3.巫女と悪鬼

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          *  その日の昼下がりもまた、都はうららかな初春の陽気に包まれていた。  吹き寄せる風はまだ冷たく、冬の名残りを残している。  けれど青く澄み渡る空から降り注ぐ日の光は、暇を持て余した露天商が迂闊(うかつ)にもうたた寝を始めるほどに暖かかった。 「え……えぇと、そのぅ……」  上目遣いにこちらを見つめ、ぷるぷると身体を震わせている露天商の男を、千景は冷然とした瞳で見下ろしていた。  居眠りをしていた露天商が来客に気づいたのは、千景がそこに出されている品物すべてに目を通し、相場の確認、周囲の店との品質の比較まですべて済ませた後のことだった。  客が千景であり、しかもその客が品定めを行っている間ずっと眠りこけていたという事態を知るや、露天商はずっとこの調子だった。まるで化け物にでも遭遇したかのように、額から冷や汗を垂らしている。  おそらくは、千景が鬼であるとの噂をどこかで聞き、真に受けていたのだろう。近づく者には片っ端から雷を落とすとか、鬼によって産み落とされたとか。  実際のところ、雷の力は千景の意思に関わりなく、彼に触れた者に対して発動してしまう性質を持っている。その上、千景は鬼の力を生まれながらに受け継いでいるようなものだ。ゆえに、それらの噂がまったく根も葉もないほら話かといえば、そうとも言い切れない部分があった。 「商人。ずいぶんと気楽な商売だな。いつまでたっても来客に気づかぬとは、それでよく生計が成り立っているものだ」 「ひっ……、ひいぃぃっ」 「この列にある物はすべて。ただしこの墨と呪草だけは別だ。この値であれば、向かいの店ならば倍量が手に入る」 「ひ、ひぃっ! わ、わかりやした、は、半額に……あっ、いえ、ただで持っていって構いやせん! で、ですから、どうか命は、命ばかりは……か、勘弁してくだせぇっ!」  案の定、まるで交渉になっていない。  長々と面倒な交渉をせずとも、あっちの店ではもっと安かったと一言述べるだけで、商人どもは勝手に恐れをなし、品物をただ同然で売り渡してくるのだ。  たちまち、周囲にひそやかな声が立つ。 「見ろよ、あれ……気の毒にな。あれじゃ強請(ゆす)られてんのも同然だろ」 「あぁ、また悪鬼が来たのか。なんでここいらにばっかり現れるんだろうな。まったく、心が休まりやしない」 「まさかずっと璃久扇にいるってわけじゃないだろうねぇ。さっさと出て行ってくれればいいのに」 「おい、やめろって。もし聞こえたらどうするんだよ、殺されるぞ」  何を言われようが構うことはない。相手にするだけ時の無駄だ。勝手に恐れ、そして勝手に神経をすり減らしていればいい。  少し外に出るだけでこれだから、千景にとって買い出しとは七面倒な作業だった。昼間に出歩けば要らぬ視線を浴びることになるし、何より人の声はうるさくて耳障りだ。  その上、最近では――  金を露天商に渡して品物を受け取り、買い求めた物を風呂敷に包み終えたところで、その声は背後から聞こえてきた。 「千景さん。こんにちは、今日はお買い物なんですね」  振り返ればそこには、会釈をし、こちらに近づいてくる娘の姿があった。  黒髪を後ろで一つに束ね、巫女の証しである緋袴をまとった娘。  真幌という名のその娘は、数日前の邪霊騒ぎ以後、ふとした折に通りですれ違うたび、千景に話しかけてくるようになっていた。  本人が話すところによれば、真幌は大社での修学のために璃久扇に滞在しているらしい。  先の邪霊騒ぎで知れるように、真幌は送魂の技術や邪霊と戦う力に突出した才を持つわけでもない、ごく普通の田舎巫女だ。  ただ一つだけ異質な点――千景に触れても、雷を浴びなかったということだけを除いては。  あれは偶然だったのか、それともやはり真幌は特殊なのか。  あれから時おり考えることがあったが、もう一度確認してはっきりさせようという気にはなれなかった。そうしたところで、何か得られるものがあるわけでもない。  千景は辟易(へきえき)しながら振り返り、そこに立つ娘を半眼で見下ろしながら言う。
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