2.邂逅

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 翌日の朝。  蒼穹から降り注いできた陽光に、宿を出た真幌はたまらず歓声を上げていた。両手を広げ、大きく伸びをする。路地を吹き抜ける爽風に巫女装束の緋色の裾が(ひるがえ)る、そのはたはたという音が耳に心地よい。 「ふふっ……今日は、とてもいい天気ですね」  つい昨日、日の出から日没後まで小雨がちらついていたのが嘘のように、その日、磨見ノ国の都・璃久扇はまぶしいほどの晴天に恵まれていた。  道端に点々と残っている水たまりは空の青を宿し、透き通った(うろこ)のようにきらめいている。通りを歩く人々の表情も、今日のような暖かな日の光の下では、いっそう晴れやかであるように感じられた。 「あら、ずいぶん若い巫女さんじゃないか。これからどこかへ出かけるのかい?」  これから商いにでも向かうのだろうか、野菜を積んだ(ざる)を頭に載せて歩く女が、明るい口調で尋ねてきた。  真幌は懐に手を当て、もう片方の手に持った都地図をきゅっと握りながら答える。 「はい。昨日、都に来てすぐに、お世話になった人がいて。その人のところへ、お礼に行こうと思っているんです」 「へぇ、そうなのかい。都は広いからねぇ、気をつけていくんだよ」  女が横を過ぎて去っていくのを見送ってから、真幌はそっと懐を探り、あるものを取り出した。  青紫の布地で作られた、札入れ。 (千景さんのものだという確証は、ないけれど)  日の光を浴びた札入れの色は、昨夜、ぼんやりとした提灯の光の中で真幌が見た通り、やはり夕空のような青紫色をしていた。  瞳の色と同じであるからといって、札入れが千景のものだという考えは、まったく筋が通ってはいない。けれど何か、真幌の内で(きざ)した予感めいたものが、その考えを強く支持しているのだ。  ――それに、もし予感が外れ、この札入れが千景とは何の関係のないものだとしても。  昨晩、神官には、関わり合いにならない方がいい、千景に礼など必要ないのだ、と諭された。  だが真幌は、確かに彼に、危ういところを助けてもらったのだ。にもかかわらず、何の返礼もせずに済ませてしまうのは、著しく礼を欠いているように思った。  だから、札入れが千景のものであろうとなかろうと、真幌は行くことに決めたのだ。  今一度、地図を見直す。 (よし、大丈夫)  大きく頷いてから、真幌は歩き出した。  目的地は、術師の多くが居を構えるという南西地区である。  宿屋の主人につけてもらった地図上の印を時々確認しながら、真幌は着実に歩みを進めていた。  ……進めていた、つもりだったのだが。 「おや、巫女のお嬢ちゃん。ここは北東地区だよ。南西地区はまるっきり反対方向さ」  途中で違和感を覚え、道行く人に()いてみたら、返ってきたのはこんな答え。 「え? ここに行きたいのかい? あらあら、この道からじゃ、ずいぶん遠回りになっちまうよ」 「うん? 今いる場所がわからなくなったってか? あぁそうだな。あんたの持ってるその地図だと、だいたいこの……ほら、北のあたりかな」  ――やっぱり、迷った……!  生来、絶望的なまでの方向音痴で悪名高い真幌である。  当然のこと、織戸山の周辺でさえ頻繁(ひんぱん)に道に迷っては誰かに助け舟を出されていたような真幌が、都を自在に一人で歩き回れるはずはなかった。  苦悩する真幌を尻目に、太陽はあっという間に空の頂点を通り過ぎ、昼下がりの光で都全体を柔らかく包む。  それでもなお、諦めずに目的地を目指し続けた努力が功を奏したのか――周囲の空気が(あめ)色を帯び始めた頃、真幌はようやく南西地区へと辿り着いたのだった。
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