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背後から真幌の名を呼ぶ声が聞こえたのは、清掃を済ませ、竹箒を片付けていた頃のことだった。
「真幌。真幌ー、掃除は終わったのか? 夕餉の支度ができておるぞ、和音が待ちくたびれる前に、早く来るのじゃ」
「琴杷さん。はーい、すぐ行きます」
清掃用具を収めた倉から外へ出ながら、真幌はその声に返答する。
見れば、参道を隔てた向こう、社務所の障子戸の隙間から、一羽の烏がひょこっと嘴を突き出していた。
社務所の玄関口をくぐるやいなや、囲炉裏から立ち昇る暖気が真幌のもとへ押し寄せる。真幌はそこでようやく、気づかぬ間に身体が芯まで冷えていたことに気づいた。
「ほら、真幌。今宵はずいぶん冷え込んでいるじゃろう。こちらへ来て温まるとよい」
囲炉裏のそばからそう話しかけてきたのは、先ほど障子戸から顔を出していた烏だ。
烏はその場で羽ばたき、くるりと宙返りをする。と、次の瞬間には烏の代わりに、すらりと背の高い女が現れていた。背に流した濡羽色の長い髪。その瞳には、人ならざる者の証しである金の輝き。
「おや、この大根の漬物は琴杷の作でしょうか。以前と比べると、ずいぶん切り方に成長が見られますねぇ。まぁ、まだまだ私の足元にも及びませんが」
「ふむ。あまり嬉しくはないが、和音の褒め言葉は貴重であるからな。ありがたくちょうだいしよう」
せっせと給仕を進めるその女の名は、琴杷。
こうして真幌や和音とともに寝食を共にしている彼女だが、その正体は風切琴杷神――この志緒神社が祀る神なのだった。
食膳には白菜のお吸い物と雑穀米、それから、琴杷の作であるらしい大根の漬物が並んでいた。
「よし、支度ができたぞ。さっそく頂くとしよう」
「そういえば、銀太はどこへ行ったんでしょう? このくらいの時間になると必ず姿を見せるはずですが」
「あぁ。さっきからそこにいるぞ、ほら」
すると、土間の隅で木片を囓って遊んでいた白柴、銀太が居場所を示すように一吠えした。番犬として飼われている銀太だが、まだまだやんちゃ盛り、普段は風に吹かれる木の葉を追いかけたり薪を齧ったり、思い思いに遊んでいることが多かった。
「ほれ、銀太にはこれじゃ。食べ残すでないぞ」
銀太に差し出された椀には、漬物と食べやすいように切った白菜。銀太もまた腹を空かせていたらしく、椀を前にして座り、嬉しそうに尻尾をぱたぱた振っている。
そうして皆揃ったところで、一拝一拍手。
真幌は箸を持つと、最初にお吸い物の入った椀を手に取った。湯気の立つ温かな汁を口に含み、白菜を噛む。噛んだところから、ほのかな甘みが舌全体に広がっていく。
「琴杷さん、この白菜、どうしたんですか。すごくおいしいです」
「じゃろう? 篠介の家からのもらい物じゃからな。常々思うが、あやつは作物を育てるのがほんにうまい。先代である粂吉の教えがよかったのじゃろうな」
「先日、無事に子どもが生まれたそうで。お礼にと、持ってきてくれたのですよ」
そういえば、と真幌は昨年の秋口のことを思い出す。
東の集落に住む篠介の妻が出産を控えているとのことで、真幌が祈祷に出向いていたのだ。
「少し前に奥さんに会って、赤ちゃんを見せてもらったんです。とっても可愛くて元気で。奥さんにも何事もなかったみたいで、安心しました」
「初産ゆえ、篠介も気が気でなかったようじゃが、真幌が祈祷をしてくれたおかげで無事に終えられたと言っておったぞ。この白菜はその礼じゃとな」
「そんな……奥さんにもお礼を頂いたばかりだったのに」
「それから、大社での修学、応援しているとも言っていましたよ。何せ、もう三日後ですからね。旅支度はだいたい整っているのでしょうね、真幌?」
ここ数日の間、ずっと気にかかっていた事柄に関する話題になり、真幌は飲んでいた汁で噎せかけるのを何とかこらえた。
白湯を喉に流し、咳払いをしてから平静を装って答える。
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