終・桜揺れる夕空の下で

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 目的の場所に着いたのは、遠くの山並みの向こうへと日が沈みかけ、山際(やまぎわ)の空に目映い光を投げかけ始めた頃だった。  なだらかな桜の道の先にある、小高い丘の上。  山桜の巨木は、茜色の空に思い思いに枝を広げ、その一つ一つの枝いっぱいに、淡く色づいた花を咲かせていた。  真幌は負ぶわれたまま身を乗り出し、千景の顔を覗き込む。  案の定、千景は目を見開き、眼前にそびえる木の高さに、心の底から驚いているようだった。  その様子を見ていると、かつて都で交わした会話を思い出さずにいられない。 「……前に、私が言った通りになりましたね。織戸山の桜を見たら、千景さんも驚くに違いないって」 「そう、だな……」  千景は、呆けたように桜を見上げたままだ。  だがやがて、その双眸は穏やかに細められる。  真幌は不思議に思って尋ねる。 「どうしたのですか。そんなに山の桜の大きさに驚いてしまいましたか?」 「もちろん、それもある。前に真幌が言っていたように……天辺(てっぺん)が見えない」 「こうして千景さんにおんぶされて、さらに背伸びしても見えないですね」 「……ああ。都にいた頃、桜を見たくらいのことで心を動かすものか、と……馬鹿馬鹿しいと言い捨てた時には、思わなかった。……こんなふうに、お前とともに織戸山の桜を見ることが叶うとは、思ってもみなかった」 「千景さん……」  すっと地面に降り立ち、真幌もまた千景の隣で桜の木を見つめた。  夕風を浴びた山桜の枝葉は、心地よさそうにさらさらと鳴っている。 「はい。私も……こうしてあなたのそばで望みを叶えられるなんて、思ってもみませんでした」  巨木の幹に二人並んでもたれかかり、頭上を仰ぐ。  背を預ける桜の幹も、足元に広がる下草も、何もかもが温かく、優しくて、まるで山に抱かれているかのようだった。 「また来年も、その先もずっと……こうしてここで、桜が咲くのを見たいですね」  そう口にした瞬間、思わず真幌は笑ってしまった。  今年も、織戸山で春を迎えたい――織戸山の桜を見たい。  その望みが叶うやいなや、こうして新たな望みが心の内に芽生えたのだから。  千景も隣でうなずいてくれた。  二人、視線を合わせて微笑みながら言葉にする。 「ああ。また来年も、その先も」 「はい、これからはずっと……一緒に」  どちらからともなく身を寄せ合い、互いの吐息がかかるまでに顔を近づけていく。  そうして、ゆっくりと唇を重ね合わせた。互いに唇を押し当て、離し、また触れ合わせる。互いの想いを、同じ望みを胸に抱いていることを、確かめるように、誓うように。  何度か繰り返した後、笑みを(あふ)れさせながら、真幌は桜の天蓋を再び眺める。  ――また来年も、その先も。  澄み渡る夕空の下、その言葉にうなずくように。  見上げた先では、山桜の花が優しく揺れていた。
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