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「もちろんですよ。旅装、祈祷文書、大幣に術符、それから神楽鈴も。みんな揃えてあります。後は和音さんが証書を書いてくれるのを待つだけです」
「地図も忘れずに持っていくようにな、真幌。おぬしはただでさえすぐに道に迷うゆえ」
「わ、わかっていますよ」
大社――磨見ノ国のすべての神社を統括する、総本山。
神社にて神に仕える者達は皆、数年おきに大社での修学へ赴く義務がある。巫女となって十年が経った真幌もまた、修学を受けなければならない時期が近づいていた。ゆえに、真幌は三日後、大社の立地する磨見ノ国の都、璃久扇への長旅へ出立することになっているのだ。
和音はいつになく険しい表情になり、箸を動かす手を止める。
「運のいいことに、近くの神社をあたってみたら、大社に用事のある神官が何人かいるとのことでしてね。頼んでみたら、真幌もともに連れて行ってくれると言っていました。ですから都に行くまでの道のりは問題ありません。難関は帰りと、それから璃久扇にいる期間でしょうね。何しろ都は大きいですし、道もこことは比べ物にならないほど入り組んでいますから」
「そうじゃのう。都のどこにいても見えるというほどに、大社とは立派な建物じゃ。常人ならば迷うことなどなかろうが、真幌では……いったいどうしたらよいものか」
「えっと……あの。私の場合、修学自体よりも、行って帰ってくることの方が心配だと言うのですか」
どうやら二人にとっては、修学よりも真幌の方向音痴の方がよほど重大事らしい。何とも言えず、真幌は複雑な気分になる。
「当たり前でしょう。真幌が都を歩くことと比べたら、修学などさしたる問題ではありません。修学の場では、神職にある者なら当然身につけてしかるべき基礎的な知識についておさらいする……ということにはなっていますが、それはあくまで建前。あれの本当の目的は一種の視察のようなものですから。ここのような田舎神社でも、由緒正しい祈祷法、送魂や鎮魂の術法などが受け継がれているかどうかを見たいのです。ですから、真幌はとりあえず無事に都へ行き、ここへ帰ってくることにだけ、心血を注いでいればよいのですよ」
と、至って真面目な顔つきで断言する和音と、その隣でこくこくと何度もうなずいている琴杷の姿に、真幌はしゅんと肩を落とすしかない。
「うぅ、わかりました……。和音さんと琴杷さんの言う通り、都へ行き、ここへ帰ってくることに全力を尽くすことにします」
「うむ、その意気やよし。無事帰ってきたら、真幌の好物をたくさん作るからの。頑張るのじゃぞ、真幌。おぬしなら絶対に大丈夫じゃ」
「ま、私も信じて待っていますよ。真幌なら、きっと帰ってこられます」
「二人とも……」
まるで、これから真幌が向かうのが一世一代の大勝負の場だとでもいうかのような、大仰な激励だった。
それがとてもおかしくて、真幌は思わず声を立てて笑ってしまう。
ここは都からは遠く離れた、山間にある小さな神社。
真幌にとって、十年前からずっと、帰るべきただ一つの場所。
皮肉屋の宮司と、人の暮らしに馴染む風変わりな烏神と過ごす夜は、穏やかな談笑とともにゆっくりと更けていった。
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