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鳴神の災禍。
それは、道の果てでは今もなお、親から子へ、やがて親となった子がさらにその子へ、というように、おぞましい記憶とともに語り継がれる災いの名だ。
災禍が起きたのは織戸山のある地からさらに北、桧丘という名の地だった。
そして、当時十になるかならぬかというほどの幼子だった和音は、火急の知らせが都へ入るや、すぐさま道の果てへと急ぐ馬に乗せられたのだ。
『和音よ。今から私が話すことを、お前はよくよく聞かねばならぬ。桧丘の地の悲劇、民と領主の無念……そのすべてを知った上でお前は、この災禍を終わらせねばならぬのだ』
旅の道中、師がそう言い置き、災禍の発端となった出来事を語り聞かせてきたことを、和音は二十五年の月日が経った今でもありありと思い出せる。
すべての始まりは、数年にも渡り、桧丘の地で続いた飢饉だった。
常なら夏が訪れるはずの時期になろうとも、田畑には寒風吹きすさび、氷のように冷たい雨が降りしきる。極寒に震え、飢えに苦しむ人々に救いの光が差すことはなく――その年、途絶えることのない風雨とともについに姿を現した元凶は、邪気に侵され、もはや悪鬼となり果てた雷神だったのだ。
狂った鳴神は桧丘の地に破壊と死を撒き散らした。その巨大な手から放たれる雷は、轟音とともに次々と人々を殺し、集落を焼き、田畑を薙いだ。
このままでは桧丘の地は死に絶えてしまう。
悲嘆に暮れる民が縋ったのは、桧丘の地を治める聡明なる若き領主だった。
領主もまた、桧丘の地をひどく憂えていた。
むせび泣き、頭を地面にこすりつけ、懇願する人々の声を、叫びを、領主は到底、撥ねのけることなどできない。
しかし、桧丘の民が成す術なく、一人、また一人と死んでいく一方で、鳴神の暴挙は止む気配がなかった。
桧丘の地は、辺境。
祈依川の恵みは薄い上、恐るべき力を有する鳴神は、数少ない神官達の手に余った。とうの昔に都に救援を求める書状は送ったが、返事は未だ返ってはこない。
領主は絶望した。
都にとって、桧丘の地など取るに足りないという事実を突きつけられたのだ。この地は――愛する故郷は、民は、見捨てられたのだと。
もはや誰をも頼ることはできぬ。
そうしてついに、領主は決意した。
古より受け継がれてきた破魔の刀を抜き、領主は民へと語りかけた。
私は桧丘にて生を受け、育まれた。
もとよりこの地で果てる覚悟。
もし神殺しの意志を抱く者があるならば、私に続き、桧丘がために潔く死ね、と。
民は鬨の声を上げ、各々が槍を携え鳴神の居所へと押し寄せた。
『……それで、彼らはどうなったのですか』
わざわざ訊かずとも、戦いの結末は幼い和音にも推して知れた。
こうしてようやく大社が動き出したのは、このままでは璃久扇にも危機が及ぶと判断を下したためなのだから。
それでもなお、尋ねずにはいられなかった。
師は固く口を閉ざし、首を横に振った。
決死の覚悟でもって歯向かう人々を、鳴神はその雷の刃で容赦なく屠った。
先陣を切った領主は戦で死してなお鳴神に祟られ、全身に巡った穢れは、領主を突き動かしていた高潔な意志を、破壊の限りを尽くす鬼のそれへと変えた。
やがて鳴神は、鬼と化した領主の肉体にその邪なる魂を下ろし、更なる力を得てしまう。その上、桧丘を離れ、磨見ノ国を南下し始めたのだ。
和音はこの知らせを受け、災禍を鎮めるべく選び出された神官団の一人だった。鳴神と戦い、邪気に脅かされた霊魂を浄める。それが、和音に下された令なのだ。
道の果ての奥へ、奥へと神官団は数日に渡って旅を続けた。
旅の道中のほとんどは暖かな日が差していたが、しかしある時、戦いの始まりを告げるように、行く手には巨大な黒雲が群がり始める。
やがて和音を待ち受けていたのは、剣のような雨粒を地に注ぎ、雷雲を従える恐るべき邪神だった。
豪雨に見舞われ、昼間にもかかわらず暗夜に閉ざされたかのような山中で、激しさを増すその戦いは、およそ三日三晩にも及んだ。
鳴神の雷に身を貫かれ、爆ぜる木々の下敷きとなり、止むことのない雨がもたらす極寒に、多くの神官が倒れ、ひどければ死に至った。
和音は幼いながら、三日もの間休むことなく鳴神と対峙し、尽力し続けた一人だった。
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