2.邂逅

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2.邂逅

 志緒神社を出立し、和音の知り合いだという神官達とともに璃久扇への旅を始めてから、早十数日。真幌はついに、磨見ノ国の都、璃久扇の地を踏んだ。  真幌は生まれも育ちも、山間(やまあい)にあるちっぽけな村落である。志緒神社の巫女となってからも、遠出と言えば、せいぜい隣の山に山菜採りに出かける程度だった。  ゆえに真幌にとって璃久扇とは、遠く離れた異郷の地でしかなく。  その華やかさ、(にぎ)やかさは旅人の話に聞いて想像するのみで、ほんの幼い頃までは、その光景を目の当たりにすることなど一生ないと思っていたのに。 「わぁ……」  城壁一枚(へだ)てた先に広がっていた光景に、真幌は立ち止まり、呆けた声を漏らさずにはいられなかった。  あいにく、今日は夜明けから空が鈍色の雲に覆われており、冷たい雨が降っていた。しかし小雨が地面を濡らす音さえ掻き消すほどに、都にはさざめきが満ち満ちている。  街道沿いには即席の屋根の下、露店を出す商人達。行き交う人々は老若男女、武具を(たずさ)えた(いか)つい兵士に大籠(おおかご)を背負って歩く物売り、真幌と同じように神職の装いをしている者までさまざまだ。  そう、都はとかく、山村とは比較にならないほどに、人が多い。関所の門をくぐるなり、人いきれやその熱気、活気が一気に身に押し寄せてきて、たまらず後ずさりしそうになったほどだ。方々から客呼びの声が上がり、人々の笑う声、話す声が寄り集まり、誰か貴人を乗せているのか、街路を歩く馬のいななきがそこに混じる。  人の多さにひとしきり仰天し終えると、今度は規則正しく並ぶ黒い瓦屋根の建物や、街路と街路を隔てる清らかな川、そこに幾つも架かった弧を描く橋に目を奪われる。橋近くには渡し舟が停留し、客待ちの船頭が手持無沙汰に川面に釣り糸を垂れていた。  その後は神官達とはぐれないよう気をつけつつ街路を進み、やがて宿屋が集合する区域へと差し掛かった。そこで神官達とは別れることになっており、これまで旅をともにしてきた彼らに礼を告げた真幌は、大社に最も近い宿に入る。  案内された部屋は二階の隅。  志緒神社の社務所内にある真幌の自室と比べればやや狭いものの、布団や書卓、行灯(あんどん)といった設備が一通り揃っており、障子窓越しに外の光が差し込んでくる。  居心地のよい部屋だ。ここに宿を取るとよいと助言をしてくれた神官に、真幌は心の中で礼を重ねた。 「ふぅ……。なんだかさすがに、疲れてしまいましたね」  真幌は部屋に満たされている畳の匂いを胸一杯に嗅ぎ、そして雨を浴びて湿った衣服を着替えるのも忘れ、部屋の中央に足を投げ出し横になってみた。途端、これまで気づかない振りをしていた疲れがどっと湧き出し、しばらくは身動き一つ取るのさえ億劫になる。  長い旅だった。生まれてこの方、住む場所からこれほど遠く離れた地を訪れたことなど、一度としてなかったのだ。  屋根を叩く雨音と昼下がりの外気を震わす喧噪(けんそう)が、薄暗い部屋内に静かに響く。  知らない町。知らない人々。真幌が都のことを何一つ知らないように、ここにいる大勢の人々も、真幌のことを誰一人知らない。  目を閉じると、ふとそんなことを考えてしまい、胸の奥底に何とも言えない寂しさが疼く。  これからしばらくの間はずっと、都で修学に励まなければならない。だというのに、どうしようもなく和音や琴杷のいる織戸山が恋しくなってくる。  真幌は額を両手で押さえると、ぶんぶんと首を横に振った。 「……あぁ! だめです。修学が終わるまでは帰れないのに、こんなことばかり考えてしまっては」  さらに衣は濡れてしまうが、気分転換に散歩でもしてくるべきか。そうは思ったものの、長旅の疲れは想像していた以上に、全身に蓄積していたらしく。  やや埃っぽいが暖かな部屋内の空気と、心地よい暗がりによって、真幌の意識はいつの間にか眠りの底へと誘われていたのだった。
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