終・桜揺れる夕空の下で

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          *  やがて日は傾いていき、西の空は目を瞠るほどに色あざやかな茜色に染め上げられていく。  夕暮れ時。  さらさらと音を立てる桜の木立を、真幌は小走りに進んでいた。  午後、祈祷を頼まれ集落へと出向いていたら、帰るのが遅くなってしまった。待ち合わせの場所はこの先、山道の途中にある開けた場所だ。  千景をずいぶん待たせてしまっているかもしれない。  それに、あまりのんびりしていたら日が暮れてしまう。  そう思うと、自然と真幌の心は(はや)っていった。  そしてついにその場所が見えてくると同時に、木の幹に背を預け、桜を眺めながら待っている千景の姿が目に飛び込んできた。  千景もまた、真幌に気がついたらしい。  目が合うと、真幌はついつい、しばらくは無理をするなという和音の忠告も忘れて全速力で走り出してしまう。 「千景さん……! ……すみ、ません……、遅れて、しまって……」  やはり、集落から急いで戻ってきた上、急に駆け出したのがいけなかったらしい。どっと全身に押し寄せてきた重い疲労に、真幌はたまらずその場にへたり込み手をついてしまう。  千景はすぐさま駆けつけ、真幌の隣にしゃがんで(とが)めるように言ってくる。 「……馬鹿。無茶をするなと言っただろうに。ほら、(つか)まれ。あのあたりで少し休んだ方がいい」 「いいえ……大丈夫、です。急が、ないと……暗くなって……しまいますから」  昏き道の沼で穢れを受け、瀕死の状態から真幌が生還して、もうまもなくひと月になろうとしている。  しかし穢れを祓い浄め、死の危機から脱したと言っても、真幌の身体が受けた影響は大きかった。身体が持っていた生気は弱っており、それがもとのように回復するまでは、少しのことでも疲れやすい状態が続くのだという。  和音によれば、あと数日もすればこの状態は改善されるということだが、それまではあまりに体力を使う行動は避けるように、と言われているのだ。  千景はしばらくの間、考え込むような表情を浮かべていたが、やがて真幌の正面に背を向けて言った。 「なら、ここからは背負っていく。であれば、暗くなる前に着くだろう」 「えっ……で、でも」  思いもよらなかった提案に、真幌はためらった。 「わ、悪いですよ、そんなの。それに、その……私、重い、ですから」 「何を言っている。そんなに細っこいのに重いわけがあるか」 「で……でも」 「断るなら帰る。この先は上り坂。無理はさせられない」 「う……」  こうして押し問答をしている間にも、どんどん日は暮れていく。  真幌はしばらくの間逡巡(しゅんじゅん)するも、ややあって、遠慮がちに千景の背に身を預けた。  真幌の膝の裏に手を回しながら、千景は立ち上がって歩き出した。  一気に高くなった視線に、真幌は思わず感嘆の声を上げる。  道の周囲に広がる桜色の山並みが、遠くまで見渡せた。 「うわぁ……、すごく高いです。千景さんの目からはいつも、こんなふうに世界が見えているんですね」 「驚くのは勝手だが、しっかり捕まっていろ。この体勢では、落ちた時にすぐに助けてやれないからな」 「は、はい」  言われた通りに、千景の肩に手を回して後ろから抱きつく格好になる。  千景の温かな体温を感じていると、なぜだか気恥ずかしく思えてきて、真幌は朱に染まった顔を見られないよう、千景の首の後ろあたりに頭を(うつむ)けた。  真幌の口数が少ないのを怪訝(けげん)に思ったのか、千景が問いかけてくる。 「どうした。急に黙り込んで」 「あっ、いえ、その……何でもないのです。ただ、えっと……」  照れくさく感じていることを知られたくなくて、どうにか話題をそらそうと真幌は頭を(めぐ)らした。  するとしばらくして、淡い(かすみ)色の髪が目に留まり、真幌はこの頃気になっていたことを思い出す。
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