3.巫女と悪鬼

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 無理やり次の用件へと話を進め、真幌は風呂敷包みから札入れを取り出した。池に落ちた拍子に手の力が緩んだのか、真幌は風呂敷包みを庭先に投げ出していた。そのため、持参していた札入れと返礼の品が難を逃れたことは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。  札入れを差し出すと、千景は少しばかり驚いたようだった。漠然とした予感は見事に的中、やはり札入れは千景の物であったらしい。無事に落とし主のもとへと返すことができたことに、真幌は胸を撫で下ろす。 「それから、大したものではないのですが……これは、心ばかりの品です。よろしければ、お納めください」  真幌は風呂敷からさらに包みを取り出し、周囲を覆っている布を取り去った。中から現れたのは、白木でできた四角い箱だ。  千景はしばしその箱を黙って見つめていたが、 「……一応訊いておく。中身は何だ」 「草餅(くさもち)です。すみません、まだあまり都をよく知らないものですから、私の手製なのです」 「そうか。ならいらん」 「えっ」  ばっさりと言い捨てられ、真幌は思わず言葉を失くしてしまう。  ほんの少し言い淀んだ後、こわごわと尋ねてみた。 「……えっと。もしかして、お餅はお嫌いでしたか。それとも、私の手製というのがいけなかったでしょうか」 「それ以前の問題だ。腹に入れる物など受け取れるものか」 「あっ……」  真幌は愕然とした。  なぜ、そこに思い至らなかったのだろう。  真幌の住む山村では、お礼や祝いの時にこうして手製の菓子折りを贈ることが多かった。しかしこうしたやり取りができるのは、贈る方も贈られる方も、互いをよく見知っているからだ。  もちろん、真幌と千景の場合は違う。千景にとってみれば、真幌が返礼にと持参した菓子折りは、よく知りもしない相手からの得体の知れない食べ物、ということになってしまう。  また、失敗してしまった。  お礼のための訪問だったはずが、かえって千景に迷惑をかける結果になってしまっているではないか。  真幌は自身の至らなさに消沈し、がっくり肩を落とさずにはいられなかった。木箱をきゅっと掴み、袖に隠すようにして自分のところへ引き戻す。恥ずかしさのあまりに伏し目がちになりながら、真幌は詫びた。 「そ、そうですよね。すみません、考えが及ばず……。それでは、これは持ち帰ります。後日、別の品をお持ちしますので、どうか今日はご容赦ください」 「…………」 「……? あの、どうかなさいましたか」  場に流れた奇妙な沈黙に、真幌は風呂敷で木箱を包む手を止め、顔を上げた。  千景はわずかに顔をしかめ、思案するような様子を見せていたが、ややあって、一つ息をつくと、ぞんざいな口調で言ってきたのだった。 「……気が変わった。置いていけ」 「え?」 「何度も言わせるな。置いていけばいいと言っている。またここへ押し掛けられた挙句、池で溺死(できし)しかけているところを引き上げる羽目になるのは一度きりで充分だからな」  真幌はしばし目を皿のようにして千景を見つめ返していたが、やがてふわりと微笑んだ。花のつぼみが(ほころ)びを見せたのを目の前にした時のような喜びが、胸の内に温かく広がっていく。 「……ありがとうございます。でも私は、同じ池に落ちて溺れるようなへまはしませんよ」 「ふん、どうだか」  返ってきた言葉は案の定、そっけない。  それでも真幌はこのやり取りに、いつしか不思議な心地よさを見出していたのだった。  そうして、札入れと返礼の品を届けるという目的を果たした真幌は、千景の住居を後にした。  正門を出て数歩、真幌は一度立ち止まり、それまでに自分がいた場所を振り返った。  雷を操る力のその圧倒的な強さゆえ、都の人々から畏怖の念を向けられる術師――千景。 (でも、悪い人ではなかった……)  都にいる間に、また千景と、言葉を交わす機会に恵まれたなら。  そんなことを思い、そっと微笑みながら、真幌は再び歩み出し――そして、分岐(ぶんき)する道を前に、首を傾げた。 「さて、と。……宿屋街のある方角は、どちらでしたっけ」
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