1.巫女の旅立ち

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 日が傾き、神社の周囲を覆う林があかがね色を帯び始めた頃、真幌は神社の鳥居前に到着した。 「やっと着いたぜ。意外とここって、集落からは離れてるよなぁ」  颯太が立ち止まると、真幌はあたりを見回した。  今日はいつもよりも風が強い。今朝方、綺麗に掃き清めた境内には案の定、風によって新たに運ばれてきた枯れ枝が散っていた。これは日暮れにももう一度、掃除をする必要がありそうだ。 「本当、こんなふうに林の奥の方にあるのでなければ、迷うこともないと思うのですけど」 「まぁ真幌は、近くても遠くても結局迷子になってそうだけどな。じゃあな、俺は帰るぜ、真幌」 「近くても遠くても、っていうのは余計ですよ。まぁ、いいです。今日はありがとう、颯太。気をつけて帰るんですよ」  颯太は手を振りながら、鳥居前の石段を駆け下りていった。  その姿を見送り終えると、真幌の視線は夕暮れの空に吸い寄せられた。思わず目を奪われてしまうほどに、今日の空は燃え立つような、あざやかな赤色に染まっていたのだ。  厳寒の時期こそ過ぎたとはいえ、季節はまだ春には程遠い。日は天頂に達したかと思えば、あっという間に山の端に接し、地平線に燃えるような光を投げかけて沈んでいく。 「……あの日と同じ、ですね」  自然、そんな言葉が零れ出る。  息を呑むほどに美しい夕空が、この神社を初めて訪れた時のことを想起させるからだ。  十年前、真幌は昼下がりの林道を母に連れられて歩いていた。その道のりの中ほどに達した頃には、口減らしに捨てられるのだという事実をすでに確信していただろうか。  そうして、夕暮れの日差しに空が赤く輝き出す頃、真幌はこの場所に置き去りにされたのを(さと)ったのだ。  どうして私を捨てるの、なんて、愚かな問いを母にぶつけることはしなかった。無論、去っていく母の腰に追い(すが)ることもしなかった。母を困らせるだけだとわかっていたし、そして何より、はっきりとした言葉や行動で拒絶されるのが恐かったからだ。  捨てられた直後は、途方に暮れた。  どうしたらいいかわからず、このまま飢えて死ぬよりほかにはないのかと、ただただ泣くことしかできなかった。  けれど、今。  真幌はこうして、居場所を与えられて生きている――賽銭を盗もうとした、罰として。  と、巫女装束を手渡された時のことまで思い出し、つい微笑みかけた、その時だった。 「おや、どうしたんですか、真幌。普段は間抜(まぬ)けなあなたでも、見事な夕焼けに感じ入る心は持ち合わせていたようですね。少々意外でしたよ」  聞き慣れた声に振り返ると、そこには白衣に紋入りの紫袴をまとった、穏和な顔立ちの男が立っていた。織戸山を守護するこの志緒(しお)神社の宮司、和音である。 「和音さん」  村で得た物をまとめた荷物と、和音が手に持っていた竹箒(たけぼうき)を交換しながら、真幌は口を(とが)らせた。 「……確かに私は間抜けですけど、たまには黄昏(たそが)れたくなることだってあります」 「そうでしたか。そういえばあなたを拾った日も、こんなふうに空恐ろしいくらい夕焼けの綺麗な日でしたねえ。私も今、ふと思い出しましたよ」  真幌は面食らった。  どうやら和音には、真幌が何を考え、黄昏れていたのかまでお見通しらしい。  和音には恩があるし、何だかんだと言いつつ、彼は真幌を巫女として育て上げてくれた。だから常々、和音には感謝しているのだが、彼がしょっちゅう口にする皮肉を受け流すことはできても、こういうところだけはどうも苦手だ。 「あなたが罰当たりにも賽銭を盗もうとしていた姿は、未だに忘れられませんよ。あんなはした金をどうしようと考えていたのか、ぜひとも教えていただきたいくらいです」 「それは……。悪いことをしたとは思っています。でも私は、初めから盗もうと思っていたわけじゃありません。最初に盗んでいった人から、残った分をもらっただけなんですから」 「はいはい。盗人(ぬすっと)はみんなそういうふうに言い逃れしますよね。と、言いたいところですが、真幌はいい意味でも悪い意味でも正直ですからね。私としては、あなたに窃盗を(そそのか)した例の人物とやらもひっ捕らえたかったところですが……真幌ときたら、その泥棒仲間の特徴を何一つ覚えていないというので、どうしようもなかったのですよね」  足元の枯れ草を竹箒で掃きながら、真幌は抗弁(こうべん)した。 「何も覚えていないというわけではありません。そもそも夜でしたから、相手の姿だってよく見えなかったんです」
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