなると世の中が歪んで見えるのかしらと。なんとなく周りの人が悪人に見え出したのはその頃からでした。それからも私は再発を心配してたびたび病院に通いました。するとその待ち時間にロビーでは色々な患者さんを目にすることになりました。
「すみません」
ある時、私の座っていた待合室のソファの前が狭くて車椅子に乗った人がそこを通れなくて困っていました。私はとっさに腰を引きそのスペースを空けるようにしました。
「ありがとうございます」
私は通り過ぎるその人を見て、車椅子だとあちこち行きたくてもなかなか行けなくってたいへんだなあと思いました。しかしそれと同時に、無理をすれば車椅子なら行きたいところに行けるけれど目が見えなくなったらそれが出来なくなるんだと思いました。
(大変なのは私かもしれない)
今は正常なこの左目もいつ右目と同じようになるかわからないという心配がいつも付きまとっていました。そうなったら私は何も見えなくなってしまうと怖くなりました。私にはもう一つしか目が残されてはいなかったからです。そう思ったら突然悲しくなって涙が出て来たのです。だったら今のうちに色々なところへ行って、色々なものを見ておきたいと思いました。しかし会社の仕事が忙しくてそんな時間はありませんでした。それに右目のせいで上手く外を歩くことが出来ませんでした。ですから自由にどこかへ行こうという気にはなれなかったのです。そして正しい方を見てくれない右目が気になって人前に出ることがおっくうになりました。眼帯をしていれば外からは普通に見えましたが、私の心はいつもそのいびつな姿に打ちひしがれていたのでした。
「ものもらい?」
「ずっと眼帯をしてて、この季節だと汗でかぶれたりしない?」
心無い友人はそう言って来ました。私はいつしか会社を休みがちになりました。それはある時ふと足が会社に向かなくなったのが始まりでした。いつものようにバス停で降りて、そして駅に向かうはずがそのまま駅前の喫茶店に腰を落ち着かせてしまったのです。
「今日、お休みします」
電話で一方的にそう告げると即座にそれを切りました。それがきっかけで私は会社とは遠いところに自分の意識が飛んでしまったことに気がついたのです。すると自分が会社にいることに疑問を持ったあの時に会社を辞めていれば良かったと思うようになりました。そうしていれば失業保険が支給されている間だけでも父と一緒の時間を過ごすことが出来たと後悔したからです。そしてそういう思いが頭を占めて来ると先ずあの課長が憎くなって来たのです。それからあのイベントさえなければ良かったのに思うようになりました。そして堂本さんと知り合うことがなければあの時間違いなく会社を辞めていたのにと思ったのです。会社を辞めていれば父との貴重な時間を有意義に過ごせたのにと思いました。
思うに私は父には何の親孝行も出来ませんでした。いえ、しなかったと言った方が正確だろうと思います。私はまだまだ子どもで、父から愛情を施されることしか頭になかったからです。父は母が他界した後、男手一つで私を育ててくれました。自分のしたいこと、他の女性と恋に落ちることなどには見向きもせずに私だけを見つめて、そして大事に育ててくれたのです。だからこれから私が父にその恩返しをする番だと思っていました。しかしそれは結局叶わなかったのです。父がこんなにあっけなく逝ってしまうとは思ってはいなかったので、あれこれ思うだけでそのことを実行するには至らなかったからです。私は自宅にこもってそして父を弔うことが今の私に出来る唯一の親孝行だと思いました。
そんな時に私の下に一通のメールが届きました。それは堂本さんでした。私が会社を休んでいるのをまたどこからか聞きつけて、それでメールをくれたのだと思いました。
「お元気ですか?」
そう始まる文章はやはり私を心配しての内容でした。しかし私にはそれが正直なところ迷惑だったのです。それで私はそのメールを無視することにしました。しかしその無視が彼に余計心配をかけてしまったのです。それでそれから彼からのメールが頻繁に送られて来るようになってしまったのです。私はまるで自分が責められているような気分になりました。
「何をしてるんだ、さあ働きなさい!」
私はそう責め立てられているような気持ちになったのです。私は自分の踏ん切りの悪さで父とのことに後悔をしていました。しかしそれを今度は堂本さんに追い詰められているような気分になっていったのです。
(やめてください)
(一人にしておいてください)
私は心の中でそう叫んでいました。しかしそれをメールにして返す気力はありませんでした。もし私がそれに返信をしたら、きっと堂本さんはそれにまた返事を書いてよこしてくるだろうと思いました。そしてそれが連鎖的になって、きっと私はとことん疲れ果ててしまうだろうと思ったのです。だから私はそれを無視するしかなかったのです。
それから暫くした頃でした。誰かが自宅の玄関のドアを叩く音が突然しました。
「藤木さん」
そして続けて人の声が聞こえました。それは堂本さんでした。私は怖くなって頭から布団をかぶってじっとしていました。動けませんでした。息も出来なかったのです。暗い中でひたすら存在を殺していたのです。しかしドアを叩く音はそれ切りでした。でも私はそれから暫くの間その場にその姿勢で固まっていたのでした。
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